ち く ま ホーム Ⅲ (いわみ学)

  岩 美 町 の 先 人、文 化、史 跡 を尋 ね て!
   一緒に岩美町を楽しみませんか?

講演会 案内

2007-07-05 14:46:21 | Weblog
写生文
 海は砂山を越えて後ろにある。絶えずどうどうと浪(なみ)の音が聞える。道といわず畠といわず砂ばかりで、駒下駄(こまげた)で歩いても音がせぬ。何年たってもげたの歯が減らぬ。家(いえ)を建てる時は、砂の上に水を五六荷もぶちまけると、砂はガッシリ締って巖(いわお)よりも硬くなる。其(その)上に土台石を据えて置けば善(い)いのだという。
 日本海は波が荒い。海は絶えず大波が打つものといふ事も、こんな子供の時から深く頭に染(しみ)込んで居る。緑色の水のうねりがだんだん膨らんで来るかと思ふと、波の腹が薄暗くなつて前に崩れつゝどさどさどさどさと打つて来る。どさツと打揚げた波は、むら消えの雪の如く斑(まだ)らに泡立つて一時平(たひら)かに漂ふ。暫く漂ふた後、急に思出したやうに寄せ来る波の底に引返す。引返した水は待構へて居る波と合して前よりも一倍激しく打揚げる。 水烟(みづけむり)が霧の如くに立つ。
 時としては返す勢(いきほひ)の烈しさに、威丈高(ゐだけだか)に寄せる波の勢を挫(くじ)いて、水面は却(かへつ)て意外に平(たひら)を保つ事もある。今日のやうな麗(うらゝ)かな軟風の日といへども此活動は瞬時も止まぬ。
 
 或時 例の通り祖父に負われて八幡様の石灯籠へ遊びに往った。八幡様の石灯籠といふのは村の本通りの道端にあるので、汚い百姓家の間に十坪ばかりの空地を控へて、大きな御影石の常夜燈が一対据えてある。宮はずっと離れて七八町も奥の方。即ち松の砂山を越えて彼方にある。
 自分はいつもの如く石灯籠の台石に立たされた。祖父はそのまま腰掛けて道行く村の誰彼と言葉を換わして居る。自分より年嵩の子供が五六人、其処に遊んで居つたが、自分が石灯籠に降立つたのを見て一斉(いっせい)に注目した~  ― 夢の如し 抜粋 ―

            坂 本 四 方 太  講 演 会 

     【演題】 正岡子規が愛した男
          ~大谷が生んだ文学者・坂本四方太~

     【日時】 平成19年7月23日(月)  午後7:30~

     【場所】 大岩交流センター和室

     【講師】 西尾肇さん(鳥取市史編纂室長)

         (画像は上記 フォトアルバム 岩美の偉人)



『内容の概略』
四方太さんの3つの側面
①俳人として「ホトトギス」の中核を担い、また明治31年に鳥取市に誕生した俳句グループ「卯の花会」の指導者としても明治期の郷土の文芸興隆に尽くした 
②写生文の確立者として、名作「夢の如し」を生んだ
③草創記の日本の図書館の発展に大きな役割をはたした というそれぞれの業績についてお話したいと思います。 

正岡子規や夏目漱石、高濱虚子ら、そうそうたる文化人との交流やエピソードを交えながら、四方太さんの人となりを楽しくお伝えできれば、と思います。
もちろん代表作である「夢の如し」についても、大谷との関連を中心に解説させていただきます。  西尾肇 



     主催 大岩公民館 
     共催 大岩連合自治会



坂本四方太 (1873~1917) 俳人。岩美町大谷に生まれる。
東京帝国大学卒業。東京帝国大学附属図書館の司書官として活躍するなど、草創期の日本の図書館の発展に貢献しました。