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思考内リゾート

誰かの存在

昨日は、一人ぶらりと買い物に出かけ、ついでにフードコーナーで『うどんとおにぎり』のセットを食べていた時のこと。


おにぎりをちょうどいいサイズにしようと(上品に…と言うのでは全くなく、時間をかけてちびちび食べれるため。とても私らしく貧乏くさい食べ方…)、割り箸に力を入れた瞬間、バキッと割り箸の一本がキレイに真っ二つ半分に折れました。
それと同時に嫌〜な気分に包まれる私…。
 
割り箸はまた貰いにいけば済むはずなのですが、いわゆる“豆腐メンタル”な私は、嫌な気持ちから抜け切れないまま、続け様その後コップの水をこぼします…。
 
…この後、もっと遠くへ出掛けようと思っていたけど、一気にテンションが下がって「やめたほうがいいかな」とかとも思い始め…。
 
本当は考え事していて、たまたま割り箸に力が入っただけなんですけどね。
それは先日、近所の人が私にしてみたら余計なお世話のことをしてきた出来事について考えていて、
そのイライラに力がこもって、元々質の良くない割り箸が折れたのです。
そしたら負の連鎖っぽく、気分ダダ下がりのまま水までこぼして。
 
…もし母がその場にいたら、水をこぼした時点で「何、ぼーっとしてるの!」と“しっかりしなさい”と喝(カツ)を入れる感じで、怒り気味にさっと拭く物を取り出し、注意したことでしょう。
 
そしたら私もなんとなく気分の流れも変わって、嫌な事も忘れることができたでしょう。
 
私にとって「こんな時には」とイメージしたのが母ですが、
皆さんなら相棒さんですか?
相方さんですか?
良きパートナーですか?
良き伴侶ですか?
その人はあなたのことを思ってくれるからこその事を言ってくれますか?
 
記憶の中の誰かが言った言葉、必要な時に何気なく前向きに響いてくると、その人のいる場所や時間に一緒にいるような気がしてきます。
 
そんなふうに考えてみた私ですが、そんな気持ちを的確に表そうとする言葉は要らないです。
『感傷的』とか『ノスタルジー』とか『依存的』等など。
 
私は「とにかく今に生きるのです」と偉そうに、カッコ良さげに今は語っておきます…。
 
その後ですが、母のことそんなふうに思い出したら、気分変えれてさらに出掛けました。
 
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
実際は、割り箸折って、水こぼして、いっとき落ち込んだ私のドジ話なだけで、そんなふうに母のことを持ち出して、母も向こうできっと呆れているでしょう…。
 
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