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思考内リゾート

冷え込む日に『目出し帽』について考えてみる

こんばんは、安井ふみです。
大阪南寄り住まいです。

いやー、大阪の今日はほんと寒いです。
天気予報を見れば、『全国的に厳しい寒さ』と言っているのでわざわざ書くこともないと思われそうですけどね。

で私、今日は幸い、風はないので着込めば寒さは対処できるのだから、なぜに今日が特に寒く思うのか?と寒い中考えながら歩いていたら、
「単純に露出部分である顔(特に頬)が冷気に晒されているからなのね。」と感じるままあっさり答えが出てきました。

そう言えば昔『目出し帽』と言う、覆面プロレスラーのマスクと同じような片目ずつと口だけが空いた(目のみ横長に一本空いたオシャレなものもありますね)顔全体に被るニット帽がありましたが、あれが今日の冷え込む日の外出にはとても有効ですね。

(※目出し帽がわからない方は画像検索して下さい)

私は被る勇気がありません…なんて書きながら、昔我が家にも目出し帽があったことを思い出しました。

怪しまれるから誰も使わなかった?と皆さん思われるでしょうが、
あれ、目出し帽として使わない時は、顔に当たる部分をめくり上げて折り畳んで普通の『正ちゃん帽』と使えるんですよね。
で「必要な時は目出し帽にできるんです!」と自慢げに書こうと思いましたが、いやいや目出し帽状態で被っている時が重要で、この時に人からちらちら見られるのが辛いのだから普段のことなんて関係ないって書いているうちに気がつきました…。難しいです。

究極、『目出し帽(覆面プロレスラータイプ)は顔が隠れるから、誰とも特定できずで恥ずかしがることはない!』なんて考えれなくはないけれど、そうは言われても恥ずかしいとは思います。

ならばその、『自分だとバレ無いのだから恥ずかしがることはない』はずなのに、感じるその『恥ずかしさ』はどこから来ると言うのだろうか?

もし翌日友人が「昨日、目出し帽を被った人が歩いていたよ。」と自分に話してもそれが自分だとわからないのだから何も恥ずかしがることはない。「へぇー」と言っておけばよい。

なのに目出し帽を被っている時にきっと感じてしまうだろう『恥ずかしさ』は一体なんだろう。

等と深く考えようとしているが、私がもし不意に街角で実際『目出し帽』を被っている人を見かけたらきっと、
「あの人、恥ずかしくないのかな。」
と思うことだろう。

…なのでそういうことなのだろう。

なんかよくわかったようで、よくわからないけれど私なりの答えがそこにあると思います。
これ以上言及はいたしません、いやできません、“そんな感じです”としか…。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

わかりやすく見出し画像用にと、ネットから『目出し帽(覆面プロレスラータイプ)』の画像を一部分だけ拝借しようと思いましたが、このブログ記事の内容の否定的なところと、その特定の目出し帽がイメージとして直結しかねないのでやめました。
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