最近、鍋物が多いです。
私のメインは、スーパーの精肉コーナーで売られているあの、一人鍋用のアルミ鍋に全てそれなりの満足の具材が入っているセットものです。
レンジでチンですぐ食べれる物ではありません。最初から煮込んで作り上げるものです。けっこう時間かかります。
そこに、家にある常備野菜の白菜や、時に豆腐、中途半端に残った肉を入れて、ボリュームアップします。
スーパーの一人用鍋アルミ鍋にはたいていうどんが入っていて(キムチ鍋には中華そば)、まずそれで第一回目を食べます。(白菜と豚肉のミルフィーユ鍋には麺類は入りません。そういう料理ではないからでしょうが、ちょっとさびしいですね。)
一人暮らしなので、ほとんど献立を気にせず進められるため、その次の食事は、その残った鍋(いいえ、あえて残しています…、次回のために)にご飯を入れて『おじや』となることがよくあります。
たとえ少量でも野菜や肉の旨みがいっぱいの汁を捨てるのはもったいなさすぎです。
しかし時々カレーが食べたくなります。ただ元鶏ちゃんこ鍋に市販のカレールーを入れて、カレー鍋にするならここから『鍋連鎖』が始まってしまいます。
カレーになった鍋をこの次は、「残ったカレースープを捨てたらもったいない」と考えようとしてしまうでしょう。
そこは私もわかっていて、ここで打ち止めにしなければ...。
ただそこに、ご飯入れて、チーズ載せての『カレーリゾット』では嫌で、『カレーライスが食べたい』『純粋にカレーが食べたい』ともう一人の私が贅沢を言い出すのです。
もちろん残り汁は和風ですが、和風でもカレーライスとして食べたいのです。
ただ『鶏ちゃんこ鍋』の残り汁に残った白菜がどうしても気になって仕方ないのです。
カレーに白菜は普通入らないという固定概念が頭から抜けません。そんな贅沢言える立場でもないのに…。
「いっそ白菜を取り除いてから、カレールーを入れようか?」とも、姑息な感じの自分がいます。
これが私、元々『鶏ちゃんこ鍋』だと知っているし、それも自分で作ったのに、なぜにこうも昨日は大活躍の白菜を邪魔者扱いをしようとするのか…。
こだわりというより、私のただの性格の悪さだけのように思います。
『その鍋を作るのが、その人の集大成』というなら、
私が、『鶏ちゃんこ鍋』からカレーライスを作ろうとして、かえって白菜を邪魔者にしているのには、50代淋しく一人暮らす男の何かしらの要因がそこにあるような気がします。
ずばり理想が高すぎってことでしょうか…。
いいや、理想が高過ぎって考えて、今の相手さんに満足ってのも失礼ですね...。
いやいや、話を最初に戻して、『鶏ちゃんこ鍋』を『カレーライス』に単純に注文チェンジしたようなものですよね。
なので白菜を嫌って徹底的に除こうが、気にせず白菜だけ勢いで食べようがどっちでもいい、
『人生そんな感じでシンプルで、絶対幸せになれます!』って、人生の先輩に言われてみたいです。