9.24の「口述筆記第1弾は」でご紹介した、
明石ペンクラブ会報 巻頭エッセイ。
読みたい!の声が多かったので、
ここに、原稿をアップします
(改行、太字、サブタイトルなどはブログ用に永江にて加工)
人生を変えた一冊の本
●序章
その本を手にしなければ、弁護士にはなっていなかった。
その本を手にしなければ、政治家にもなってはいなかっただろう。
その本のタイトルは、『つながればパワー 政治改革への私の直言』(著者石井こうき)。
当時、私は25歳。
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●本との出会い
大学卒業後、NHKのディレクターを経て、テレビ朝日に移籍し、昭和の終わりと平成の始まりを取材していたころのことだ。
バブル絶頂期のマスコミに身をおき、やりがいある仕事を任されてはいた。でも、どこか表面的な気がして、違和感のようなものも感じていた。自分の人生これでいいのかと自問自答したりもしていた。
そんなとき、ふと立ち寄った本屋で、引き寄せられるように手に取った本。
「今の社会はこのままではダメになってしまう。つながりをもっと大切にしよう。そのつながりこそが社会を変えていく力になるはずだ。」と熱っぽく書かれていた。
感動を覚えた私は、著者宛に励ましの手紙を送った。
「あなたのような人にこそ政治家になってもらいたい。陰ながら応援しています。」と。
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●思いがけない連絡、そして転機
数日後、思いもかけず、著者からの直接の返信があった。お礼の後に
「会いたい」との文字、そして、自宅の電話番号。
「陰ながらじゃなくて、実際に手伝ってもらえないだろうか。何の組織もないし、本気で応援してくれる人が見つからないんだ。」
会いに行くなり、いきなりの懇願だった。初対面なのにという驚きはもちろんあった。
だがそれ以上に驚いたのは、支援の輪が拡がっていないことについてだった。いくら志が高くとも、理想だけでは現実は動かないことを目の当たりにした瞬間でもあった。
真剣な眼差しに、何か運命的なものを感じ取ったからかもしれない。
私は二つ返事で引き受けた。そして、私は彼の最初の応援スタッフとなった。
彼のような人にこそ、国会で仕事をしてもらいたい。本気でそう思った。だからこそ、本気で応援をした。
住み慣れたアパートを引き払い、彼の自宅のすぐ近くに引っ越した。
マスコミの仕事も辞め、まさに彼の付き人となった。
日照りの日も、雨の日も、雪の日も、彼を信じ、有権者を信じ、理想を信じ、訴え続けた。彼がマイクを握り、私がビラを配る。そんな毎日だった。
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●彼の説得
だが、結果は非情だった。新聞各紙は予想外の大健闘と報じたが、惜敗の次点にしても落選であることに変わりはなかった。
「もう一回、一緒に頑張りましょう。」そう迫る私に、石井さんは、思いもかけない言葉を返してきた。
「色々と考えたけど、やはり君をこれ以上そばにおいておくわけにはいかないよ。君は弁護士になるべきだ。困っている人を本気で助けたいなら、弁護士がいい。きっと君なら、いい弁護士になれるよ。」
法学部卒でもなく、それまで弁護士なんて考えたこともなかった。困惑する私に、彼は説得を続けた。
「君の人生はこれからだ。君が今やるべきことは、もっと力をつけていくこと。人助けをしていきたいなら、それができる状況をつくっていくこと。弁護士なら可能だと思うよ。40歳くらいのときに、もし政治への道が開けたら、思い切って挑戦すればいい。弁護士なら、それも可能だ。しかも、弁護士なら、落選を恐れず、胸を張った政治活動も可能だ。あえて君を手放す、その意味をよくわかってほしい。」
石井さんが当選したのは、それから3年後のことだ。追いかけるかのように、その翌年には、私も司法試験に合格した。
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●政治家・石井こうき
当選後の石井さんの活躍は華々しかった。国会で不正を追及する彼の姿が、たびたびブラウン管に映し出された。地下鉄サリン事件の被害者支援に取り組む彼の姿も、新聞や週刊誌などで大きく報じられた。
やはり石井さんは本物だった。そう思えることが、すごく嬉しくもあった。
だが、いきなり彼はその一生を終えることになる。
2002年10月25日のことだ。国会議員刺殺というニュース速報に流れたのは、彼の名前だった。
不正と闘い続けた政治家・石井こうきは、私が毎日送り迎えをしていた自宅の玄関前で、右翼のナイフに刺され、突然の無念の死を遂げてしまったのだ。
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●行動する弁護士として
その訃報が、私の政治への道を開くことになるとは、何という因果だろうか。
その翌年、石井さんの関係者から、遺志を引き継いでほしいと説得され、総選挙への立候補が決まった。40歳での挑戦というのも、まさに彼の予言どおりとなった。
国会議員になった私は、彼のやり残した仕事を引き継いだ。被害者支援の問題にも取り組み、犯罪被害者基本法の制定にもこぎつけた。胸を張った政治活動をしたつもりだが、落選を恐れなかったためか、再選とはならず、ほどなく弁護士に戻ることとなる。
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●終章
石井さんが亡くなってから、まもなく8年になる。
あの本を手にしたときからは、20年以上が過ぎた。
もしあのとき、あの本を手にしていなかったら、私は今ごろどこで何をしているんだろう。寝つけない夏の暑い夜に、そんな思いにふけると、さらに寝つけなくなったりもする。
人生における出会いと別れは本当に不思議なものだ。