ソ連侵攻。満州開拓団。は ひどい目にあいました。死の行進だったのです。インディアン。死の行進。勝るとも劣らず。関東軍は南方に配置転換済みだったのです。転進。精鋭部隊は空っぽ。関東軍として残っていた部隊編成は現地徴用の満州開拓団のそれも働き手。簡単訓練。主要武器少なし。満州開拓団は必死で逃げました。生きて帰って来た人。満蒙開拓団。多くを語りませんでした。しかし。わたしが小学校に入る前。その方がこんなことを話したことを覚えています。隠れていて。赤ちゃんが泣く。これを防ぐため。赤ちゃんの口をふさぐ。赤ちゃんぐったり。死んでしましました。渡河の際。余計な荷物は持てない。赤ちゃんを川へ。。あとでこのような物語が記録としてありますが。わたしは。話を聞いていました。大人たちはわたしが小さかったので大丈夫。と ふんだのでしょう。涙ながらに話をしていました。ムラのなかでは肩身の狭いおもいをしていたのです。よそもの。わずかばかりの農地。帰国満蒙開拓団を受け入れる土地は少なかったのです。送り出してセイセイした移民が帰ってきたのですから。
現在の日本。これと似ているなー。と 感じます。自己を守る。ため 赤ちゃんを投げ捨てる。なりふりかまわず。こんな感じ。。