Jahkingのエサ箱猟盤日記

日々これ猟盤 エサ箱漁りの毎日....。

昭和歌謡でも part-2

2020年09月25日 | 和物
1,恋をあげよう b/w 恋の歯車/永田英二 (東芝) 45's
"あこがれ"に続く第2弾シングル、見事な青春歌謡ポップス。
かつてこちらで取り上げたファーストアルバム「恋をあげよう:永田英二 ビッグ・ヒットを歌う」の記事をご参照いただければ。

永田英二


永田英二 - 恋をあげよう







2,いつか何処かで b/w 素敵な恋人/ジャニーズ (Victor) 45's
1967年9月発売、映画「君は恋人」の劇中歌、B面曲は中谷良のソロ。翌月もう一枚のシングルをリリースして12月にはこのオリジナル・ジャニーズは解散したのだそう。
上掲の永田英二もそうですが、正にGSブームの時期なのに迎合せず独自のポップス路線を歩んだのはジャニー喜多川氏に明確なポリシーがあったからなのでしょうね。

ジャニーズ


ジャニーズ







3,草原の輝き b/w マイ・サマー・ガール/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ (日本コロンビア) 45's
"白鳥の歌"に次ぐシングルで1968年6月発売。次が"さよならのあとで"、"雨の赤坂"と続き演歌路線に。
wikiによると3か月後の9月にはジャケットは同じなれど番号がLL-10060-JCからLL-10068-J に変更され、イントロやミックスが違うヴァージョン違いが発売されているのだそう。


ブルーコメッツ


ブルーコメッツ



ジャッキー吉川とブルー・コメッツ / 草原の輝き



ジャッキー吉川とブルー・コメッツBlue Comets/マイ・サマー・ガールMy Summer Girl (1968年)



ジャッキー吉川とブルー・コメッツ/草原の輝き Summer Grass [another ver.]






4,恋のハレルヤ b/w つみな人/黛ジュン (Capitol) 45's
1967年2月発売、黛ジュンと改名して発表した再デビュー曲にして、云わずと知れた大ヒット。


黛ジュン


黛



恋のハレルヤ ☆ 黛ジュン









5,お別れ公衆電話 b/w ひとりぼっちの三等車/松山恵子 (東芝音工) 45's
1959年発売。両面ともタイトルからして時代を感じさせますね、おまけにこのジャケットのイラスト、素晴らしいです。正直、曲にはついていけませんが(苦笑)


松山


お別れ公衆電話 松山恵子







6,空港ひとりぼっち b/w 東京の夜/田辺靖雄 (Victor) 45's
1964年9月発売、前回取り上げた1963年の梓みちよとのデュエット"ヘイ・ポーラ"が歌手デビューだったようですね。これもタイトルの処理からイラストが最高ですね。


田辺靖雄

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12 コメント

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Unknown (uni)
2020-09-25 08:27:57
黛ジュン バックがブラックストーンズ
どんなバンドなんだろうね?
ジュンさんはビートルズカバーが素敵!
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Re:ブラック・ストーンズ (Jahking@管理人)
2020-09-25 08:48:51
"ヘイ・ミスター・ブルーバード"で東芝からデビューしたGSです(出したのはこのシングルのみ)。確か横浜出身で結構キャリアのある人たちのバンドで解散後、一部のメンバーが"思い出のシェリー"のシェリーズを結成したと記憶。昔、このシングルを中古で買ったことがあるので結構記憶しているバンドですが、そのシングルがヒットしたかはわかりません。
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追伸 (Jahking@管理人)
2020-09-25 08:51:26
ありました
https://www.youtube.com/watch?v=D66PAR8Cp5A

https://www.youtube.com/watch?v=Dpv-exQrq2U

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Unknown (uni)
2020-09-25 09:49:40
あっこれ聞いたことがあります。
本当にいたんですね。
すっかり忘れていました。ありがとう
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Unknown (funkytop)
2020-09-25 15:51:09
草原の輝きのイントロ、確かにジャッキーのドラムから始まるヴァージョンとストリングスから始まるヴァージョンとがあります。デビューして暫くはソノシートも出回っていたのでヒット曲でもその都度録音していたようですね。草原はストリングスヴァージョンの方が聞き覚えあるのですが、確かに当時友達とドラムソロから始めるイントロは青い瞳と似ている、なんて話をしたのを思い出しました。すっかり忘れていました、有難うございます。
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あおい輝彦とジャニー喜多川 (t-izu)
2020-09-25 16:35:59
以下は当時あおい少年が住んでいた公団の隣に居住していた家内と義兄から聴いた話です。
現在の代々木公園がワシントンハイツという米軍の居住地だった頃、ジャニー氏はおそらく通訳かなにか軍属として滞在していたのでしょう。さくごしに野球をやりたそうに見ていたあおい少年を見初めたジャニー氏が 試しにウエストサイド・ストーリーを見せると、野球よりこちらに夢中になったのが全ての事の始まりとのこと。
因みに近所の子供たちはこのワシントンハイツにもぐりこんじゃ野球をしていたらしいですし、家内曰くあおい少年のお姉さんがそれは綺麗な人だったとのことですが、ジャニー氏の興味を惹かなかったのはやっぱり当然なのかな、残念。
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Re:草原の輝き (Jahking@管理人)
2020-09-25 19:06:59
聴き比べてみると馴染んでいるのはストリングス・イントロ・ヴァージョンですね、やはり。今聴けばドラム・イントロのほうがバンドサウンドが全面に出てかっこいいですね。
wikiによると、CD化された際は何故かこのドラムイントロの方が最初に出回って本来のシングルヴァージョンはなかなか出なかったとか。
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Re:あおい輝彦とジャニー喜多川 (Jahking@管理人)
2020-09-25 19:31:10
柵越しに野球を見ていた少年を見初めたって、ジャニーさんの目からすると、よほどあおい少年は光り輝いていたのでしょうね。すごいお話です。
初期ジャニーズはウエストサイド・ストリーの歌と踊りが何よりのバイブルだったようですね。

2か月くらいまえだったか、達郎氏のサンソンでジャニーズの1966年に敢行された幻のアメリカ録音がかかりました。これには驚きました、完璧な英語によるリードとコーラス、アソシエイションの先を行く完璧なソフトロックに仕上がっていてもう目(耳)を白黒して聴き入ってしまいました。
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草原の輝き (Gravenites)
2020-09-25 23:00:38
生前の井上大輔さんがラジオで語っていましたが、この曲、最初、布施明向けに作ったそうです。

ジャニーズですが、「一生懸命べんきょ(勉強)してお国のために立ちましょう」の歌詞をなぜかずっと覚えています。
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Re:草原の輝き (Jahking@管理人)
2020-09-26 08:59:14
布施さん向けに作った......なるほど想像できるような。が、良く出来すぎたので自分たちで歌った!?ってこともないか(笑)
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