1,恋をあげよう b/w 恋の歯車/永田英二 (東芝) 45's
"あこがれ"に続く第2弾シングル、見事な青春歌謡ポップス。
かつてこちらで取り上げたファーストアルバム「恋をあげよう:永田英二 ビッグ・ヒットを歌う」の記事をご参照いただければ。
永田英二 - 恋をあげよう
2,いつか何処かで b/w 素敵な恋人/ジャニーズ (Victor) 45's
1967年9月発売、映画「君は恋人」の劇中歌、B面曲は中谷良のソロ。翌月もう一枚のシングルをリリースして12月にはこのオリジナル・ジャニーズは解散したのだそう。
上掲の永田英二もそうですが、正にGSブームの時期なのに迎合せず独自のポップス路線を歩んだのはジャニー喜多川氏に明確なポリシーがあったからなのでしょうね。
ジャニーズ
3,草原の輝き b/w マイ・サマー・ガール/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ (日本コロンビア) 45's
"白鳥の歌"に次ぐシングルで1968年6月発売。次が"さよならのあとで"、"雨の赤坂"と続き演歌路線に。
wikiによると3か月後の9月にはジャケットは同じなれど番号がLL-10060-JCからLL-10068-J に変更され、イントロやミックスが違うヴァージョン違いが発売されているのだそう。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ / 草原の輝き
ジャッキー吉川とブルー・コメッツBlue Comets/マイ・サマー・ガールMy Summer Girl (1968年)
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ/草原の輝き Summer Grass [another ver.]
4,恋のハレルヤ b/w つみな人/黛ジュン (Capitol) 45's
1967年2月発売、黛ジュンと改名して発表した再デビュー曲にして、云わずと知れた大ヒット。
恋のハレルヤ ☆ 黛ジュン
5,お別れ公衆電話 b/w ひとりぼっちの三等車/松山恵子 (東芝音工) 45's
1959年発売。両面ともタイトルからして時代を感じさせますね、おまけにこのジャケットのイラスト、素晴らしいです。正直、曲にはついていけませんが(苦笑)
お別れ公衆電話 松山恵子
6,空港ひとりぼっち b/w 東京の夜/田辺靖雄 (Victor) 45's
1964年9月発売、前回取り上げた1963年の梓みちよとのデュエット"ヘイ・ポーラ"が歌手デビューだったようですね。これもタイトルの処理からイラストが最高ですね。
"あこがれ"に続く第2弾シングル、見事な青春歌謡ポップス。
かつてこちらで取り上げたファーストアルバム「恋をあげよう:永田英二 ビッグ・ヒットを歌う」の記事をご参照いただければ。
永田英二 - 恋をあげよう
2,いつか何処かで b/w 素敵な恋人/ジャニーズ (Victor) 45's
1967年9月発売、映画「君は恋人」の劇中歌、B面曲は中谷良のソロ。翌月もう一枚のシングルをリリースして12月にはこのオリジナル・ジャニーズは解散したのだそう。
上掲の永田英二もそうですが、正にGSブームの時期なのに迎合せず独自のポップス路線を歩んだのはジャニー喜多川氏に明確なポリシーがあったからなのでしょうね。
ジャニーズ
3,草原の輝き b/w マイ・サマー・ガール/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ (日本コロンビア) 45's
"白鳥の歌"に次ぐシングルで1968年6月発売。次が"さよならのあとで"、"雨の赤坂"と続き演歌路線に。
wikiによると3か月後の9月にはジャケットは同じなれど番号がLL-10060-JCからLL-10068-J に変更され、イントロやミックスが違うヴァージョン違いが発売されているのだそう。
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ / 草原の輝き
ジャッキー吉川とブルー・コメッツBlue Comets/マイ・サマー・ガールMy Summer Girl (1968年)
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ/草原の輝き Summer Grass [another ver.]
4,恋のハレルヤ b/w つみな人/黛ジュン (Capitol) 45's
1967年2月発売、黛ジュンと改名して発表した再デビュー曲にして、云わずと知れた大ヒット。
恋のハレルヤ ☆ 黛ジュン
5,お別れ公衆電話 b/w ひとりぼっちの三等車/松山恵子 (東芝音工) 45's
1959年発売。両面ともタイトルからして時代を感じさせますね、おまけにこのジャケットのイラスト、素晴らしいです。正直、曲にはついていけませんが(苦笑)
お別れ公衆電話 松山恵子
6,空港ひとりぼっち b/w 東京の夜/田辺靖雄 (Victor) 45's
1964年9月発売、前回取り上げた1963年の梓みちよとのデュエット"ヘイ・ポーラ"が歌手デビューだったようですね。これもタイトルの処理からイラストが最高ですね。
どんなバンドなんだろうね?
ジュンさんはビートルズカバーが素敵!
https://www.youtube.com/watch?v=D66PAR8Cp5A
https://www.youtube.com/watch?v=Dpv-exQrq2U
本当にいたんですね。
すっかり忘れていました。ありがとう
現在の代々木公園がワシントンハイツという米軍の居住地だった頃、ジャニー氏はおそらく通訳かなにか軍属として滞在していたのでしょう。さくごしに野球をやりたそうに見ていたあおい少年を見初めたジャニー氏が 試しにウエストサイド・ストーリーを見せると、野球よりこちらに夢中になったのが全ての事の始まりとのこと。
因みに近所の子供たちはこのワシントンハイツにもぐりこんじゃ野球をしていたらしいですし、家内曰くあおい少年のお姉さんがそれは綺麗な人だったとのことですが、ジャニー氏の興味を惹かなかったのはやっぱり当然なのかな、残念。
wikiによると、CD化された際は何故かこのドラムイントロの方が最初に出回って本来のシングルヴァージョンはなかなか出なかったとか。
初期ジャニーズはウエストサイド・ストリーの歌と踊りが何よりのバイブルだったようですね。
2か月くらいまえだったか、達郎氏のサンソンでジャニーズの1966年に敢行された幻のアメリカ録音がかかりました。これには驚きました、完璧な英語によるリードとコーラス、アソシエイションの先を行く完璧なソフトロックに仕上がっていてもう目(耳)を白黒して聴き入ってしまいました。
ジャニーズですが、「一生懸命べんきょ(勉強)してお国のために立ちましょう」の歌詞をなぜかずっと覚えています。