OFFICE;TSUTSUMI blog

Jazz&Magic Bar WBGO、Live Information、日々のこと

レイ・ブライアントさん逝去

2011-06-05 12:24:00 | M.T

 

Ray Bryant, Jazz Pianist, Dies at 79<nyt_byline></nyt_byline>

 

Ray Bryant, a jazz pianist whose sensitivity and easy authority made him a busy accompanist and a successful solo artist, beginning in the mid-1950s, died on Thursday.

He was 79.

His wife of 20 years, Claude Bryant, said he died at New York Hospital Queens after a long illness.

He lived in Jackson Heights, Queens.

Mr. Bryant had a firm touch and an unshakable sense of time, notably in his left hand, which he often used to build a bedrock vamp.

Even in a bebop setting, he favored the ringing tonalities of the gospel church.

And he was sumptuously at home with the blues, as a style and a sensibility but never as an affectation.

All of this contributed to his accomplishment as a solo pianist.

His first solo piano album was “Alone With the Blues,” in 1958, and he went on to make a handful of others, including “Alone at Montreux,” “Solo Flight” and “Montreux ’77.”

His most recent release, “In the Back Room,” was yet another solo album, recorded live at Rutgers University and released on the Evening Star label in 2008.

Raphael Homer Bryant was born on Dec.24, 1931, in Philadelphia, and made his name in that city during its considerable postwar jazz boom.

Along with his brother, Tommy, a bassist, he played in the house band at the Blue Note Club in Philadelphia, which had a steady flow of major talent dropping in from New York.

(Charlie Parker and Miles Davis were among the musicians they played with there.)

In short order Mr.Bryant had plenty of prominent sideman work, both with and without his brother.

One early measure of his ascent was the album “Meet Betty Carter and Ray Bryant,” released on Columbia in 1955.

It was a splashy introduction for him as well as for Ms.Carter, the imposingly gifted jazz singer.

It was soon followed by “The Ray Bryant Trio” (Prestige), an accomplished album that introduced Mr.Bryant’s composition “Blues Changes,” with its distinctive chord progression.

That song would become a staple of the jazz literature, if less of a proven standard than “Cubano Chant,” the sprightly Afro-Cuban fanfare that Mr.Bryant recorded under his own name and in bands led by the drummers Art Blakey, Art Taylor and Jo Jones.

Mr. Bryant had several hit songs early in his solo career, beginning with “Little Susie,” an original blues that he recorded both for the Signature label and for Columbia.

In 1960 he reached No. 30 on the Billboard chart with a novelty song called “The Madison Time,” rushed into production to capitalize on a dance craze.

(The song has had a durable afterlife, appearing on the soundtrack to the 1988 movie “Hairspray,” and in the recent Broadway musical production.)

He later broke into the Top 100 with a cover of Bobbie Gentry’s “Ode to Billie Joe,” released just a few months after the original, in 1967.

But Mr. Bryant’s legacy never rested on his chart success or his nimble response to popular trends.

It can be discerned throughout his own discography and in some of his work as a sideman, notably with the singers Carmen McRae and Jimmy Rushing, and on albums like Dizzy Gillespie’s “Sonny Side Up,” on Verve.

“After Hours,” a track on that album, begins with Mr.Bryant and his brother playing a textbook slow-drag blues.

Along with his wife, Mr. Bryant is survived by a son, Raphael Bryant Jr.; a daughter, Gina; three grandchildren; and two brothers, Leonard and Lynwood.

Mr. Bryant’s sister, Vera Eubanks, is the mother of several prominent jazz musicians: Robin Eubanks, a trombonist; Kevin Eubanks, the guitarist and former bandleader on “The Tonight Show With Jay Leno”; and Duane Eubanks, a trumpeter.

 

http://www.nytimes.com/2011/06/04/arts/music/ray-bryant-jazz-pianist-dies-at-79.html?_r=1

 

ジャズピアニストのレイ・ブライアントさん(79)が、

2011.6.2、NYホスピタル・クイーンズでお亡くなりになられました。

心より 御冥福をお祈り申し上げます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寄付金をお渡ししてまいりました

2011-06-01 14:05:49 | M.T

 

 

1page

5月29日に開催されました、

『 東日本大震災被災地支援Benefit Concert vol.1 』 にて

みなさまのご支援により集まりました支援金は

総額34万3,731円 となりました。

本当に、ありがとうございます。

 

この合計は、皆様のチケット代1,000円全額、

開場には行けないけれどと

チケットを買ってくださった方もいらっしゃいました。

 

お受け取りになられた方も多いかと想いますが

    ↓

201105291853

 

当日手作りクッキー(私も食べたかった~)を焼いて

配って下さった 松山大学、上杉志郎先生とゼミ生の方が

チケットのもぎりをお手伝いして下さり、

そのゼミ生さんも1,731円寄付してくださいました。

 

あとパンフレットの売上益です。

 

共同募金会募金箱への募金もありがとうございました。

 

 

5月31日、松山市社会福祉協議会へ伺いまして、

松山市社会福祉協議会、石丸修 常務理事兼事務局長へ

皆さまを代表し、寄付金をお渡ししてまいりました。

 

Imgp2055

 

石丸事務局長からは 「必ず皆さまのお気持ちとお届けします!」と

温かく力強いお言葉と、

御協力頂いた皆さまへ感謝のお言葉を頂きました。

本当にありがとうございました。

 

ここから、愛媛県から被災地へボランティアの力を送る

大切な資金となります。

まだまだこれから、復興まで長い時間が掛かります。

食品支給の打ち止めや、ボランティアの激減など、

残念な情報も入ってまいりますが、

おかしなことにはおかしいと唱えたいし、

やれることはやっていきたいと想います。

私たちに出来る事は、案外あるのかもしれません。

石丸事務局長のお話では、市駅前での街頭募金も

今後も続けていかれるそうです。

最近では、応援疲れも耳にしますが、

出来る時に、出来る分だけでいいと想います。

100円でも10円でも、確実に役立ちます。

自分が元気でないと、応援も出来ません。

“被災地の方に申し訳ない” と、

すべての娯楽を我慢されている方もいらっしゃるようです。

私たちが日常に戻っていくことも、

復興への支援になるのだとも想います。

きっと私達の日常も、以前より地球にやさしく、

意識の変わったものになっていると想います。

東日本も西日本もみんな、

みんながつらい、みんなが哀しい、震災です。

一緒に歩いていきましょう。

 

この度は、本当に、ありがとうございました。

心より感謝いたします。

 

 

ベネフィットコンサート実行委員

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トーマス・エンコのメッセージ

2011-03-27 06:16:18 | M.T

 

残念ながらこの度来日出来なくなりましたトーマスより

日本のファンの皆様へメッセージを頂きました。

ご拝読下さいませ。

 

 

"Dear Sir / Madam,

I am very sad and shattered by what happened in Japan.

I love your country and I feel a deep pain for the victims of

the earthquake, tsunami and nuclear disasters.

In France, we had a lot of pressure

from our families and friends to stay here.

My friends Chris (bass-player) and Nicolas (drummer) decided

not to go,

and I respected their decision.

I thought I would be able to come solo,

because I really wanted to come, even without my band.

But I had even more pressure from my family, friends,

doctors etc., 

and finally I also had to take the decision not to come.

I am very very very sorry

to be forced to postpone this tour in Japan.

I imagine all the problems that it causes to you,

and I apologize sincerely.

My producer, 88-san,

understood my decision and was very kind to me, 

but I wanted to tell you personally that

I'm very sad about this  and I really hope that

I can come in a very near future to play for you.

 

Sincerely,

 

 

Thomas Enhco"

 

 

 

 

“日本で起こったことに、私はとても悲しみ、そして動揺しています。

私はみなさんの国を愛しています。

そして、地震、津浪、原発の災害による被災者のみなさまに

深い痛みを感じています。

フランスでは、私たちは家族や友人たちからここに留まるようにと

強く言われました。

友人であるクリスとニコラスは行かないと決め、

私は彼らの決断を尊重しました。

私は一人でも行こうと考えました。

なぜなら、私は本当に行きたかったのです。たとえバンドなしでも。

しかし私は家族や友人たち、医者たち等から更に強く止められました。

そして最後には、私も行かないことを決めました。

この日本ツアーを延期せざるを得なくなり、ものすごく残念です。

私はみなさんにもたらしたすべての問題を思い浮かべ、

そして、心からお詫びします。

プロデューサーである伊藤八十八さんは私の決断を理解してくれ、

とても優しくしてくれました。

しかし、このことについてとても悲しんでいることを

直接伝えたかったのです。

そして、早くみなさんのために演奏できるよう本当に願っています。”

 

 

 

 

という感じでしょうか。拙い訳ですみません。

とても誠実なメッセージで、そして

私たちをとても心配してくださっていて

嬉しく想います。

延期が決まってからも有難いことに

複数お問い合わせを頂いております。

9月頃に、来日を再考しています。

決まりましたらお知らせいたします。

皆様のご理解を頂きまして、

本当にありがとうございました。

 

 

OFFICE;TSUTSUMI

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬と人間と

2010-04-13 21:34:28 | M.T

4月といえど、暖かい日と寒い日が繰り返していますね。

皆さんお風邪など引かれていませんか?

桜の花びらもだいぶ散り、ピンク色のじゅうたん、

桜の木は若緑の葉がきれいですね。

お散歩に出掛けたくなる気分です。

川沿いは、犬連れの人が行きかっています。

かわいいですね~。

いつもお世話になっている松山の歌姫、大石玲子ちゃんも

可愛いラブラドールレトリバー3匹を飼っています。

この、「匹」というのも「飼っている」というのも、

正しい表現ではないくらい、“共に生きるパートナー”です。

以前、久万高原JAZZ PICNICにも一緒に来てくれて

とっても可愛い笑顔を振りまいてくれました。

 

0810111713

 

ラブラドールレトリバーは、人々を支えてくれている補助犬としても

非常に多く活躍してくれています。

補助犬というのは、よく耳にする盲導犬や、介助犬、聴導犬。

目に耳に手になり代わり、人の不自由を支えてくれています。

それが、現実はまだまだ補助犬に対する人々の認識が薄いらしく、

補助犬としてお仕事をしているところを障害されたりするそうです。

邪魔されるどころか、暴力を振るわれたり怪我を負わされたり。

それは補助犬でなくとも、時々NEWSなどで耳にします。

 

今は健常者でも、誰しも障害者になる可能性があります。

ただでさえどんなにショックなことかと想います。

立ち直り前を向けるまで、どれほどの月日が掛かるかわかりません。

そんな人々を支え、一緒に頑張ろうと生きてくれる補助犬に

どうしてそんなことができるのでしょうか。

それでも、それが現状らしいのです。

原因のひとつは、補助犬のお仕事を知らないこと、

補助犬の役割を理解できていないこと。

他人事ではないこと、知り、伝えなければいけませんね。

 

身体障害者補助犬法という法律もあり、

お店や病院、映画館、飲食店やタクシーなどでも、

補助犬同伴を受け入れることが義務付けられています。

そんな光景が自然なことになれば良いですね。

特別なことじゃなくなりますように。

もちろん、動物が苦手な方や、

アレルギーがある方とかもいらっしゃると想いますが、

どうか、ご理解頂きたいです。。。

自分が障害を持った時、補助犬と一緒に、

又、車椅子で、行きたいところへ行けるのかな?

バリアフリーじゃない場所で手を貸してくれる人はいるのかな。

まだまだ、健常者と障害者が遠い気がします。

 

先日、車椅子を使っている知人が八坂通りにいて

声を掛けました。 なんだか嬉しかったのです。

それでも、きっととても不自由だろうなと想いました。

ゴミが転がった狭い歩道・・・

どこにでも停め放題の自転車・・・

点字ブロックの上にまで飛び出した看板・・・

優しくないですね。

点字ブロックの上に看板を置いているお店に

入ろうとは想えないですけど。

 

私も、気をつけないとと想うことがたくさんあります。

やさしい町になりますように。

 

もしも、どこかでハーネスを着けた補助犬を見掛けたら、

彼ら彼女らのお仕事を そっと見守ろうと想います。

お仕事に集中している彼らの邪魔をしないように。

声を掛けたり、食べものをみせたり、撫でたりもしません。

例えば、信号など危ない場所にいる時や何かを教えるべき時、

もしも手助けをする時は、

補助犬ではなく、ユーザーさんに声を掛けるということも。

 

知らない人同士でも、困った時には

みんなが助け合いながら生活していくことって

すばらしいなぁと想いました。

 

大切なことを教えてくださって、ありがとうございます。

 

車椅子ででも ベッドででも、補助犬同伴ででも、

心置きなくライブに参加できるような環境や雰囲気を

築けていけたらいいなと想います。

 

 

staff

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Joshua's Daughter

2009-06-08 14:45:54 | M.T

Like_father_like_daughter

随分遅くなってしまいましたが

先日、来日Liveで来て下さったジョシュアの猫ちゃんを

ご紹介します☆

可愛すぎます・・・

お名前は、Brisket ちゃん です。

発音が難しく、時々「ビスケット」と言ってしまいます。

カタカナで書くと、「ビリスケット」が一番表現が正しいかも。

とにかくとにかく、可愛いです。

ジョシュアのNew Albumのジャケットには、

ジョシュアの写真ではなく、

Brisket の写真が載っています。笑

 

最後に、マスクブームに乗った(?)Brisket を。

 

Fromjoshua3

 

メガネの時から大きくなっていますね☆

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする