モノクロNEGAの整理も あと300本までこぎつけた。
一番古い写真は、昭和32年(1957年)頃、伊予三島(現 四国中央市)の海・砂浜で撮ったものだ。
今は全て護岸のためのコンクリート、防波堤になっているが(現 スーパーFujiの北の海辺)
昔は砂浜で、小学生(三島小)の頃は、各クラスで海水浴を楽しむ砂浜だったし、
三島港の東側から川之江まで美しい砂浜と松原がまるで三保の松原のごとく続いていた。
今は製紙工場で埋め尽くされている。
そして、昔の面影はない…。
その頃、おふくろにおねだりして買ってもらったカメラは
ツートンカラーのプラスティック素材で造られたスプリンフカメラ“コニレット”(1953年発売の小西六写真工業:現 コニカミノルタ)だった。
12枚撮りフィルムでサイズは(35ミリ孔無しパトローネ)35ミリより少し大きかったと想う。
とにかくよく写るレンズだった。
資料によると、発売時5,500円『低価格とともに、シンプル機能の「国民カメラ」を目指したカメラである』とあった。
3月中旬に長い歴史にピリオドを打つ梅津寺パーク。
意姫新聞の記事にもあったが、公園にあるステージでは、数多くのコンサートやショーが行われた。
沢山の歌手の伴奏をさせてもらったが、その中でもデビューして間もなくの頃の山口百恵ちゃんのステージは印象に残っている。
南海放送のスタジオでリハーサルをして、梅津寺へ移動、とにかく明るく健康的な女の子だった。
数年後、可也売れてきた頃、愛媛県民館(現 愛媛県美術館)で南海放送主催の山口百恵コンサートが開かれた。
許可をいただいて、ステージの真ん前で写真を撮らせてもらった。
その時お話をする機会があったので、梅津寺パークでのお話をすると、彼女はその時のことをとっても良く憶えていた。
カラーで2本ほど撮影したが、モノクロで撮っていたのはよく憶えていなかったんだけど、NEGAを整理していたら、なんと3本も撮っていた。
アップの良い表情のカットも沢山見つかった。
出来るだけ早くプリントしてみよう。