『諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦いそして玉砕したかを伝えられよ- アメリカ太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツ -』
我々が愚かだと思い込み、一切の価値がないとさげすんでいる先の大戦。近代化に目がくらんで、コモンロー この国の道理を投げ捨て、マルクス主義にそそのかされて帝国主義・反白人主義に走り、経済統制こそがこれからの流行だ国家統制こそがこれからの流行だと、権力に目がくらんで、突っ込んで行かされた大東亜戦争。天下の愚行であると認識するが、しかし同時に、全身全霊をかけて祖国防衛に立ち上がられた英霊の事を思うと、いまも涙なしには思えない。 しかし、今、その英霊たちが守られたこの国の国会を見よ。くだらない言い訳と詭弁、仮病に終始する国家指導者たち。恥も知らず、自決もできず、道徳も責任感も皆無の政権。当時の大本営もここまで愚かではなかったのではないか。政権には、大政奉還を。そして国民には、先人の労苦を思い起こしてもらいたい。我々国民は、無力ではあるが、恥知らずでも、恩知らずでもない。
「日本の狂った反日スポーツライターたち」より先の大東亜戦争=太平洋戦争においてアメリカ太平洋艦隊司令長官として日本の陸海軍と正面から戦ったチェスター・ニミッツ元帥は、日本軍の勇敢さと愛国心に敬意を表して「あれほど精強な軍隊は二度と地球上に現れないであろう」
と語っており、勇者は勇者を知るということか、ペリリュー戦の日本軍を讃える詩を書き残しています。平成六年に名越二荒之助・高千穂商大元教授らが中心となってペリリュー島にこの詩碑を建立されました。この詩碑には次のように記されています。
『諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦いそして玉砕したかを伝えられよ- アメリカ太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツ -』
かつて日本の委任統治領であったパラオは、日米両軍の激戦地となり、ペリリュー島の海岸は日本兵の血で染まり、一万余の日本軍人が玉砕してこの地に眠っています。昭和十九年十一月二十四日未明、激しき七十一日間の戦闘の果てに最後に残った日本兵たちは「サクラ、サクラ、テンノウヘイカバンザイ」
の打電の後、敵陣へ玉砕突撃を行って散華しました。この夜の敵軍の照明弾は数千発にも及び、ペリリュー島の上空は一晩中まるで真昼のように輝き、さながら桜の花のごとく散った日本兵たちを見送る、荘厳なる葬送のようであったと伝えられています。この戦いはニミッツをして日本兵の勇敢さに深く感動せしめ、ニミッツ率いるアメリカ太平洋艦隊は敬意をこめてこの島を「天皇の島」と呼びました。
●参考情報: ペリリュー島玉砕 また一九八一年に自治権を得たパラオは、強く勇敢であった日本への尊敬と憧れから、その国旗を青地(太平洋の海の色)に黄色の丸(満月)をあしらった月章旗、すなわち「月の丸」に制定しています。
いつの世も、勇者は敵からも味方からも尊敬されるのです。英霊の眠る島にひっそりと建つこの鬼哭(きこく)の詩碑は、それを私たちに教えてくれているのです。
しかしその人類の真理を 戦後日本人は、自虐史観によって忘却し、卑屈で臆病なる歪んだ戦後体制を続けてきました。
日本人が失ってしまった勇者の心、そして愛国心と英霊への感謝の心、それらを取り戻したときにこそ、日本の真の夜明けはおとずれるのです。ペリリュー島に近接するアンガウル島では、昭和十九年十月十九日に同島で玉砕した日本軍人を讃え、今でもこの日を日本軍人たちの魂がかえってくる「よみがえりの日」と名付けて、毎年祭祀を行っています。太平洋の海原に、大陸の大地に、熱帯の密林に、そして南十字星かがやく南洋の孤島に、祖国のために散華され、今は遥かなる雲の果てに眠るあまた幾百万の英霊は、きっと日本の「よみがえりの日」を待ち望んでおられることでしょう。いつの日か、再び強く勇敢な日本がよみがえるその日を・・・・。 日本とパラオ・ペリリュー島のお話(コピー)
◆以上、「暁か黄昏か 日本激動の時代が始まる」深田匠著 展転社からの引用です。
転載ここまで
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