ジロがゆく

なんとなく生きてます

「或る日突然」_三題話

2021-02-23 10:05:33 | 日記
【第1話】或る日突然、クシャミとハナズンダレが止まらくなりました。
  ※「ハナズンダレ」とは、「はなたれ」の意の鹿児島弁。「ハナ」は洟、「ダレ」は垂れ、「ズン」は強調する意の接頭辞の
   類ではないか、と思われます。

   因みに「ズンダレ」という鹿児島弁があり、これが、しまりがない、だらしない、という意味であることを念頭に置くと、
  「ハナズンダレ」の意味が、より実感を伴った理解がされ易いのではないかと思います。

 
  はじめは一過性のものだろうと高を括っていました。が、ティッシュボックスが空っぽになり、鼻の下がヒリヒリし始めるという事態に及んで、ハタと気がつきました。これは、あの悪名高い花粉症の症状ではないか、と。
  およそ20年前、当時この症状に苦しんでいた会社の同僚から、花粉症の発症はいきなり始まる、多分に心因性の要素があるようだから過度の心配は禁物、とのアド バイスを受けたことがあります。彼が「アマリ心配セン方ガエエよ」と言いながら、コチラに暗示をかけるような、ふざけた上目遣いの目つきをして見せたことを覚えています。わたしにはアレルギー体質の自覚がありましたから、そのとき以来、「♪ア~ルヒトツゼンクシャミガデルノー」というフレーズがときおり頭に浮かび、「 いつかそんな 時が来る」のじゃないかと、ひそかに気を揉むこともありました。しかし、ずっと無事 に過ごしてきたので、この分じゃ大丈夫だろうと特に気にすることもなく現在に至っていました。ところが、ついに「そんな時」が来てしまったようです。発症を見た日の昼頃、玄関のドア越しに訪問客とほんのしばらく話をしただけだったのに、ドアを閉めた直後に突然激しい症状に襲われることになりました。
  ハナズンダレのうえ、鼻の下にまで炎症を起こし、またクシャクシャのティッシュペーパーが山積みになった屑箱を抱え込んだヤモメ爺ィの有り様は、いかにもズンダレて見え、ホントにウジが湧きかねません。そのうえ、ティッシュペーパーの購入が度重なると、ただでさえ逼迫している財政状況をさらに悪化させる恐れもあります。そこで、使い古したタオルを引っ張り出し、とっかえひっかえ鼻の下をやさしく押さえるだけという、ケチ臭い防御作戦を採用いたしました。それで、半日間、なんとか戦線を維持することができました。
 翌朝以降は、目じりの辺りが少しムズムズしているような気もしますが、症状はだいぶ収まってきました。これで、鼻の下も荒れず、また、何より苦手な医者の治療も受けずに済みそうだと、胸をなで下ろしているところです。

【第2話】 或る日突然、咳が止まらなくなりました。
 クシャミとハナズンダレが始まる少し前から、咳がしきりに出るようになりました。激しいものではなく、また発熱もないので、目下流行のコロナウイルス感染ではなく、単なる風邪と判断しています。ただ、10年前に患った肺疾患の再発ではないか という心配は拭い去ることはできずにいます。
 困るのは、外出のときです。ハナズンダレとクシャミまたは咳が出る状態では、時節柄、白い目で見られたり、また、最近とみに増えたという’警世家’に見とがめられたりする恐れがあります。おかげで、外出の機会が激減し、買い物などのため、週に1~2回出かけるだけの状態になりました。
 なお、クシャミと咳の区別は、ハナズンダレを伴うか否かによるのだと思うだけで、正確なことはわかりません。

【第3話】 或る日突然、肩こりが起きるようになりました。
 また、上記と同じ頃から、左肩の凝りに悩まされるようになりました。亡母は、かつてはひどい肩凝り症持ちで、よく肩たたきをさせられたものでした。それは今では懐かしい思い出となりました。他方、これまで肩凝りという症状を経験したことがなく、かつ親不孝なわたしは、母親の体質を受け継がなくてよかったと思っていました。ところが、今は、幸か不幸か、母が味わったであろう辛さの幾分かを追体験しているところです。
 肩凝りの原因は、外出が減るのに伴って身体を動かす機会が減って、パソコンの前にズンダレた姿勢でうずくまる時間が増えたせいではないかと思っています。 わたしは、元々、姿勢が非常に悪く、その弊害を恐れてはいましたが、それが実際に発現することはありませんでした。机やパソコンの前でも常にズンダレた姿勢のままでしたが、肩が凝るということはなかったのです。

【結論でございます】(参考:受験生ブルース - 高石友也⑨番の歌詞の冒頭)
 以上、縷々述べたことは、いずれもからだの不調にかかわること。その原因はすべて、老化、体力低下ということに尽きると思います。体力は若いころの数分の一 (※当比 → 当人比? 当自比? 当私比?  ドレが当タリカナ?) に低下していると思います。以前、ブロ友に「75過ぎれば老いはつるべ落とし」と伺ったことがあります。わたしは現在77歳、なるほど、この2週間の間に、老いの坂の傾斜度が急速に高まったように感じています。かつての、老眼鏡の必要を感じた頃、以上の衝撃を覚えます。
 ここはまず、ズンダレた精神を叩き直す必要がありそうです。そうでないと、老いの坂が垂直に、あるいはそれ以上になってしまい、来年の今頃には、もっと悲惨な目に遭いかねないでしょうから(墜チタラオ終シマイ)。
 


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