台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ 135 また、やってしまった。また、パソコンが・・・・・。

2013-01-15 00:02:55 | 台湾
 今日、朝起きたら、パソコンが壊れていた。寝る前に「ウークマン」を充電していたら、・・・・・。
朝、パソコンがおかしい。朝は、忙しいので、・・・・。
 夕方四時帰り・・・・。いろいろ一人でやってみたら・・・・。以前に入れた「一太郎」「ワード」「エクセル」「パワーポインター」
すべて、すっ飛んでしまった。こりゃ、困った。前にブログのストック30個ぐらい飛んだ。
 日本に帰れば、妻のところには、「一太郎」等あるけど、今度、帰国するが、沖縄行きの切符購入してしまった。
パソコンのソフトを買うか、新しい、切符買うか迷う。
 まー。もう記事は、ストックせずにじかに書けばいいけど・・・・・。
そうすると、毎日毎日ブログを書くことに追われる。だから、思いついた時に書いておいた。一太郎が一番使いやすい。
大体、若い人は、『一太郎』などというものを知らないだろう。公務員・学校の先生を中心にはやったソフト。
 なんで、俺のパソコンばかり壊れる。
理由は、簡単。操作方法をあまり知らずに・・・・・。
 けど、昨日は、充電しただけなのに・・・・・・・・・・。
わかりません。もし、師範大学の人で「一太郎」持っている人がいたら・・・・・。俺に貸してほしい。
それが、一番安上がりだが・・・・・。いないよね。メイよ。あきらめるしかない。
だって、こんな失敗年中。また、教科書のCD等いれなくちゃ?
われながら、嫌になる。
 しょうがない。治郎張だから。
長く人生やっていると、さまざまなトラブルに会う。けど、ぜんぜん平気。だって、前回は、ブログをインターネットカフェ・大学でこれを
打った。だから、ローマ字だったでしょ。
 読者から、ローマ字で売ったところの元の原稿日本語バージョンにしてくれといわれたが・・・。
あるわけないでしょ。パソコンが壊れたのがこれで二回目。
 しかも、五ヶ月間で二回は、多いか?
また、写真等もない。文字だけのブログで我慢してください。写真は、現在の台湾生活のは、ある。一太郎に保存したやつ。
あきれたが、あきらめず、日々戦って、ブログを続ける。
なんといっても、俺が元気に生活している証だから。
 今日先生に大学生活は、五月一杯ぐらいにしたいと伝えた。
そしたら、「いいんじゃないの?」と云われた。俺もあまり大学生活には、こだわらない。自分の中国語が不十分と思えば学べばいい。
学ぶところは、大学だけと限らない。だって、俺には、三級とか資格は関係ない。中国語三級じゃ世間では、なかなか認められないが
何でも二級ぐらいないと、企業は、評価しないらしい。俺が二級取るには、最低二年ぐらい、いや、もっとかもしれない。知らない。
知っても、意味がない。なぜなら、彼は、中国語を重視する一般企業には、就職しない。後、難しい関門は、「観光ビザ」しかもっていない人を雇うところがあるかどうか?
 あまり先のことは、考えないことにする。
では、再見。
 
 

ブログ134 人生は、旅である。

2013-01-14 00:00:16 | 台湾
 私は、自分の人生を掛けて、現在台湾に生活しています。
私は、もう失うものが余りない。
少しのお金・車・家・誇り・みんなの幸せ・教え子とのひととき。孫の顔
娘の健康、元奥さんの健康・・・。
 この世で居られるのは、後20年と考えていますが・・。「いのち」さえ有れば
それは、俺が決めることではない。
神様・仏様・キリスト・誰でも好いが?
 それに,従います。
天寿とか天命を知るという言葉有ります。
私は、私なりの天命、天寿を・・・・・。
 あくまで予定だから・・・・・。
明日、治郎張は、死んでください。もうこの世には、必要有りません。
と言われたら・・・・。
 その時は、いつなの?
知りたくありません。
 どうして?
それは、まだ・・・・。勝負の途中。
私は、嫌いなのは、途中で勝負を投げ出すことです。
生きている限り、私は、私の天寿を全うします。
今日初めて、「中国語の故事」
私の教科書(まだ二冊目の8課に載っています。)を読んで意味がわかりました。

 やはり、人生は、旅。地図が無くても、言葉を知らなくても、なんとか生きています。そりゃ私も「馬鹿」ではないから、現在は、「言葉」を勉強しています。
中国語を何度言っても・・・・。大変発音が難しい。
どうしても、日本人は、『日本語』が邪魔しています。
意味がわかるだけに、「はつおん」が
比方説、(これは、ルーハンショウ。中国語です。) 比方説は、たとえばの意味。
例えば「良心」と言う言葉どのように発音しますか
「りょう しん」馬鹿。何を言っているんだ、
今は、「中国語」の話。
LIANG XIN と読んでください。その時に「 りやゃん、りゃん 」

りゃん
同じ発音の言葉を言い換えます。これが「ビンイン」 これは、文章だからことばを四回いいます。この発音は、第2声です。だから、少しけ最初より挙げます。すこしだけ、猫が鳴くような音を出してください。
三つめは、もっとむずかしい。上げて下げて。四番目は、一番簡単。
おもっいきり、つよく言い切ってください。
 私は、学生生活、いつまでやればいいか迷っています?
心は、日本語と同じ第一声。日本語と同じ。
だから、わからなくなります。なまじ、知っているだけに・・・・。
もっと、旅に出た方がいいのか?わかりません。
 このブログは、学生辞めても、台湾に生活している限り、つづけます。
 いつまでも・いつまでも
あなたたちのことを覚えています。人生は、別れと出会いの繰り返し。お前たちと出逢った俺は、本当にしあわせ。
ありがとう。                                            
                                            再見。    
                                               

ブログ 132 Sくんへの手紙2

2013-01-13 00:09:05 | 台湾
 私は、去年の6月から台湾へ来て、現在、学生をしています。
台湾に来た目的は、中国語の勉強の為でも、日本語の先生になることでも、お店を開くことでも、有りません。それは、途中経過で最終目的は、『幸せとは、何か』をつかむために来ました。
 目的と、手段を間違えている人が多い。
私は、いつも「自分の原点」を忘れずに勉強しています。だから、あまり、勉強には、こだわらない
私の中国語がへたでも、台湾人に通じれば、OKです。
そりゃ正確な発音で中国語を話した方がいいに決まっているが・・・。相手を理解をすぐできることが望ましい。けど、その人と親しくなる手段は、言葉が一番だが・・・。
私には、他の言語(英語・日本語・漢字・ボディラングエッジ・電子辞書)様々な手立てを等して 、伝えられればOKです。
 世の中、いろんな人がいます。「自分だけの物差し」だけで生きるのでなく、他の人の価値観も理解しながら、共に生きていきたいと思います。
 だから、学生の中には、勘違いしている人が多いように思う。
一番、最初のブログに質問をくれた・長崎の「S」くんなんかその典型。
彼に必要なのは、中国語ではなく『上手に人と交わる力』
 もちろん、彼は、俺なんかより、ずっーと中国語は、上。
はっきり言って。「もういいんじゃないの?」と思いました。けど、彼は、自分に厳しく、まだ、まだ、だと言って、夜中まで勉強していました。
 現在も、長崎で勉強していることでしょう。
俺は、君に必要なのは、同僚と酒飲んだり、飲めなくても一緒に居て、「話を聞く」努力が必要なのでは、と思っている。
 私は、あなたに質問されましたね。「何で、松木さんは、学校の先生になったのですか?」
先生ぐらいなら、「なれそうだ。ま、」という程度の認識で先生をしました。ところがしてみると、私の考えが「甘い」ことがよくわかりました。それは、37年という歳月の修行です。人間は、いろんなところで「修行」しなくては、一人前には、なれません。
もちろん、「自分のものさし」では、こんな人たちとは、付き合いたくない人もいる。けど、仕事となると・・・・。
 俺だって、自分にとって「苦手」な校長・教頭・平教員・職員もたくさんいた。
年中『ストレス』が溜まったときも・・・・・。けど、「仕事」だから。
『我慢』がつきものです。あなたは、勉強もできるし・・・・いろんな可能性が秘めています。31歳の大人。
 もう「親を安心させてあげなさい。」
親は、いくつになっも「子供」のことが心配です。だから、親が生きている間に『自立』しなくては、・・・・。そして、他の人と共存しなくては・・・。
 私があなたに言いたいのは、その「自立です」
人生で惨めなことは、誇れる仕事を持っていないということは、非常に寂しいことです。
もちろんそれは、『収入』を得る職業という意味だけでなく広い意味の「しあわせをつかむための仕事」。自分の心で やりがい・生き甲斐とか誇れるものを持つことです。
この姿を見て、もう息子は、大丈夫だ親は、安心して、この世を去れるのです。
 少しわかりにくいと思うが、頭のいいあなたのことだから、わかると思うのですが
                          再見。


ブログ131あの「鉄」と呼ばれた生徒は今?

2013-01-12 00:03:37 | 台湾
 私が初めて就職したのは、1975年。昭和50年4月1日。
私は、初めて「辞令」というものを貰いました。
私の故郷は、与野東中学校。私は、11年間この学校に勤めていました。
この学校でたくさんの想い出を作りました。一年、一年重ねる内に、
忘れてしまった生徒もあるが・・・。私は、鉄君と呼ばれた生徒の事は、一生忘れられません。かれは、与野東中のテニスコートの裏に住んでいました。
 もちろん、私は、担任ではありません。
私は、有る事情で二年間担任できませんでした。
 けど、鉄君の事は、大変心配していました。もちろん、扇くんの家も同じ。
子だくさん貧乏寺。
 子だくさんで、とても、貧乏な家を知ると・・・。
つい家庭訪問したくなる。
 私は、鉄君が卒業してから、鉄君の家へ・・・・。
家庭訪問は、俺の担任した白塚君の家だが・・・。その帰り道つい、気になり・・・。
 鉄君は、いつも・いつもみんなから、「馬鹿にされていました。」なぜ?
彼が勉強できない。家が貧しい。漢字が全部読めない。
 私は、そんなことより、彼がいつも・いつも掃除を一生懸命している姿。
私は、いつも彼を褒めました。だって、学校に来て「働く」生徒少ない。
勉強さえできれば、掃除しなくても良いと思っている生徒が多い中で、かれは、いつも掃除を一生懸命してくれます。
 彼の家を訪ねるのは、初めて・・・。やはり、俺の家と同じ臭いがしました。彼の家も相当狭い。私が、「今日は?」声をかけると、お母さんが出て、「誰ですか?」「与野東中の松木です。鉄君は、いますか?}{せんせいですか?そりゃ、どうも・・彼は、仕事に行っています。」「いいんですよ。」 「後、1時間もすれば・・・。帰ってくると思うけど・・・・」そんなことを話をしていると、鉄君が現れて・・・。『オー鉄久しぶり。』
『先生こそどうしたの?』{え?今そこまで来たついでに・・・}「おまえ成長したな。」{今、何しているんだ?}{俺今新聞配達}「すごい。働いているんだ。」
 嬉しかった。俺が勉強を教えなくても・・・。こんなに成長する。
「大丈夫だ。此奴は・・・」
もう此奴は、弱虫で泣き虫でみんなにいじめられていた「鉄」ではない。
彼は、立派に「鋼」に変わっていた。
 「鉄は、熱いうちに打て 」
小さい頃から、苦労している人間は、そう簡単に死んだりしない。
 三万人も・・・・・・・。
どこで日本の教育が間違えたのか?
 豊かな時代の病理。
俺の生きていた<昭和30年代、40年代には、・・・・・。>こんなにたくさんの人は、自殺を選ばない。
けど、現代は、安易に「楽」な道・・・・・・。る選びすぎではないか?
俺も一度だけ死にたいと思ったことは、あるけど・・・・。
俺は、死んでいない。強かにいつも・妄想と、現実をさまよいながら生き抜いていく。
 加油! 加油! 加油! 加油! 加油! 加油! 加油! 加油!
再見。

ブログ 127 姉さん、兄貴には、頭あがらない。

2013-01-09 01:14:39 | 台湾
 私は、末っ子。しかも六人兄弟。
兄貴が親父代わり。姉さんは、お袋の代わり。
だから、いくつになっても、姉さんや、兄貴には、頭あがらない。
 特に、一番上の姉さんは、中学校しか出ていないで、現在そば屋を経営している。
我が松木家の中で一番しっかりしている。頭も、俺何かよりずっーと良かった。
きっと、高校行きたかったのだろう?しかし、彼女は、そば屋に15歳で働き始めた。
姉さんの偉いのは、少ない給料にもかかわらず、毎月、ケーキを買ってきてくれた。だから、姉さんの給料日は、我が家は、大変。
 何が?
わからないだろうな。ケーキの争奪戦。兄貴が阿弥陀を作り、姉さんがケーキを切る。
その切った瞬間にみんなの目がケーキに注がれる。
どれが一番大きいか。阿弥陀を作り、ケーキに番号が置かれる。
そして、一人一人が一本ずつ線を加えて、どこがどこだかわからないように・・・。
 それから、じゃんけんをして、抽選の順番を決める。それから抽選。
俺は、いつも小さいケーキが当たる。そうすると、お袋が俺のと交換してくれる。
そうすると兄貴が{汚ねぇ治郎!!。}俺は、いつも殴られる。けど、どんなに殴られても、お袋のケーキは、俺のケーキとチェンジ。
 この毎月の行事は、姉さんが結婚するまで続いた。,姉さんは、24、5歳で結婚。
しかもその旦那さんの「春ちゃん」もとてもいい人。
姉さんの結婚相手も、兄貴の結婚相手も、俺が選んだ。
 どうして、治郎張が選んだの?
だって、姉さんも兄貴も、それぞれ何人かボーイブレンド、ガールフレンド逢わせてくれた。こいつは、あまり良くないよ。此奴は、姉さんに向いていない。生意気な意見を言っていた。なんで「治郎張」には、人間の品定めできたの?
 それは、俺が少しドモリだったから、人間観察に自信があった。不思議、今ドモリ
直ったら、昔ほど、人間観察鋭くなくなった。
 人間というのは、一つ「障害」のようなことあったら、何か代わりに別の特性を持っているような気がしている。今は、昔ほど、人間観察鋭くなかった。た゜って、今ドモリでないから。
 大体、結婚生活といのは、「バランス」が大切。おしゃべりの相手には、少し無口。
金遣い粗い人には、しっかり者の奥さん。そのバランスを見るんだよ。そうすると、この人には、この人・・・。似たもの夫婦もあるが。大体わかった。当時小学校6年生ぐらい。
 そんなに鋭い治郎張がなぜ?結婚に失敗するの?
それは、俺が子供大人だったから。彼女は、今も昔も賢く、優しく、しっかり者。
それに対して、俺は、自由気ままなギャンブラー。
 ま、俺のことは、置いておいて、
 俺の性格は、結婚に向いていない。結婚をしては、いけない性格。向いていない。
何か、俺の中に兄貴や姉さんにあって、俺にないもの・・・。
 一言で言うなら「我慢」かな。
しょうがない。「すえっ子」でわがままに育ったから。
                                 再見。