恋塚寺 京都市伏見区下鳥羽城ノ越町3-1 寺伝によれば、平安時代の末期、北面の武士遠藤武者盛遠が、渡辺佐衛尉源渡の妻、袈裟御前に横恋慕し、誤って彼女を殺してしまった。盛遠は己の非道を深く恥じ、直ちに出家して文覚と名乗り、彼女の菩提を弔うため墓を設け、一宇を建立したのが、当寺の起りといわれている。
本堂には、本尊阿弥陀如来像の外、袈裟御前と源渡、文覚上人の三人の木像を安置している。
茅葺の山門
袈裟御前
本堂
内陣
渡辺 袈裟御前 文覚
文覚上人
帰りのバス停
参考 当寺 Home page