私的なことばかり書いているからと言って、私自身が国際情勢や日本の出来事に無関心でいるわけではありません。「集団的自衛権」に関して、憲法の解釈変更によって新しい次元に国を導こうという腹づもりの安倍総理大臣が行った先日の公式の意思表明については、少々がっかりしたと言わなければなりません。
「集団的自衛権」の是非そのものではありません。「集団的自衛権」なるものをどこまで認めたいのかという核心部分について、納得のいく詳しい説明がありません。「国民の生命と、平和な暮らしを守る」ために法制度の整備が必要だということを、言ってみれば程度の低いレトリックを使って訴えているだけでした。がっかりしました。
現在海外に150万人の日本国民が暮らしており、年に1800万人が海外に出かけている現状をとらえて、もし海外で戦争が起こり、日本人を戦争が起きている国から救出するために「米国の船(すなわち米軍)」が活動したとして、その米軍の船が攻撃を受けたときに、日本の自衛隊はこれを守ることができないと首相は言う。この例は安倍さんの演説の最初の方に出てくるのです。私は笑ってしまいました。米国ではなく、日本国が救出活動をするのが先で、もしそれを阻害する事態になった場合にはどう対処するかと考えるのが政治です。いきなり「米国の船」という例があまりに唐突で現実味に乏しいのです。
次に、PKOの要員やNGOの人たちが海外で武装集団に襲われた時、いまの法律では自衛隊が守ることができないのだと言うのです。安倍さんは「子供や孫がそこにいるかもしれない。その生命を守る責任を内閣が負っている」と力強く宣言します。ところがその責任を果たそうとしても、今の憲法解釈のままでは果たすことができない、つまり、現状ではその責任を内閣に放棄せよと言っていると安倍さんは考えるのです。果たしてそうでしょうか。安倍さんが言っていることが良くわかりません。責任を放棄せよとは誰も言っておらず、もっと知恵を出せと言っているのです。
さて、いちいち総理大臣の発言について難癖をつけていても仕方ありません。安倍さんの一番言いたいことは、今あげた2つの例だとは到底思えません。後半に出てくる発言の方がはるかに重要です。「日本が再び戦争をする国になるという心配があるが、私は憲法の平和主義を守り抜く。・・・あらゆる法整備をしてこそ、日本が戦争に巻き込まれることがなくなる。」と言い切っているこの部分です。
安倍さんが言うところのあらゆる法整備とは、自衛のための武力行使と国際法上の合法的な活動にどう加わるかという2点についてです。特に自衛の概念変更が重要です。同盟国が戦争状態に入ったとき、自衛隊を派遣して同盟国を助けるという、一般的にこれぞ「集団的自衛権」と言われている事柄には安倍さんは直接的には言及しませんでした。むしろイラク戦争などを例に、そのような戦闘に日本が参加することはないというのです。
ところが彼は「日本の安全に危険が及ぶ可能性があるときはこの限りではない」と言いました。つまり、国際紛争がどのような性質ものであれ、政府が「日本の安全に危険が及ぶ<可能性>がある」と判断すれば、自衛隊を派遣できるようにしたいと言っているわけです。このあたりが一番の論点だと私は思うのですが、それはさらりと触れただけで、最後に再び「国民の生命と平和な暮らしを守る」ために「各国との協力を深めれば、戦争に巻き込まれることがなくなる」と言ってのけました。この点は大いに議論の余地がありますね。
各国との(とくに軍事的な)協力を深めれば深まるほど、必然的に戦争に巻き込まれる可能性は大きくなります。それは歴史が証明しているところです。いまさら説明を要しないと思います。もちろん全方位外交、あるいは八方美人外交とでも言うような外交方針でもって、特定の同盟グループに肩入れしないのであれば別です。でも戦前も戦後も、日本はそのような道を選択しませんでした。戦争に「巻き込まれる」可能性の大きさだけから言えば、安倍さんが望んでいるような方向に憲法解釈を変更すると大きくなることくらい誰でもわかるのではないでしょうか。それを「なくなる」と言い募るのは、ちょっといただけません。まやかしとは、こういうことを言うのです。もっとはっきりと、「たとえ将来他国と戦争することになったとしても、国家には守らなければならないものがある」とか言えないのでしょうか。古い言葉ですが、「日本人の戦争アレルギー」を慮って本当のことを言わない。これはいただけません。本当のことを堂々と言えない政治家に国の将来を任せることはできません。
つまり、私が安倍さんの演説で何が気に入らなかったかというと、語っていることの大部分が「子供騙し」の論理で組み立てられていることです。もっと言えば国民をばかにしたような論法で、この重大な問題についての考えを総理大臣として述べている点です。そこには、郵政民営化問題で演説した時の小泉さんのような、燃える情念のカケラもありません。もしあれば、もっと真摯に、小賢しいレトリックを動員せず、単純にストレートに訴えかけるべきものではないでしょうか。もし祖父の岸信介の思いを今に実現したいというのであれば、総理大臣としては、それはあまりにも浅薄にすぎます。国のリーダーとしては器が小さすぎます。
安倍さんの言うように、「世界が日本の役割に期待している」ことは大体その通りかもしれません。しかし、それが自衛隊の武力行使の制限の撤廃もしくは緩和だと誰が言い切れるのでしょうか。安倍さんの言う「積極的平和主義」の内実が「武力による平和」をイメージしていることははっきりしています。それは日本国憲法の精神とはほとんど相容れることができません。私はその昔存在した非武装中立論者ではありませんが、あんまり国民をばかにしたような議論が横行する日本国の政治の現状はとっても不愉快です。きちんと時間をかけて、からめ手からではなく改憲の是非について議論していくことが、今の日本の政治家の最大の課題のひとつではないでしょうか。そこから逃げるようなことでは、再び言いますが、日本の将来を委ねることはできません。
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日本の自衛隊は一切何もできないからね。
政治じゃなくて憲法で全部禁止されてるから。
だから海外で日本人が死のうが日本政府は何もできない。アメリカ様お願いしますという話だから。
もし仰るように憲法で全部禁止されてるなら、安倍さんのやろうとしていることは全部でたらめですね。
憲法を変えないでおいて、自衛隊が海外で戦闘行為に加わることができるようにしたいと言うんですから。安保法制懇は「憲法を変えなくてもできる」と言って、改憲の議論を棚上げしてもよいと答申しているわけです。変です。
「 憲法の文言の定め 」により成立します。
つまり憲法の文言表現とその定め に違反する
又は拡大解釈すること自体が憲法違反です。
たとえ首相であっても「私はこのように解釈する」
なんて主張自体が憲法違反です。
首相の解釈なんてどうでもいいのです憲法第9条に
書かれている通りに仕事をすればいいと思います。
立法から長時間を経て改正・変更すべき法律はあ
りますが憲法も同じで改正変更すべき必要があれば
憲法改正をまずすべきであり、憲法に触れずに
屁理屈で固めた法解釈の主張は世界中の笑いも
のだと感じますね・・・・・・
インラックさんを失職させた「タイ憲法裁判所」の
メンバーがよほど立派で論理的ですね・・・・・・
経済政策も政府の仕事として極めて重要ですけど、「安全保障」は、それに勝るとも劣らず重要ですね。
集団的自衛権に関連しますが、中曽根内閣の時に自衛隊のペルシャ湾派遣に、断固として異を唱えた後藤田正晴官房長官のような、何があっても筋は絶対に曲げないという政治家はもう日本にはいないのでしょう。
何か日本の政治が、そして日本の空気全体が「ご都合主義」に大きく傾斜しているようにも思えて、時々胸が痛くなる時があります。権力を持っている者の「ごまかし、まやかし、はぐらかし」は許してはなりませんね。
自衛隊だって本来はもてない筈です。
自衛隊だって本来はもてない筈、ということは「違憲」だというご意見なんですか?かつては、そういう主張を述べる人たちがいましたね。
防衛大学での当時の吉田総理の演説に愛情溢れる
言葉があります、やはり素晴らしい政治家ですね~
「 君達は国民から嫌われ非難され石を投げられる
こともあるだろう、現在の日本ではやむを得ないが
将来において国防組織として理解されるだろう 」
言葉の使い方や表現もありますが自衛隊はどこま
で行っても「国防組織」ですのでアメリカとは何の
関係もありません、アメリカも日本を守らないでしょう
吉田茂総理もそのことをはっきり表明していますね。
第三国が日本国内の日本人に対して暴力をふるえ
ば反撃は国防行為ですが、仮定や条約を主とした
「 論理的空中戦 」 は国防的争いではありません。
不利にも感じますが「基本スタンス」を緩めると際限
無く争いへの道を歩むことになりかねないと思います
仰る通り、基本スタンスがぐらついていると、「何でもあり」のご都合主義になりかねません。
よく物事を「柔軟に、柔軟に(考えろ)」と諭す人がいますし、私も若いころよくそう言われました。柔軟に考えるのはいいのですが、考えた結果、基本的なスタンスをしっかりと確立しないとダメですね。(最近では)後藤田正晴のような、ぶれない考えを持った人が権力の中枢にいないのでしょうか。
吉田茂は、父親が土佐の自由民権運動家でしたよね。土佐の人は、ぶれない人が多いような気もします。私事ですが、20代と30代のころ、仕事で四国に都合8年間もいたので、四国の人には親近感を覚えます。