楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

タイ語の授業でちょっとした騒動

2013-06-14 21:32:24 | タイの暮らし

騒動と言っても誰かが喧嘩したわけではありません。授業のやり方をめぐって、生徒の一部と先生との間で議論になったのです。

今日でタイ語の授業は始まってから2週間が経ち、レベル3の60時間のうちの半分が終わりました。授業は、タイ文字を見ての発音練習、簡単な単語や文の書き取り、比較的簡単な会話の練習、それに今週は生徒同士の会話に代わって、タイ語によるディベートとプレゼンテーションが加わりました。議論が起こったのはプレゼンテーションをめぐってでした。

先生が毎日つぎの日のプレゼンテーションの課題を決め、「時間は一人5分でも3分でもいいですし、難しいことを話さなくていいですよ。」そう言って授業が終わるのです。そして翌日の授業で、一人ずつみんなの前に出て話すのです。もちろんタイ語ですが、私以外は英語が母語なので、英語もかなり混じります。テーマは、「自分の出身地の紹介」から始まって、「タイの文化」と続き、昨日与えられた課題は「歴史」でした。歴史と言ってもタイの歴史という意味ではなく、何でもいいから歴史について話せというものでした。

「出身地の紹介」は、白板に自分の国の地図を書いたりしながら、生徒9人のうち8人がやりました。(10人いたのですが、すでに一人が脱落しています。)ところが「タイの文化」についてプレゼンしたのはたったの3人でした。私はタイの食文化、とくに「米」について話しました。あとの2人は「タイ人の微笑(イム )」と「タイ人の思いやり(ナムチャイ)」について話しました。そして今日はタイ文化のプレゼンの続きをやるはずでしたが、一人の生徒から異議が出たのです。

要するに、自分はタイ語の発音と文字、そして会話の勉強に来ているのに、いきなりタイ文化や歴史について話せと言われても無理である。しかも毎日のように課題が与えられると、話す内容を考えることも大変だし、それ以上にタイ語の単語を調べるのに相当の時間を費やさなければならない。このプレゼンテーションの時間はやめてくれないか、というクレームでした。

アメリカ人のその発言に続いて、カナダ人の一人も声を出しました。「そもそも、上手な人のプレゼンテーションを聞いても、自分はタイ語の意味がわからない。レベルが高すぎてついていけない。」そしてイギリス人の女性は、生徒同士の会話の方が楽しかったというのです。

この議論は英語で40分くらい続きました。そのおかげで今日のプレゼンテーションはお流れです。私は能力はなくても至ってまじめな生徒なので、昨日1時間以上かけて「日本とタイの鉄道の歴史」についてプレゼンする準備をしました。今タイでは高速鉄道計画が進んでいるので、日本の新幹線の歴史についても話す予定で、まず「高速鉄道」というのはタイ語でどう言うのかから調べたりしました。でも今日はまったく出番がなく、ただただ皆さんの英語の議論を聞いているだけでした。内心どう思っていたかと言うと、生徒同士の、「昨日何食べた?」「ビール何本飲んだ?」みたいな、どうでもいい会話よりも、プレゼンテーションの準備をすることの方がよほどタイ語の勉強になると感じていました。

先生は、「みなさんはプレゼンテーションを難しく考えすぎているのではないですか。タイの文化といっても、知っているタイ料理のことをやさしい単語を使って話してもいいし、出会ったタイ人の印象を話すだけでもいいんです。そんなに難しいことではないんです。」と、反論しました。そうすると生徒の一人が「じゃあ、文化とか歴史とか面倒なテーマではなく、もっと日常生活に即したテーマを自分で決められるようにしてもらえないか」と提案しました。それに対して先生は、「もし私が与えるテーマが嫌なら、自分で選んだテーマで話してもいいことにしましょう。でも、繰り返しますが、何も難しく考えることではないんです。自分の知っている言葉を使って簡単に喋ればいいんですよ。時間は2分でもいいのです。ゆっくり話せばいいですし、正しく話せなくても、何も恥ずかしいことではありません。」

アメリカ人やイギリス人はプレゼンテーションが好きだと思っていたのに、どうやら外国語でプレゼンすることを相当の負担に感じているようでした。そうなんですよ。「英語が母語ではない人の多くがいかに苦労しているか思い知れ!」とまでは言いませんでしたが、感情としてはそれに近いものが湧いてきました。私も負担は負担ですが、そもそも楽して外国語が上達するわけがないと思っているので、完全に先生の側に立ちました。それと、もしレベルが高すぎるのなら、レベル3に来ないで、1か2をもう一回繰り返せばいいじゃないかとも思いました。

タイ語の読み書きと会話がずば抜けて上手なスロベニア人の男性は、この議論には一切加わりませんでした。私は最後に「私はタイ語と英語の2つの外国語を同時に学べるので楽しいですよ」と皮肉のつもりで(英語で)発言しましたが、それが延々と英語で議論している数名に対する皮肉だということは、誰も分からなかったようです(笑)。

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
会話にも品格を (ribon)
2013-06-14 22:32:13
数年前ですが藤原先生のかかれた国家の品格の一説を思い出しました。語学を学ぶ中でいくら流暢でも中身の無い会話は恥をかくだけである、流暢でなくともその国の文化や歴史について語れる品格のある会話が大切であると書いてありました。ウサギさんを除く一部の生徒さんは単なる井戸端会議の会話が必要なんでしょうね。タイを永住の地と決めたからにはウサギさんのような考えで有って欲しいものです。ついついウサギさんと藤原先生がだぶってしまいました。
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Unknown (karatodai)
2013-06-14 22:35:42
先生の言ってることわかるんだけど…
この生徒さんたちは完璧主義なのか?
単語を調べる行為も話せることにつながるわけだし
それが基本でもあると思うけどなぁ
ホント、難しく考えすぎだわ
マイペンライでいいんじゃないですか(⌒▽⌒)
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ribonさんへ (うさぎ)
2013-06-14 23:09:00
コメントありがとうございます。
いつも書いていることを褒められているような気がして、こそばゆいのですが、藤原正彦は新田次郎の息子の数学者でしたよね。思想的には私と相容れないところもあるのですが(笑)、私も「歴史」と「文化」というのは、どちらも定義は難しいですが、人間の持つべき教養としては最も大切な柱ではないかと思っています。

私としては、日本についてきちんと語れる教養と、(英語もタイ語も)語学力を死ぬまでには身に着けたいと思います。
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karatodaiさんへ (うさぎ)
2013-06-14 23:16:37
コメントありがとうございます。
ひょっとして私よりも、むしろクレームをつけた生徒の方が真面目なのかもしれませんね。そのアメリカ人、タイ文化についてのプレゼンのために、タイ語の単語がびっしりと入った英語のペーパーを用意していましたから。

私などは、話の核になるタイ語の単語を4つか5つ、メモしているだけですから、いい加減です。昔から、要領がちょっといいだけで、かなり適当にものごとをこなしていましたね(笑)。でも、60過ぎたから頑張りますよ。
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この議論はおもしろく拝聴しました。 (JIMMY)
2013-06-15 12:45:58
受講生さんたちがみんな真面目であると仮定したうえで
言葉はオーラルだという意見と、言葉は意思表現だという意見かとおもいます。
外国人の日本語学習でもみられますが、オーラルコミュニケーションだけだと買物に行く時の言葉になるし、意思表現にこだわると普通使わない言葉になっちゃうし。
どっちもアリだけど、生徒同士のオーラルでは力は付かないし、言いっぱなしの表現だと、正しいタイ語かどうかわからないので聞いてる生徒は不安になるかもしれないですね。
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「外国語を学ぶと言うことは、 (hgn (あみん))
2013-06-15 18:33:54
単に言葉を学ぶと言うことではない」とは、大学時代に選択したマイナーランゲージの先生が言ったことです。
 言葉の背景にある歴史や文化や、その他様々なことを知らなければ、流暢に喋れたとしてもそれで終わり。薄っぺらな、中身のないモノになるのだから。
 私は、その学校でのスピーチ授業って、とっても良い授業だと思います。一つの文を作るために、いろいろ調べる。その作業が、自分自身の勉強になると思いますから。

 転じて、今よく叫ばれる「国際人」。単に言葉ができるだけではダメですよね。自国の文化、歴史、社会……、その他様々なことをろくに知らないくせに、外国語が少々できれば「国際人」と勘違いしている輩の何と多いことか。正しい「母国語(母語にはあらず)」もできないくせに、英語、英語……と騒ぐ日本人。でも、その前に、正しい日本語を勉強する方が先だと思っています。
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JIMMYさんへ (うさぎ)
2013-06-15 20:49:07
コメントありがとうございます。
子供ではなく、大人に外国語を教えるというのは大変だと思います。仮に生徒の母語(最初に身につけた言語)が同じだとしても、年齢や文化的・社会的バックグラウンドが異なるだけでなく、授業に求めているものもかなり違う場合もありますから。

プレゼンテーションは、先生も加わった質疑応答もあるので、私は日常会話の練習よりずっといいような気がします。ただし中級くらいから。
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hgnさんへ (うさぎ)
2013-06-15 21:12:03
コメントありがとうございます。
言葉は、書いたり喋ったりする人の品格があらわれるものなので、母国語も含めて一生勉強ですね。ほとんどの場合、言葉を通じてしか知識や知恵や思想を学ぶことができないのですから。

外国語・・・日常会話はぺらぺら喋る必要はなく、最低限必要な単語をまずまず適切に並べられれば十分のような気がします。外国人ですから、多少発音が変だったり、語順を間違えても、大概理解してくれますね。

それ以上の意思疎通や意見表明は、その人が勉強や仕事を通じて自分の中に何を蓄積してきたかにかかっているのでしょうね。語学力と同じか、それ以上に重要なポイントだと思います。
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個人的には (トトロ)
2013-06-19 19:04:49
ファランの生徒さんたちは「ちょっと重く考えすぎちゃったんじゃないかなあ」って思いますね。
ただ、先生の方針には賛成です。こういうことも大事なんじゃないかと思いますよ。
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トトロさんへ (うさぎ)
2013-06-20 09:45:37
コメントありがとうございます。
あれ以来、先生の出す課題が軽くなりました。たとえば昨日は「家族」でした・・・。
結局「日本とタイの鉄道の歴史」のスピーチは封印されたままです。
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