楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

妻の身に起こっている異変とは

2014-12-07 20:57:06 | タイの家族

2番目の娘に玉のような赤ちゃんが誕生する直前のことでした。私は妻の身に起こっている忌まわしい事態を知ることになりました。

妻の右腋に以前からあったシコリが徐々に徐々に大きくなり、今年の8月ごろから少しずつ痛みを伴うようになりました。しかし4か月間、妻の訴えに対して担当の医者は「大丈夫ですよ」と言うだけで、何も調べてくれませんでした。11月中旬、ようやくのことで問題個所から細胞を吸い取って調べるFNA検査をやってくれました。そして2週間後の11月27日、妻と私は検査結果を聞きにチェンマイ市北部のメーリムにあるナコンピン病院へ行きました。

妻に乳がんが見つかったのは2010年4月のことです。右の乳房に2センチくらいのステージⅡの乳がんがあったのです。当時妻は日本を離れてバンコクに住み始めたばかりでした。医療水準も治療費も一級で、どんな病気でも迅速に対応してくれると評判のバンコク病院で最初の摘出手術を受けました。その後、タイの東大と言われている国立チュラロンコーン病院で再発予防のための抗がん剤治療と放射線治療を受けました。

ところが2011年12月、右腋の下に小さな再発病巣が見つかりました。やはりバンコク病院で2回目の手術、その後チュラロンコーン病院でまたしても抗がん剤治療を受けました。

2012年4月にバンコクからチェンマイに引っ越してからは、妻はチェンマイ大学の附属病院へ通うようになりました。去年10月のCT検査では、小さなシコリが前から認められる右の腋の下を含め、とくに今は異常はないという結果でした。(乳がんが見つかってからの経緯は詳細にわたってブログに書きました。)

そうこうするうちに、健康保健(いわゆる30バーツ保健)で受診できる病院を強制的に変えさせられ、通院する病院はナコンピン病院に移りました。再発転移が一定期間見られない安定したがん患者は、Aクラスのチェンマイ大学病院ではなく、Bクラスの公立病院へ移るように指示されたのです。2年間、妻を定期的に診察してくれたチェンマイ大学のベテラン医師は「あなたの場合は結構複雑なので、ナコンピン病院では無理でしょう。また戻してもらったほうがいいですね。」

妻が今年の5月から大体2か月に一度、都合5回通ったメーリムにあるナコンピン病院は地域医療の中核を担っている大規模病院で、いつも患者であふれています。定期的に通ってくるがん患者も多いのですが、チェンマイ大学病院とちがって、最新の検査設備はありません。CTスキャンすらないのです。

さて、11月27日は午後1時の予約なのに3時間も待たされ、4時近くになってようやく診察室に呼ばれました。50代半ばくらいと思われる担当医は検査結果の紙をつらつらと眺めてポツリと言いました。「がんでしたね。」妻は私の顔を覗き込むようにして「がんだって。びっくりする・・・・」と呟きました。それでも顔の表情は無理やり笑顔を作ろうと努めているのが私にはわかりました。

医者は「またチェンマイ大学に戻ってください。」そう言いながら何種類かの書類を手早く書き、「腺がんのリンパ節転移」などと英語で書かれた細胞検査の結果と合わせて妻に渡しました。いよいよ来るものが来てしまった。遅かれ早かれ、再発転移の可能性があると覚悟はしていたものの、一度はがんではないと診断されていた右腋の下が癌になっていたのは予想外でした。それなら、ずっとチェンマイ大学病院の専門医に経過観察してもらうべきだったのに、この4月から11月まで、8か月間もの「空白期間」ができてしまったのと同然でした。

妻と2人で再びチェンマイ大学病院を訪れたのは、赤ちゃんが生まれた翌日のことでした。8か月ぶりに顔を合わせた老医師は触診したあと、4種類の検査を受けるよう指示しました。肺、肝臓、全身の骨、それにホルモン剤治療を続けていたので、子宮の検査です。

肺と子宮の検査はその日のうちに終わりました。子宮は問題なし。肺のレントゲンは次回の診察時に結果がわかります。ところが骨の検査(シンチ検査)は2か月以上待ちで、来年の2月になるというのです。乳癌の転移のばあいは、治療に一刻を争うというものではないらしのですが、それでも遅すぎます。保健を使わず自費でやると言ったら、2週間以内に検査できることになりました。ゼロから3800バーツに代わるだけです。肝臓の検査も1か月半待ちだというので、これも自費にしました。800バーツです。

臓器への転移の有無にかかわらず、来週の月曜日にがんの専門医の集まるミーティングで妻の治療方針が検討されることになっています。おそらく抗がん剤を使い始めるべしという結論になるのでしょう。この4年余りの間に、すでに強力な3種類の抗がん剤を再発転移の予防のために使っていますので、今後はどうするのでしょうか。

妻は8か月ぶりの診察のときに2つのことを医者に質問しました。ひとつ目は、「もし抗癌剤を使うとすれば、保健が適用されない最新の抗がん剤を自費で使いたいと主人が言っているのですが、どうでしょうか?」それに対する老医師の答えはこうでした。「高い薬を使ったからといって、それが効くかどうかはまったくわからないんです。これまでの経験で言うなら、保健外の薬はお金の無駄です。」

もうひとつの質問は「先生、私があと20年生きることは可能でしょうか?」それに対して老医師は優しい眼差しでこう答えたのでした。「ああ可能ですよ。転移しても20年以上生きる人が実際ありますよ。脳に転移さえしなければ、十分可能です。」

乳がんが臓器へ転移したケースの余命の平均値は3年足らずというのが日本での臨床データらしいです。あくまでも平均値ですから1年の人もいれば、10年の人も、なかには20年以上の人もいるはずです。30年も40年も生きるのはもう無理だろうから、私が死ぬまで長くてもあと20年くらいだろうから、それまでは頑張ってね。私は妻にそう言っています。妻も「私はそう簡単に死なないから」とちょっぴり強がりを言うのです。どちらが先に逝くとしても、最後まで一緒に生きて行こうね。今はそれを2人で確認し合っています。

ブログランキングに参加しています。よろしかったら、お手数ですが引き続きクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ    タイ・ブログランキング   人気ブログランキングへ


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (JIMMY)
2014-12-08 00:46:13
事情がよく飲み込めないのですが、チュラ大病院かバンコク病院にかかるのはいけないのですか?
高い薬を使えるのであればチェンマイ病院よりは、そのほうが良さそうな気がするのですが。
返信する
JIMMYさんへ (うさぎ)
2014-12-08 08:56:19
コメントありがとうございます。
思いっきり複雑な経緯を一気に書いたので、とても分かりにくい記事になりました。読む人が混乱して当たり前ですね。3回精読しないと理解できないですね(笑)。

バンコク病院やチュラ、チェンマイ大学の病院は日本の一流病院と変わらない水準の病院だと思います。ただ、私立のバンコク病院で抗がん剤治療を受けるとすると、1回の料金が大体20万円くらいです。転移がんの場合は、薬を変えながら長期になることが多いので、最低でも数百万円はかかりそうです。

公立病院の保険診療(ほとんどタダ)で使える抗がん剤よりも、私立病院等で使える別の高い薬の方が余命が長くなるという保証はないというのがチェンマイ大学の専門医の答えです。公立病院の中でも、チュラやチェンマイ大学なら、保険診療でもいろいろな薬を選択して使用できるらしいです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。