自分の心を自分で治めることが出来て、ゲームをやりたいときにやって、やりたくないときにストップ出来るのなら、何の問題にもならないですね?でも、自分はゲームをやめようと思っているのに、心の中の別な力に強く引っ張られてゲームを続けます。息子さんが先生を殴りたくて殴ったのなら本人が殴ったと言えますが、中にある何かの力が彼を怒らせて殴ったならば、それは息子さんがやったのではないという意味です。自分の心なら自分の思いどおりに常に働くべきですが、心の中で何かの力が自分の思いと違う方向に私たちを引っ張っていきます。オンラインゲームがやりたいと思ったとき、『自分の心』が願っていると勘違いしています。深く考えなければ分からないかも知れませんが、よく考えてみるとそれは自分の心ではないことが分かります。最初は少しだけやってやめるつもりだったのが自分です。それなのに『やめよう!やめよう!』と思ってもやめられない状態になります。
「あなたの息子さんが殴ったのではありません」
「いいえ、本当です。うちの子が殴りました。そのクラスの生徒たちが皆、見てました。授業中に先生に怒られて、先生を殴ったんです」 「違います」 「間違いありません。証拠もあります」
「そういう意味ではありません。説明しますのでよく聞いてください。例えばオンラインゲームが好きな子がいるとします」 「はい。うちの子もゲームをよくやります」 「その子はゲームがやりたくてやります。ゲームをやっているうちに『あれ?もう1時間もやってる。じゃ、もうやめて運動でもしよう』とやめられるなら、その子がゲームをやっていると言えるでしょう。ところが、オンラインゲームにはまってしまえば心に変な現象が現れます。『えっ?もう4時間もゲームをしちゃったわけ?これじゃ、ゲーム中毒だ。このままじゃ授業にもついていけないし、卒業も難しくなるかも。もうやめよう!』と言ってゲームをやめようとします。でも、ゲームがやめられません。またします。
成功する人生のために、勉強をたくさんしなければならないのではありません。良い技術を身につけなければならないのでもありません。良い家に住み、高級車に乗ることでもありません。心が治められなければ、いくらお金を稼いでも、いくら良い家や高級車があっても、いくらきれいな奥さんがいても、一瞬で崩れてしまいます。残念なことは、人は勉強をたくさんして知識を得ますが、心を慣らすことはしません。そのため「これはしてはいけないことだ」と知っていながらも、心が引かれるままに進んで行き、不幸な人生になってしまう場合が多くあるのです。中国の北京で講演をしたときのことです。ある子のお母さんが私にこう言いました。「牧師先生。うちの息子が先生を殴りました。本当に信じられません。最低の人間です。生徒が先生を殴るなんて。。。私のお腹から出た子が、そんなことをしたなんて理解できません」私はニコッと笑いながら話しました。