若い頃の私は、表面的なことだけに心を捕らわれて生きていました。他人を思いやる気持ちなどなく、父の心の中にある悲しみを知る由などありませんでした。父の心にある苦しみを私も感じることができたならば、その悲しみを分かち合えたはずなのに...。今になって振り返ってみると、自分勝手に生きてきた時間がとても悔やまれます。父は私に面白い昔話をたくさん聞かせてくれました。例えば日本に統治されていた時代に日本の間で起こった出来事や、自分の土地を買ったときの喜びなどを話してくれました。今でも父のことを思い出すだけでとても胸が熱くなります。私はイエスを信じる心を持つことができたうえに、父の良い影響をたくさん受けたことに対し、とても感謝しています。
それから数日後、父は新しいワラをたっぶりと背負子に入れて医者の自宅に向かいました。医者の自宅の庭にワラの束を下ろして屋根の古いワラを取り除き、新しいワラに取り替えました。仕上げに端の部分をきれいに整えて屋根をふき替えてあげました。すると、医者はとても喜んでくれたそうです。そのようにして父は医者と仲良しになり、お金がなくても弟の治療をしてくれるようになりました。弟は中耳炎と喘息を患っていましたが、病院へ行けばいつでもすぐに治療をしてくれたのです。父は、子供のためなら難しいことでも恥ずかしいことでもやり、私たちが幸せになることをとても喜んで応援してくれました。現在、私は父が亡くなった年齢を越えていますが、今でも父に会ってもっと多くのことを父から学びたいと思うのです。物事を深く考え、常に自分より子供のことを思ってくれていた父、年を取れば取るほどそのような父の姿が、改めて私の心に刻まれていきます。
戦争が終わり、弟が4歳のときに母が亡くなりました。そのせいかどうかはわかりませんが、弟は虚弱体質でした。しかし病気にかかったとしても通院するお金がありませんでした。当日、私の田舎には病院が1ヶ所だけありました。父にたまたま用があり、その医者の自宅を訪ねた時のことです。父は、その家の周りを掃除したり、トイレにたまっていっぱいになった便を捨ててあげたりしました。当時は医者も藁葺き屋根の家に住んでおり、トイレもくみ取り式でした。医者が身の回りの細々としたことを自分でできないと知った父は、代わりに掃除などをしてあげたのです。医者は仕事を終えて自宅に戻り、きれいなトイレを見て奥さんに尋ねました。「誰がトイレの掃除をしたんだ?」「バクさんがやってくれたわ」「それにしても何で彼がうちのトイレの掃除なんかをしたのだろう?」
人間は誰にでも心があります。心の中で喜びが作られ、悲しみも作られます。心の中で幸福を感じたり不幸を感じたりします。良い車や家を持つことによる喜び、お金を手にすることの喜びもありますが、そのような喜びが長続きすることはないでしょう。これらのような物質的な条件で得られる喜びとは関係なく、「心から喜ぶ」ことこそが何よりも尊いのです。心を操作することにより心からの喜びが得られれば良いのですが、残念ながらそうはいきません。父は言葉にならない深い悲しみを抱えながら生きていましたが、ほかの人とは違い、どんな境遇にあっても心を揺さぶられることはありませんでした。お酒を飲んで乱れた姿を見たことがありません。感情的に物事を処理することもほとんどありませんでした。父の判断はいつも適切で正確でした。
避難生活を終えて家に戻った1951年8月、まだ幼い子供たちを残して母が亡くなりました。このことは父を一層の悲しみに突き落としました。母が亡くなって1ヶ月後に兄が軍隊に入り、父は出稼ぎで家にいなかったため、我が家では1番年上の14歳の姉が家長の代わりとなりました。辛く厳しい環境でしたが、父は何事にも揺さぶられることなく、いつも前向きで心が真っすぐな人でした。歳月が過ぎた今だからこそ分かるのは、私に言葉で伝えてくれたわけではないのですが、父は常に深く考えながら冷静に物事を対処していくという行き方を見せてくれていたということです。そのお陰で、私も心の世界について深く考えることができました。目に見えない心の世界について考えを巡らせること自体、まるで虚空をさまよっているようなものですが、聖書を通して心の世界を正確に知るというのは、とても驚くべきことでした。