単純な話のようですが、このような問題で苦しんでいる若者たちがたくさんいます。彼らは『私は性的に問題があるから、結婚してはいけない』病院で調べても何の問題もないのに、一人で思い込んで恐れているのです。エイズだと勘違いしていた青年は『私はエイズ患者だ。一人で死んでいくのは悔しすぎる。人に移して一緒に死のう』悩んでいるうちにそんな考えに行きつき自分でも驚いたと言っていました。何かの考えに深く入り込むと誰でも苦しみます。そこから逃げられ、解放されるには心の世界を知る必要があります。絶望に陥ったり乱れた人生に自分を投げ出したり、自殺という極端な決断を下す人たちは皆、考えが偏っています。私は「こころを売る百貨店」を出したいです。良い心を一つ一つ見せながら「この心があれば夫婦が愛し合うようになります」「この心があれば親に反抗ばかりせず、勉強を一生懸命するようになります」
私は青少年教育に携わりながら、彼らに新しく良い心を植えてあげます。ある日、ある青年が私のところにやって来ました。「牧師先生、僕はエイズのようです」「どうしてエイズだと分かったの?」「間違いありません。私は乱れた生活をしたからです。体にエイズのような症状もあります」「君は医者なの?自分で診断して自分で治すつもり?そうではなく病院へ行ってみなさい」病院でエイズの検査を受付た後,恥ずかしそうな顔で笑いながら、「エイズではなかったです」と言いました。また、こういうこともありました。結婚適齢期の女性に結婚を考えてないのかと聞いたところ、「私は結婚できません。子供が産めない体だからです」と言いました。「産婦人科に行って診断を受けたことはあるの?」
「いいえ」「自分で決めないで、病院へ行ってちゃんと調べてみて」そう言われて産婦人科へ行き、正常であることが分かりました。
妻が電子レンジをとても欲しがっていた時のことです。家の近所で行われた電子レンジの料理教室に参加し、その場で電子レンジを買ってしまいました。しかし、私にはそれを正直に言えず「電子レンジには機能がたくさんあって、焼き芋もおいしく作れるし、いろんな料理ができるんだって」と言ったのを覚えています。「もし、心がこうだったら...、私がこういう心の持ち主だったら」と思うときがあります。百貨店へ行き「この冷蔵庫は使いやすそうだ。この服のデザインはいいな」と気に入った商品を選ぶように、悪い心を持っている人たちが、幸せな心を選んで買える心の百貨店があったらどんなに良いでしょうか。「奥さんを疑っているんですか。疑いというその心の代わりに、信じる心を買って入れ替えてください」もし、そんなことができたら、この世がどんなに素晴らしくなるでしょうか!
今日、多くの若者たちの心には父が存在しません。実際の父親はいますが、自分を愛してくれている父の「心」を受け入れていないのです。そのため父親ともめたり、父に対して怒ったり、父を恨む人たちが多くいます。私の父は、亡くなる前に安心感や喜びを私の心にいっぱい残してくれました。時々録音機で父の声を聞いていると、まるで父が生きているような気がします。父は、たくさんの財産や目に見えるものではなく、私の心に深いやすらぎを、父を愛する心を、尊敬する心を残して、私より先に御国へと旅立ちました。私もいつこの世から去るか分かりませんが、自分の息子や娘にとってそのような父となり、子供たちの記憶に残りたいと思っています。人々がいつまでも父のことを忘れず、例えもうこの世にはいないとしても、父のことを思い出すたびにさらに幸福で満たされる、そんな人生を歩んでくれることを願っています。私は父が大好きです。
もともとイエスや信仰には無関心な父でしたが、死を前にした父はまるで違いました。私の話を真剣に受け入れてくれました。イエスの十字架の死によってすべての人の罪が赦されたことを悟り、とても満足した様子でした。それまでとは全く違う父に変わり、それから3日間を私たちと過ごした後、天国へと旅立ちました。亡くなる前日、父は愛する友人たちを1人1人呼びました。そして彼らに伝道をし始めました。「私は次男の信じているイエスを信じて良い国に行くから...。小さい時からあなたと過ごした時間はとても楽しかった。私が先に行って良い場所を取って置くから、死んだ後もまた楽しく過ごそう。あなたもイエスを信じて天国で会おう」父は亡くなる瞬間まで私にたくさんのことを与えてくれました。亡くなるときに最も穏やかで、最も尊い父の姿を見せてくれました。私の心には今でも父が生きており、父のことを思い出すたびに感謝と喜びが溢れるのです。