今朝のあまちゃんを見て、今日一日、ずっと胸が重たかったですね。ズーンと来てました。
やはり、2年半前の3.11を思い出したんですかね。
ちょうどその時、私は東京の職場で有給を取っていた部下と仕事の確認で電話で話中でした。
グラグラしても最初は、そのうち治まるだろうと思ってそのまま話を続けてたんだけど、長くなってきたので電話を切り、同僚たちと顔を見合わせたり、机の下に入ろうかどうしようかと迷ってました。
揺れが治まってから外に一時避難したけど、何もないので元の職場に戻ってテレビをつけたら、仙台平野が次々と津波にのまれていく様子が映されていて、ちょうど今日のあまちゃんでアキをはじめとするみんなが奈落でTVを食い入るように見つめているのと同じように、我々も見てました。
その後の津波被害とそれに続く原発事故被害は誰もが知っているけど、その時の、この地震被害はどんだけ大きくなるんだろう、という漠然とした感覚が今朝のあまちゃんで呼び覚まされたような気がします。
今日の放送では、当時の再現シーンは東京のスタジオ(奈落)やアキの自宅が中心でしたよね。北三陸での再現シーンはあまりに現実の被害が大きすぎたから再現できなかった、か敢えてしなかったのか。ジオラマで再現したのが精いっぱいだったのかもしれません。(それにしても、このジオラマは最初からその予定だったのか、そうだとしたら凄いですね。)
私は、あまちゃんが始まった当初から、この震災をどう描くのか、気になってました。
あまちゃんは、日本を朝から元気に、というコンセプトで始まったのでしょうから、どちらかというとお笑い路線でこれまできたのは正解だし、それはそれで結果オーライなんですが、この震災だけはお笑いには向かないので、どのように取り扱うのかな、ということに関心がありました。
もっと言うと、岩手では実際に被災した人が一杯いて、その人たちが仮設住宅でこの番組を見てるわけで、その人たちがあまちゃんのこの場面をどう見るか、被災者たちに受け入れてもらえるようなシーンとはどのようなものなのか、ということです。
おそらく、今後、いろいろなメディアやSNSで、被災者がこのシーンをどう受け止めたかについて、流してくるでしょうね。
私は、NHKを擁護するわけではないですが、この場面、被災者の方たちは受け止めてくれてるんじゃないかと思います。
まだ、明日以降のストーリーにもよりますが…。
やはり、2年半前の3.11を思い出したんですかね。
ちょうどその時、私は東京の職場で有給を取っていた部下と仕事の確認で電話で話中でした。
グラグラしても最初は、そのうち治まるだろうと思ってそのまま話を続けてたんだけど、長くなってきたので電話を切り、同僚たちと顔を見合わせたり、机の下に入ろうかどうしようかと迷ってました。
揺れが治まってから外に一時避難したけど、何もないので元の職場に戻ってテレビをつけたら、仙台平野が次々と津波にのまれていく様子が映されていて、ちょうど今日のあまちゃんでアキをはじめとするみんなが奈落でTVを食い入るように見つめているのと同じように、我々も見てました。
その後の津波被害とそれに続く原発事故被害は誰もが知っているけど、その時の、この地震被害はどんだけ大きくなるんだろう、という漠然とした感覚が今朝のあまちゃんで呼び覚まされたような気がします。
今日の放送では、当時の再現シーンは東京のスタジオ(奈落)やアキの自宅が中心でしたよね。北三陸での再現シーンはあまりに現実の被害が大きすぎたから再現できなかった、か敢えてしなかったのか。ジオラマで再現したのが精いっぱいだったのかもしれません。(それにしても、このジオラマは最初からその予定だったのか、そうだとしたら凄いですね。)
私は、あまちゃんが始まった当初から、この震災をどう描くのか、気になってました。
あまちゃんは、日本を朝から元気に、というコンセプトで始まったのでしょうから、どちらかというとお笑い路線でこれまできたのは正解だし、それはそれで結果オーライなんですが、この震災だけはお笑いには向かないので、どのように取り扱うのかな、ということに関心がありました。
もっと言うと、岩手では実際に被災した人が一杯いて、その人たちが仮設住宅でこの番組を見てるわけで、その人たちがあまちゃんのこの場面をどう見るか、被災者たちに受け入れてもらえるようなシーンとはどのようなものなのか、ということです。
おそらく、今後、いろいろなメディアやSNSで、被災者がこのシーンをどう受け止めたかについて、流してくるでしょうね。
私は、NHKを擁護するわけではないですが、この場面、被災者の方たちは受け止めてくれてるんじゃないかと思います。
まだ、明日以降のストーリーにもよりますが…。