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そんなの書いてたの!遺言書

2020年02月06日 | 🩺夫の病気・ALS

実は 私の知らないところに 主人が書いた 遺言書がありました

まだ彼が文字を書ける頃に 直筆で書いたものですから……だいぶ前に存在していたのですが、私がその存在を知ったのは ずっと後になります。

 

 庭のバラの花をブーケにして 旦那さんに!と友人が持ってきてくれました。亡くなって 大分経っていましたが、風の便りで聞いたと。

 

いずれは 呼吸することも 食べ物を飲み込む事も 自力では出来なくなると聞いていましたので 人工呼吸装置とか胃瘻とかの延命装置が必要なのだろう〜と恐る恐る子供達に話してみた時、お父さんは 恐らくそれはしないよ!と。遺言書として、一切の延命処置をしない……と既に書いていたのを 子供達は 薄々知っていたのです。

施設の園長さんが それを預っているそうで 確認しましたが 間違いありませんでした。主治医のドクターにも訊きましたが それは彼の選択です と。

知らなかったのは私だけで この時の驚きは 今思い出しても体が震える思いです。ええ、なんでぇ~⁇ と大声で叫びたいくらいでした。

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きっと私に言うと反対されると思ったのだと思います私は 少しでも長く生きなくっちゃあネ!と励ましのつもりで いつも言っていましたので。

どうして遺言書を書いたこと 私に言ってくれなかったのかと 彼に訊いても 薄く笑っているだけで 何も言いませんでした。私は反対なんかしませんよ、あなたの決めたことは 尊重しますよ!と言ってあげましたが、実際 心の中は複雑でしたね。

 

 

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これらの花は 主人がまだ自宅に居る時かな。友人が訪ねてくれました。花屋さんって 綺麗に作るものですね!記念撮影しておきました。

 

 

どんな風に最期を迎えるのか、本当に恐怖でした。本人の気持ちは 想像に絶します。彼の遺言通り 人工呼吸も 胃瘻も 延命処置はしませんでした。

元気な頃は 買い物にもよく一緒に行きました。何でも一緒に決めてきたし、彼はすごい心配性なので どちらかと言うと 私が決めてあげて、まるでこれでは 三男ではないか!と子供扱いしていましたが、生きる事そのもの そして死にゆくであろう最期の形は 彼が一人で決めました。

 

 

日本から送られてきたお花です。なんで セロファン取ってから写さなかったんだろう。ほんとバカです。それにしても 🇯🇵日本からですよ〜‼︎

 

彼の最期は それは穏やかで 全く苦しむ事なく まさに眠るように逝きました。その事はまた 思い出したら 続きも書いてみます。🍀

 

コメント (4)
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