私は韓国には行ったことがありません!と周りの友人にも言ってきたし、自分でもそう思っていたのですが。
実は実は、よく考えるとソウルの地に一泊しているのです!韓国に行ったと言うにはおこがましいレベルですが、K-popを聴いていて 突然思い出しました。
今なら あの一晩を有効に歩き回って滅茶滅茶ソウルを満喫するところですが、あの時は・・・
🛩 確か長男がまだ小さい時でしたから、 ’80年代の終わりくらいの時ですね。
飛行機代は今より5〜6倍は高く、みんな必死で格安を探したものです。パリ⇆東京は、
直行便もない時代で、アラスカやモスクワなどを経由して 日本に帰ったものです。
その時は韓国の飛行機で、ソウルで一泊して、翌日に日本行きという便でした。
日本を目の前にして、ソウルなんかに泊りたくない、早く日本に行きたいのに……その時の想いです。
🚌 ホテルまで行く大型バスは、ほとんどが日本人でした。
まだ仁川(インチョン)国際空港も出来ていなくて、金浦(キンポ)空港だったと思います。
空港には機関銃のような大きな武器を肩に掛けた軍隊服の人があちこち歩いていて・・・夜9時とか そんな時間でしたでしょうか?!
私たちが空港の最後のお客さんだったのか、バスが動き出すと、ボン・ボンと音を立てて空港中の明かりが消えました。空港は突然、真っ暗に!怖かったですねえ。
どこへ連れて行かれるのか?!ああ、怖かったの思い出しました。
しかし、その怖かったのも すぐに落ち着きました。
バスの添乗員に とても日本語の上手な若い韓国の男性が 二人乗ってくれたのです。そして、翌日の日本行きの便のことなどいろいろ説明してくれましたので ホッとしたのを覚えています。
これからロッテホテルに向かうと。ホテルまで1時間くらい掛かったでしょうか?
その間、何とその添乗員の二人が🎤カラオケで日本の歌謡曲を歌い始めたのです!
旅の疲れと明日の日本行きの気持ちの高揚で、延々と聴かされたあの歌は辛かったですね。
ただ、彼らが 私達を楽しませようと、リラックスしてもらおうと一生懸命なのが痛いほど感じられて、ヤメロ〜💢とは言えなかったですね。そこに居た日本人、皆同じ気持ちだったかと。
素朴と言うか、純真無垢と言うのか、そんなとてもイイ人たちでした。
夜の漢江(ハンガン)
どんどん思い出していきます。
ソウルの街中を流れる漢江(ハンガン)に沿ってバスが走った時、ちょっと怖かったです。
ソウルの街全体薄暗い中、大きなうねりで流れる大河、あの河は怖く感じました。
水の量が凄くて 濁った茶色の水が滔々と。今思えば、雨でも降った後なのか、とにかく怖い河の印象でした。
そして、いきなり現れた眩い灯りのリボン・・・河のほとりに沿ってたち並ぶ “屋台”の明かりでした。✨✨✨(続く)
イメージとしてこんな感じ、延々と続きます。
おでん🍢トッポキ、キンパ など。
ヤンニョムチキン🐓 揚げ物・・・
🍤 🌭 🍗 揚げ物、また揚げ物!
(後)に続く。