素敵な画像ですね。
フランスの写真家 モーリス・ブランガー(Maurice Branger)による撮影。
"Femmes à une terrasse de café" 1925年初版のフォトプリントです。
カフェテラスの女性たちーどんなお喋りをしているのでしょう?!
🍀 夫がまだ元気な頃なので、もう15年以上前の話しですが、パリにはしょっちゅう出かけていました。リュックサック背負って“買い出し”です。🎒
当時はパリまで列車で片道3時間以上かかりましたが、今はTGV(高速列車)が走っているので、半分の時間で行けてしまいます。
あの頃は味噌・醤油も この町では日本食品は見つからず…、休みになるとリュックを背負ってパリに買い出しに出掛けたものです。
パリの日本食品は日本の3倍近くもする値段で、品物を手にとって眺めては棚に戻し、また持っては戻して…、日本食品は涙が出るほど嬉しいのですが、品物に穴が開くほど見つめてじっくり考えて買い物したものでした。幸せより惨めでしたね。懐かしい思い出ですけど。日本だったら、この値段で3つ買えるのに。。。😢
今は昔ほどでなくても、今だに結構高いのですが、パリまで買い出しに行かなくても色々な日本の食材がココで手に入るのは嬉しいです。
そんな買い出しのパリ行きで、楽しみはカフェに腰掛けてコーヒーでも飲むひと時でした。☕️
カフェ・ド・フロール(Café de Flore)
戦中戦後にかけて、サルトルやボーヴォワールなどを中心とする 実存主義哲学者の活動拠点となり、やがて 映画界・モード界の著名人が常連となったカフェです。
今も色褪せる事なく、パリ6区サン=ジェルマン=デ=プレ地区のサン=ジェルマン大通りに面して存在しています。
🍀 ある時、パリのカフェで不思議な出会いがありました。
私の背後に 日本人らしき男性が二人腰掛けました。
一人は学生風の青年で、もう一人は40代くらいの歳上の男性です。
私のすぐ後ろにいるので、聞くとはなしに 会話が聞こえてきます・・・
学生らしき青年は、医学の留学でパリに来ている様子、留学についても色々アドバイスしてくれた教授とパリで再会の様です。やっぱり日本語だ、ふむふむ……
暫くすると、学生が自分の故郷の話をし始めました。
「甲府駅からバスで・・・🚌」 ここで私の耳はダンボになりましたよ。
私の故郷の県庁所在地が聞こえてきたのですから!
その会話は衝撃的でした。
その学生の実家の近くには「三階屋」と言う明治創業の旅館があり、当時、木造建築で三階建ての建物はとても珍しく・・・と言ったことを話し始めました。
私が実家に帰ってバスを使う時、降りる停車場名が 町の名物建築の「三階屋」でした!(老朽化のため 今は取り壊されてありません)
いかんせん、黙っていられず話しかけてしまいました。あの〜〜〜〜💦
私の思い出す限りの三階屋近くに住んでいた同級生の名を挙げると、ああ、あそこのおじさん!おばさん!と世代は流石にずれているのですが、みんな知っていました。
その彼も、今頃は立派なドクターになって第一線で活躍している事と思います。
🍀 世界の総人口は78億と言われていますが、世間は狭いですね!
こんな広い地球の裏側で、同じ町の出身の人と隣り合わせで出会うなんて!
同じ塊、殻の中で人々は縁しながら 一握りの人と出会っては 別れ・・・
出会う人は限りもあり、 既に決まっているのかもしれません。
🍃 パリの街角のカフェには、こんな素敵な人もいるかも⁉️
ひょんな出会いが待っているかもしれませんよ。ナンチャッテ‼️
じゅるじゅる〜〜🍭