今日も 思い出し笑い

気の向くままに…
思いついたことを書いているブログです。
🍭🫤🤭😳🥲

フランスの個人主義のせい?!

2020年02月07日 | 🩺夫の病気・ALS

今日も夫の事です。

夫の病気の事は 書けば書くほど 解放され 気持ちも軽くなるかと思いきや、 なんだなんだ 段々 暗く重い気持ちになっていくようです。忘れかけていた嫌な事が思い出されるからでしょうか。でも、どんどん出てきてしまうので 続けます。

 

夫の闘病中の約10年間、最も寂しく辛かったのは 同じALSの病気の人 そして 介護に当たっているであろうご家族など、ただの一人にも会えなかった事です。

🇫🇷  病院の医者や施設の人やら あらゆる機会に 何かアソシアションのような活動はないのか⁈ 会いたい旨 訴えましたが 不可能でした。ALSの患者、家族も あなたのように会いたがる人はどこにも居ない と。

🇯🇵  日本は ALS患者でブログをしている方もいましたし 各種会合もあったり 講演会もあったり・・・ネットで 地球の向こうを 眺めて 限りなく一人ぼっちでしたね……。

たとえ病気が特殊だとしても、フランスのこの非常に非情な閉鎖的は 個人主義だからでしょうか?!

一緒に心配してくれる

こんな猫ちゃんと 暮らしたい❣️

 

 

ちょっと疲れちゃったので ココまでで。

次は ALSとパーキンソン病、として 続けます。🍀

 

 

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そんなの書いてたの!遺言書

2020年02月06日 | 🩺夫の病気・ALS

実は 私の知らないところに 主人が書いた 遺言書がありました

まだ彼が文字を書ける頃に 直筆で書いたものですから……だいぶ前に存在していたのですが、私がその存在を知ったのは ずっと後になります。

 

 庭のバラの花をブーケにして 旦那さんに!と友人が持ってきてくれました。亡くなって 大分経っていましたが、風の便りで聞いたと。

 

いずれは 呼吸することも 食べ物を飲み込む事も 自力では出来なくなると聞いていましたので 人工呼吸装置とか胃瘻とかの延命装置が必要なのだろう〜と恐る恐る子供達に話してみた時、お父さんは 恐らくそれはしないよ!と。遺言書として、一切の延命処置をしない……と既に書いていたのを 子供達は 薄々知っていたのです。

施設の園長さんが それを預っているそうで 確認しましたが 間違いありませんでした。主治医のドクターにも訊きましたが それは彼の選択です と。

知らなかったのは私だけで この時の驚きは 今思い出しても体が震える思いです。ええ、なんでぇ~⁇ と大声で叫びたいくらいでした。

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きっと私に言うと反対されると思ったのだと思います私は 少しでも長く生きなくっちゃあネ!と励ましのつもりで いつも言っていましたので。

どうして遺言書を書いたこと 私に言ってくれなかったのかと 彼に訊いても 薄く笑っているだけで 何も言いませんでした。私は反対なんかしませんよ、あなたの決めたことは 尊重しますよ!と言ってあげましたが、実際 心の中は複雑でしたね。

 

 

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これらの花は 主人がまだ自宅に居る時かな。友人が訪ねてくれました。花屋さんって 綺麗に作るものですね!記念撮影しておきました。

 

 

どんな風に最期を迎えるのか、本当に恐怖でした。本人の気持ちは 想像に絶します。彼の遺言通り 人工呼吸も 胃瘻も 延命処置はしませんでした。

元気な頃は 買い物にもよく一緒に行きました。何でも一緒に決めてきたし、彼はすごい心配性なので どちらかと言うと 私が決めてあげて、まるでこれでは 三男ではないか!と子供扱いしていましたが、生きる事そのもの そして死にゆくであろう最期の形は 彼が一人で決めました。

 

 

日本から送られてきたお花です。なんで セロファン取ってから写さなかったんだろう。ほんとバカです。それにしても 🇯🇵日本からですよ〜‼︎

 

彼の最期は それは穏やかで 全く苦しむ事なく まさに眠るように逝きました。その事はまた 思い出したら 続きも書いてみます。🍀

 

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味噌作りと幼なじみ

2020年02月04日 | 🇯🇵想い出す日本のこと

2年前のちょうど今頃、強行スケジュールで日本に一時帰国してきました。実家近くを散歩して その時見た光景です。

農協 (今は そう言わないのかな?) の集荷場で 共同の味噌作りをされていました。農閑期の活動なんでしょうね。知っている人は 誰一人いませんが、とても興味深かったです。

私の小さい頃は 味噌や漬け物など みんな各家々で作ったものでした。今は皆さん一緒にされるんですね! 驚きました。

 

皆さん マスクをしていますが、もちろん食べ物を扱うからです。ウイルスのためではないです。2年前ですから。

 

 

 

 

 

 

味噌作りをしばらく眺めて また歩いて行くと、同級生のかずや君に会いました。中学時代から 見かけることが無くなって数十年ぶりです!すっかり イイおじさんになっていましたが、面影はあります。

"この犬あ、いっさら (全然)鳴かんずら( 鳴かない)" と、見るからにおとなしそうな 黒の柴犬を連れていて、番犬にはならないとしきりに言っていました。

小さい頃は その犬よりおとなしかったような かずや君が 見違えるほどお喋りになっていて 私は かずや君の 強烈な甲州弁を聞いていたら 頭がぐでんぐでんになりました。地元にずっといる人の話し方は 私にはもう外国語のようでもありましたね。懐かしく 楽しいひと時でした。🍀

 

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バラの周りを歩く

2020年02月03日 | 🩺夫の病気・ALS

主人の病気の兆候はよく転ぶことでした。それと酷い疲労感に襲われていました。でも私たちももう年だから 仕方ないよね などと話していたのですが、実は ALS (筋萎縮性側索硬化症) という病に冒されていたのです。

主人はよく転んで  一体 どのように転ぶのか? 反射的に体を守る動きが出来なくなっていたからか、歯を欠いたり 頭や顔が血だらけになったり大事になり 2度も 救急車を呼ぶ騒ぎになりました。

 

奥の方に マリア様の銅像があります。

 

主人がまだ 自宅で過ごせた頃のアパートの中庭です。彼は いずれは歩けなくなるかも知れないと承知していたので 歩くことに酷く固執していました。  歩行器を使ってよくこのバラの周りを歩いていました。

まだ歩いてるよ、まだ歩いているよ!と 皆が 呆れるほど 毎日 毎日ぐるぐる歩き続けていましたね。でも段々 足も弱ってきて 倒れたら大変なので  医師からもストップされ 歩行器から 車椅子になっていきました。

 

 

このアパートは monuments classés historiques デス、と聞いています。日本語にすると歴史的建造物とでも言うのでしょうか、業者さんが内装を変えて改造し アパートにして使って保護していくということのようです。かつては 修道士の宿舎だったそうです。ですから 庭内に マリア様がいたりします。

 

 

ベランダに飾られている鉢植えの赤い花 (😶名前が出てこない) は春になると 毎年 花屋さんがトラックで運んできて 各家庭に分けて 飾られます。庭師さんがしょっちゅう来て花を剪定してました。

主人は病院から施設に移って行って もうここに戻ることは無いとわかった時、主人のいる施設の近くに引っ越しました。ここは主人と住んだ 懐かしい場所です。🍀

 

追記:花の名前は ゼラニウム です。 

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K・ドクターと桜

2020年02月01日 | 👥人との触れ合い

この絵葉書は 以前 大変にお世話になった K・ドクターから送られてきたものです。子供たちも小さい頃から診て頂いた我が家の主治医で、特に亡くなった主人は大変お世話になりました。女性の医師です。

残念ながら 主人が亡くなる1年ほど前に 退職されてしまったのですが、なんとか 主人が亡くなった事を知らせたいと思い 届くかどうか分かりませんでしたが、昔のキャビネ・診察所宛に 手紙を送りました。

直ぐには お返事が頂けず 届かなかったのかな⁈ と思っていた頃 K・ドクターからこの絵葉書が届いたのです!

 

荘川桜  Shokawa sakura

 

"ご主人は 難病と前向きに向き合って 大変に勇気ある方だった!" と言ってくださり、"実は日本に旅行してきました。旅行中 あなたの事をずっと思っていました。" とも。それは沢山励まされました。

私がドクターに会えるとしたら 街角で偶然!しかありません。時々 そんな瞬間を想い描いて涙してしまう事もあるくらい お会いしたい方です!

 

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主人の病気は 略して「ALS」と呼ばれ、 日本では 「筋萎縮性側索硬化症」と言う長い名前の 難病でした。ひとことで言うと 運動機能が少しずつ麻痺して行くという まだ原因も治療法も見つかっていない 現時点では治る見込みの全く無い病気です。約10年の闘病でした。

今年 ブログを再開したのは 主人の病気の事を書きたかったからですが、病名を書くだけで 1ヶ月もかかってしまいました。改めて 抱えていたものが重かったのかなと。それだけに 書くことで少しづつ心も解放され 元気になれるかなと思っています。

ところで、荘川桜 ってどこでしょう⁈  K・ドクターは日本のどこに行かれたのかな…⁈ 🔍 💬  

 

追記: 荘川桜(しょうかわざくら)は 岐阜県の高山市にあります。下呂温泉や白川郷などが近くにある 風光明媚なところですね。

 

コメント (8)
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