人として生きる 丁字村ブログ

この時代に 人の温もりを感じて感謝できる生き方って どんな立場であろうと同じです。幸せになるためには考え方が大切です。

歩の無い将棋は負け将棋

2011年05月06日 15時09分39秒 | Weblog
"成金"とは、もともと「カネに汚い」というような悪い意味ではなく、将棋で「歩」が敵陣に入ると「金(と金)に成る」ことからきています。前に進まなければ「歩」は「歩」のままですが、目標に対して真っ直ぐ突き進むことにより、最弱だった「歩」が、いつしか相手の「王」も討ち取れる「金」になる。
 保障や安心、現状維持にこだわり「勝負をしようとしない」、人生は一度きりなんだから、自分の殻を破って飛び出せ!と・・・・
人の行き先の究極を言っちゃえば、それはいつか死ぬ、っていうことで、それまでにどう生きるか。
その行き先を忘れて、今に浮かれすぎると、時間が過ぎていってしまう。
反対に、そのゴールの「終末感」に浸りすぎると、これまた何も出来なくなってしまう。
行き着くまでに何を見るか、何をするか、それを大切にすること。
人は、同じものを見ても、違う行動を選べる。
違うものを見て、同じ行動にたどり着くこともある。
最近思うのですが、人間は人間が完璧だと思うものを作り上げて満足しきっている時にこそ、大きな損害を受けてしまうかもしれない。
本来、これ以下でおさまるだろう、と思っている以上のことが起きるから、逆に、被害や損害が大きくなってしまう。
人間が進歩して、人間にとっての完璧の度合いがますます高くなるほど、人間の受ける「損害」は大きくなるに違いない。
そう思えてなりません。
自分たちの偉大な成果を見て、進歩を実感したとしても、まだまだ非力だ、っていう考え方で生きたほうがいいのでしょう。
でも、前進
一歩一歩進んで、右も左も下がることさえ自分の意思でできる。
それまでは、自然の流れ・・・・・歩
歩です。みんな、始めは・・・・・


興毅の男樹 大阪から輝く

2011年05月06日 08時18分40秒 | Weblog
興毅 緊迫の48秒間!06年以来のメンチ切り
原点回帰
大毅―内藤大助戦。前代未聞の反則行為により世間から非難を浴びた。その後も父・史郎氏の暴言問題などがあり、亀田家らしいパフォーマンスは長期にわたって自粛されてきた。だが、興毅にとって「小さい頃からの夢」だった大阪での初の世界戦を迎え、約5年間眠っていた闘争本能を呼び起こした。
いいですね。 興毅らしく 自分らしく ボクシングらしく 格闘技らしく
危険なリスクの大きいスポーツですから・・・
やらなかったら、やられる。
殴り合い
本気になるまでは、簡単なことも乗り越えられない。
本気になったときには、想像以上の力も出てきたり、まわりからも助けがあったりする。
実は、このまわりの力が、かなり重要な気がする。
がんばっている人、ホントに本気な人、あきらめない人には、応援したくなるのが人情だ。
反対に、簡単にやれることにも、手加減している人には、だれも助けの手は伸ばしてくれない。
立ち向かおうっていう気持ち、ホントに大切だ。
興毅の男樹 大阪から輝く