みすず書房『ファン・ゴッホ書簡全集4』
テオあて手紙(1885年10月、ヌエネン)
・ フランス・ハルスは、<色彩家中の色彩家>であり、ヴェロネーゼ、リューベンス、ドラクロワ、ベラスケスと並ぶ色彩家なのだ。
・ しかし、答えてくれ、黒と白は使ってもいいのか、いけないのか、これは禁断の木の実なのか。
ぼくはそうは考えない。フランス・ハルスは27色を下らぬ黒を使っている。
・ すべきでないという句はいったいどんな意味なのか。これらの色に対して偏見を持ってはならない。
・ レンブラントとハルスは黒を使わなかったか。ベラスケスは使わなかったか??
一色ではない、27色の黒を使っている、ほんとうだよ。
フランス・ハルス(1582頃-1666)
≪養老院の女性理事たち≫
フランス・ハルス美術館所蔵
1664年頃作
170.5cm×249.5cm
2003-4年に佐倉市美術館他で開催された、フランス・ハルス美術館所蔵作品からなる「フランス・ハルスとハールレムの画家たち」展にて来日した、ハルス晩年(80歳頃)の作品。
黒の魅力。来日したハルス作品のなかで一番の傑作だと思う。
対作品として、≪養老院の(男性)理事たち≫が存在する。
展覧会では、本作品について、「ゴッホを驚嘆させた27色以上の黒」というような説明が付されていた。
ゴッホの発言は、ハルスの特定の作品に対するものではないようだ。
本作品自体をゴッホが見たことがあるのだろうか。
小説家兼画家のフロマンタンが1876年に出版した著『昔日の巨匠たち』(岩波文庫版の題名『オランダ・ベルギー絵画紀行』)は、「ハールレムのフランス・ハルス」という1章を設け、≪養老院の女性理事たち≫も取り上げている。
この本は当時絶賛されロングセラーになったらしい。
また、ゴッホは、フロマンタンの画家としての作品に関心を持っていたようだ。
岩波文庫『オランダ・ベルギー絵画紀行』の訳注
ハールレムの市立美術館は、ハールレムの公共施設のために描かれたハルスの集団肖像画8点を一堂に集めて、1862年に開館された。国内だけでなく、フランスからも多くの人々(ことに画家たち)が訪れ、1860年代以後のハルス・ブームにこの美術館が果たした役割は大きい。当初は昔の修道院を改築した建物が利用されていたが、1913年に17世紀の養老院の建物に移り、現在のフランス・ハルス美術館となった。
長い間事実上忘れられていたハルスを「発見」したのは、フェルメールの「発見者」でもあるトレ・ビュルガー。
その影響を受けてか、マネも1872年にハールレムを訪れているらしい。
なお、フロマンタンの訪問は1875年。
ゴッホはどうだろうか。