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ハンス・ホルバイン(子)《ベネディクト・フォン・ヘルテンシュタインの肖像》-「メトロポリタン美術館展 2021-22」

2021年12月04日 | メトロポリタン美術館展2021-22
メトロポリタン美術館展
西洋絵画の500年
2021年11月13日~2022年1月16日
大阪市立美術館
 
 ハンス・ホルバイン(子)。
 
 1497年(または98年)、アウグスブルクに生まれる。同名の父も、著名な画家として活躍中である。
 1515年、バーゼルの画家の工房に弟子入り。そのままバーゼルで活動を開始する。
 1516年、バーゼル市長夫妻の肖像画を描く。
 1517年、父に連れられ、ルツェルンへ行き、ヘルテンシュタイン邸壁画を描く。
 
 ヘルテンシュタインはルツェルンの大商人。
 邸宅壁画については、契約者こそ父親だが、それはホルバインがまだマイスターではないからであって、父親の助手との立場にて実質の制作を担ったようである。
 この壁画は1825年に建物とともに取り壊されている。
 
 また、ホルバインは、ヘルテンシュタインの息子の肖像画も制作する。本展出品作である。
 
ハンス・ホルバイン(子)
《ベネディクト・フォン・ヘルテンシュタイン(1495年頃-1522年)》
1517年、52.4×38.1cm
メトロポリタン美術館
 
 背景の壁のフリーズ彫刻も印象的な本作品。
 モデルのヘルテンシュタイン息子は22歳頃。
 画家・ホルバインは20歳頃。
 ともに一族の期待を背負った息子(モデルは長男、画家は次男)の、若き姿、若き筆である。
 
 当時のスイスの主産業は、傭兵派遣。
 世は、フランス国王と神聖ローマ皇帝が、イタリア半島を舞台に、ローマ教皇、ヴェネツィア共和国などイタリア諸国との敵対/連合関係を都度変えながら、覇権争いを繰り広げている。
 1521年、フランス国王+ヴェネツィア共和国軍と、神聖ローマ皇帝+ローマ教皇軍が衝突する第3次イタリア戦争が始まる。スイス傭兵軍はフランス国王軍に雇われる。
 学業を終えて州議会メンバーを務めていたヘルテンシュタイン息子も、大商人の息子であるのに、キャリア形成に必要なステップであったのだろうか、スイス傭兵として、イタリア戦争に従軍する。
 1522年4月、ロンバルディア地方での「ビコッカの戦い」は、皇帝+教皇軍がフランス国王軍に勝利する。
 ヘルテンシュタイン息子は、その戦いで、27歳という若さで命を落とす。
 本戦争は1525年にフランス国王がパヴィアの戦いで捕虜となったことで終結するが、イタリア戦争自体はこの後30年間続くこととなる。
 
 
 その後の画家。
 
 1519年、ルツェルンからバーゼルに戻り、画家組合に加入。
 1520年、バーゼルの市民権を獲得。この頃、バーゼルの皮なめし職人の寡婦であった4歳ほど年上の女性と結婚する。
   カトリック教会からの注文による宗教画を中心に、大ヒットとなったシリーズ《死の舞踏》など木版画の下絵、エラスムスの『痴愚礼讃』の挿絵、エラスムスや上流市民たちの肖像画を製作し、バーゼルを代表する画家となる。
 
 やがて、バーゼルに宗教改革の嵐が吹き荒れるようになる。宗教画の注文が途絶え、製作中の作品も中断を余儀なくされる。
 1526年、画家は新たな活動の場を求めて、エラスムスの紹介状を得て、イギリスに渡る。
 
 イギリスでは、トマス・モアに歓迎され、モアや彼の友人たちの肖像画などを製作する。
 この最初のイギリス滞在である約2年間、国王ヘンリー8世から仕事を受けることはなかったが、画家の評判は確実に高まっていく。資金も相当稼いだものと思われる。
 
 1528年、バーゼルに戻る。
 聖像破壊主義者の活動がより先鋭化するなか、画家は、市の配慮もあり、小さな仕事を得てなんとかやりくりしていたが、将来の見通しがたたない。
 
 1532年、再度イギリスに渡る。
 1536年頃、ヘンリー8世の宮廷画家となる。国王自身や宮廷関係者たちの肖像画を多く制作する。
 1540年、宮廷とのパイプ役であったトマス・クロムウェルの処刑、以降、宮廷からの大きな注文がなくなる。
 1543年、ロンドンにておそらくペストのために亡くなる。
 
 再渡英後は、バーゼル市から再三の帰郷要請があり、一時は契約まで締結したものの、結局反故にする。結果、1538年の国王命令による大陸出張時の1カ月強の短期滞在を除いて、妻と子どものいるバーゼルに戻ることはなかった。
 
 1549年、妻がバーゼルにて死去。その財産目録からは、晩年の生活困窮が察せられるという。
 
 
ハンス・ホルバイン(子)
《画家の妻と2人の子どもの肖像》
1528/29年、79.4×64.7cm
バーゼル美術館
 一度目の渡英からバーゼルに戻ってからの制作。妻エルスベト・ビンゼンシュトックと、子どもフィリップとカトリーナの肖像。
 


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