南方熊楠
100年早かった智の人
2017年12月19日〜3月4日
国立科学博物館
2017年に生誕150年を迎えた南方熊楠(1867-1941)。
南方熊楠の名前は、「知の巨人」「神童」「反芻」「記憶力」「語学力」「大英博物館」という言葉とともに記憶している。南紀白浜の南方熊楠記念館に学生時代に一度行ったことがある。そのとき、和歌山出身の知人から、和歌山では誰も知らない人がいない偉人である、と聞いて感心した思い出がある。でも、どういう人なのか、きちんとした知識はない。
本展解説によると、南方熊楠は、森羅万象を探求した「研究者」とされてきたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした「情報提供者」として評価されるようになってきたという。
本展では、熊楠による日記、書簡、抜書(さまざまな文献からの筆写ノート)、菌類図譜などが展示される。
1 大英博物館の熊楠
1886年からの米国留学、主に独学で菌類の標本採取に取り組んだあと、1892年に渡英。
大英博物館図書室にこもり、諸語の書籍を読みふける。独学は変わりなく、書籍からの抜書ノート、その数52冊に及ぶという。また、科学雑誌『ネイチャー』への寄稿、記事数51本は、今も日本人としてトップを維持しているらしい。ロンドン亡命中の孫文と交流。1898年、大英博物館にて日本人への人種差別を受け、暴力事件を起こす。1900年帰国。
《ロンドン抜書》
《ロンドン戯画》
書かれたのは帰国してから。シルクハットを被っている人物が熊楠。
2 神社合祀反対運動の熊楠
1906年、政府は神社合祀の勅令を出す。町村単位に複数の神社を1つに統合しようとするもので、廃止した神社の土地や森林資源の売却により日露戦争での戦費を補う目的もあったらしい。
熊楠は、以下8つの理由を挙げて神社合祀に反対する。
1)敬神思想を弱める
2)民の和融を妨げる
3)地方を衰微する
4)民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する
5)愛国心を損なう
6)土地の治安と利益に大害がある
7)史跡と古伝を滅却する
8)天然風景と天然記念物を滅亡する
松村任三(東京帝国大学教授、植物学者)あての書簡が柳田國男の知るところとなり、柳田により『南方二書』として印刷配布される。
《松村任三宛の書簡(南方二書の原本)》
神社合祀自体は、展示室内の年別推移表をみるとかなり進んだようである。
特に三重県・和歌山県・愛媛県では進んだらしい。
3 キャラメル箱の熊楠
1929年、紀南行幸の昭和天皇に進講、粘菌標本を天皇に献上。献上物は桐の箱など最高級のものに納められるのが常識だったところ、熊楠はキャラメルの空箱に入れて献上する。
《キャラメル箱》
献上した実物の箱ではなく、同型の箱が展示。大人買い用の大箱である。
4 菌類図譜・第二集
熊楠は、多数の菌類を集め、描写・記載し、数千枚にも及ぶ「菌類図譜」を作成する。2012年に新しく発見された「菌類図譜・第二集」が初公開されている。
左《カンゾウタケ》
右《ホウキタケ》
5 原稿完成までの熊楠
熊楠の代表作「十二支考・虎」を基に、原稿完成までの熊楠の思考に迫るコーナー。
《田辺抜書》
1907-34年まで、神社や図書館、知人などから借りた書籍を書き写した抜書ノート。全61冊に及ぶという。畏怖すべき記憶力のなせる技なのだろう、その膨大な情報から「虎」をピックアップして。
《「虎」腹稿》
メモ書き。
関係する事項をリンクで繋いで形作っていって。
《熊楠の自筆原稿》
原稿として仕上げる。
なお、展示原稿は、「虎」でなくて「鼠」。
とんでもない学問好きの人であることは認識した。
常設展料金で鑑賞できる本展、私が訪問した休日の午後、展示室内は想像以上に賑わっている。熊楠にそれほど集客力があるとは思えない。科博自体の人気なのだろうなあ。