東京でカラヴァッジョ 日記

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マンテーニャ《マギの礼拝》

2021年01月06日 | 西洋美術・各国美術
   彼ら(占星術の学者たち)が(ヘロデ)王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 
   家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 
(『マタイによる福音書』)
 
 
マンテーニャ
《東方三博士の礼拝》
1495〜1505年、48.6×65.6cm
ゲッティ美術館
 
   クローズアップの半身像で描かれた、聖母子、三人のマギ、聖ヨセフ。
   初老の白い肌のマギは、金貨で満たされた中国製の繊細な磁器を差し出している。
   壮年の褐色の肌のマギは、メノウで作られた蓋つきのカップを持っている。
   若年の黒い肌のマギは、トルコ製の香炉を持っている。
 
  
   余談だが、マンテーニャの本作品は、1985年4月のクリスティーズで、当時の絵画取引史上最高額である810万ポンドにてゲッティ美術館により落札された。
   その最高額の地位を2年間維持したが、1987年3月に安田火災のゴッホ《ひまわり》により奪われている。
 
 
 
   3人のマギに、異なる年齢と異なる大陸を割り当てた作品をもう1点、マンテーニャは残している。
 
マンテーニャ
三連祭壇画の中央パネル
《マギの礼拝》部分
1460年代、76×76.5cm
ウフィツィ美術館
 
 
   制作年代としては、こちらの方が30年ほど前となる。マントヴァ公ゴンザーガ家の居城の礼拝堂のために制作され、その形が凹面になっていることから、祭壇上の壁龕用であったとみられている。
   イタリア美術において、黒い肌のマギが登場する最も早い一例とされている。
 
   同時代のイタリア美術では、マギの黒人従者が登場するようになっていたが、マギはほとんど見られず、特に15-16世紀のトスカーナ地方では「黒人のマギ像のほぼ完全な不在」であったらしい。一方、北方美術では、15世紀後半以降、黒人のマギ像が一般化していく。マンテーニャの北方とのあいだの影響関係がここにも伺える。
 
 
参照:高階絵里加「〈東方三博士の礼拝〉図像学における異邦人表現」


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