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【画像】2024年6-7月のMOMATコレクション(東京国立近代美術館)

2024年07月22日 | 東京国立近代美術館常設展
 今期(2024/4/16〜8/25)の「MOMATコレクション」展示より、6選。
 
 
木村信
《小湛山堡塁正面図》
《小湛山堡塁背面図》
1915年、無期限貸与
 
 
 館が収蔵する戦争記録画のうち、例外的に第二次大戦と関連しない作品です。
 作者の木村についてわかっているのは、裏面にある「陸地測量師」という情報のみ。この絵は表現というより、記録のための図といっていいでしょう。
 「小湛山堡塁」とは、第一次大戦中にドイツ帝国が東アジアの拠点としていた青島(チンタオ)の要塞の一部。この堡塁(防衛のために土砂などを積み上げた陣地)は1914年、つまりこの絵が描かれる前年の末に、日本の部隊によって攻略されました。
 
 
 
速水御舟
《京の家・奈良の家》
1927年、購入、6/16まで展示
 
 
 右に京都の町屋、左に奈良でよく見られた大和棟の家屋を描きます。
 《京の家》を見ると、黄色の家は斜めから見ているはずなのに、下の方では横方向の線がことごとく水平で、建物がねじれているようです。正確な建物の描写や奥行き表現よりも、平面上の造形要素を整理することが優先されているのです。
 《奈良の家》も同じ。いろいろと整理した結果、とりわけ中庭に空間のゆがみが顕わとなっています。
 
 
 
柳瀬正夢
《門司港》
1919年、購入
 
 
 
古賀春江
《女》
1924年、寄贈
 1924年の「アクション」第2回展出品作。画面一杯に描かれた存在感のある女性は、膨らんだ胴と腕、胴の前に揃えた異様に大きな両手というアンバランスな比重で描かれているが、安定感のある姿となっている。この時期の古賀の作風について「アンドレ・ロート風」といわれることが多い。
(古賀春江展図録参照)
 
 
 
吉岡堅二
《椅子による女》
1931年、作者寄贈、6/18から展示
 橡(とち)の木蔭で椅子に腰掛ける女性が一人。このモダン・ガールのモデルは吉岡の妻の奈良江で、彼女が着ている洋服は、デザインから縫製まで吉岡が自分で作ったといいます。
 硬質で機械的な鋼管椅子やソーダサイフォンは、新しい時代を象徴する生活用品として、吉岡の作品にしばしば登場します。具体的な物を描いているのに、遠くまで何もない芝生の上の光景は現実味に欠けているようにも見える、不思議な絵です。
 本作では女性の服や靴、そして身体に沿う鋼管の曲線に白色が効果的に用いられ、生命感や情趣を重視してきたそれまでの日本画と一線を画す理知的な画面を構成しています。
 
 
 
菊池契月
《涅歯(はくろめ)》部分
1933年、購入、6/18から展示
 1922年菊池契月は教授をつとめていた京都市立絵画専門学校から派遺されて、中井宗太郎、入江波光とともに渡欧した。この時彼はイタリアのプロト・ルネッサンスの作家、とくにチマブエやジョットに惹かれ、実際にいくつかの作品の模写を試みている。東洋や西洋の古典的絵画を新しい感覚で生かそうとする彼の芸術の方向は、帰国後いっそう明確になり、《立女》《南波照間(はいはてろま)》などの作品を生むが、それに続く《涅歯》は澄みきった端正さとともに、ゆったりとした優雅さをもっている。《立女》《南波照間》にはルネッサンス絵画の意図的な導入が認められるのに対し、《涅歯》ではその影響は彼の清楚な表現の中に消化吸収されており、円熟期の代表作に挙げることができよう。

 



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