五右衛門風呂ちゅ~もんをご存じない方が 最近ではほとんどぢゃぁなぃんぢゃろぅか!? オイラ生まれが吉祥寺ぢゃったから お風呂は
銭湯ぢゃった 子供心に僅かながら覚えちょります 親父が新日鉄関連の仕事ぢゃったけぇ 山口県光市に転勤となった 住まいは出張所の
二階部分ぢゃった そんときのお風呂が五右衛門風呂ぢゃった
4歳から18歳まで五右衛門風呂で入浴しちょりました 釜が熱いため木で作った円形の踏み台を足で沈め その上に乗っかるような
入浴スタイルぢゃ 五右衛門風呂は鎌倉時代初め 僧侶・重源上人(防府市・現在では重源の里がある)は南都焼討で被害を受けた
東大寺再建のため 木材調達に周防国に渡る この重源上人が考案製作した東大寺別院阿弥陀寺の湯屋にある 鉄湯舟が直火煙道式の鋳鉄製
五右衛門風呂の元祖 重源上人によって中国から渡ってきた五右衛門風呂のルーツをスタートとするなら 日本の五右衛門風呂文化はおよそ
800年以上の歴史となる
江戸時代後期になると 西日本では自宅に五右衛門風呂を作る家も増えてきた 一方江戸中期にはすでに人口100万人を越す過密都市で
あった江戸では 燃料や水の確保が難しく また木造の長屋が密集していた為 頻繁に起きていた火事を防ぐためにも 一般的に
ならなかった それに代わり江戸の人々の社交場でもあった銭湯が当時の主流だったようぢゃ
やじさん&きたさんが江戸~京都大坂まで東海道を旅する珍道中「東海道中膝栗毛」には 草津・大津あたりからが五右衛門風呂圏で
小田原宿のくだりにも「・・・・上方で流行っている五右衛門風呂」と書かれているように 西日本で五右衛門風呂文化は進んでいた
ようぢゃ
オイラの家では 当初薪で風呂を沸かしちょりました 薪で沸かしたお風呂は火が残るため 何時までも暖かい状態が続いて 冬場など
追い炊き知らず ぢゃがやがて重油ボイラーに変わった オイラ達が東京に出てしばらくすると 光の出張所が閉鎖され転移した
それ以来五右衛門風呂と出会えてはいない 今多分五右衛門風呂は希少な存在になっておると思う