ベルリンの壁は ドイツが東西に分断された象徴として知られている 第二次世界大戦後 ドイツはアメリカ・イギリス・フランスが統治する西ドイツと
旧ソ連が統治する東ドイツに分断ベルリンは両陣営の境界に位置し ブランデンブルク門を境に社会主義と資本主義の体制が分かれていた
そして今を遡ること35年前の1989年11月9日 東ドイツが旅行自由化策を発表したことをきっかけにベルリンが崩壊した
ベルリンの壁の崩壊は 次のような要因が重なった結果として起こった
〇東欧諸国で改革の波が起き 東ドイツの政権は硬直的に対応した
〇東ドイツでは反体制運動が盛り上がり ライプチヒでは月曜日デモが組織された
〇ハンガリーでは国境の鉄条網が撤去され 2万を超える東ドイツ市民が西側に脱出していた
〇ドイツの政権はホーネッカーを更迭し事態の収拾を画策した
〇11月9日に東ドイツが旅行自由化策を発表し その時期を直ちにとしたため 壁に群集が殺到した
ベルリンの壁の崩壊は冷戦の終結を意味し 1990年に東西ドイツは再び統一された