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フライフィッシャーの独り言

目黒行人坂の火災(明和9年2月29日)と 丙寅の火災(文化3年3月4日)そして明暦の大火

(明暦3年1月18日)が江戸三大大火である 以前ブログに書いた(グーブログの前ティーカップ)

繰り返すことにはなるが・・・・・・

浅草諏訪町の大増屋十右兵衛の一人娘 お菊は上野の花見へ行った帰りに 寺小姓の美少年にひとめぼれ

をしてしまった それからというもの お菊は食事ものどを通らず 寝ても覚めても寺小姓を想う日々

ある日お菊はせめてもの慰めにと かの美少年が着ていたのと同じ模様の振袖を作ることにした

それでも想いはつのるばかりで ついには病に臥せ恋しい相手に会うこともできず 明暦元年1月16日

16歳(17歳とも)の若さでこの世を去ってしまうのだった

娘の気持ちを憐れんだ両親は お菊の棺に振袖をかけて本郷丸山の本妙寺に葬った 35日の法事が

済むと 住職はお菊の振袖を古着屋に売ってしまった こうして振袖は持ち主を変えながら次々と不幸を

運んでいくことになる

死んだお菊の振袖を最初に手に入れたのは 本郷元町の麹屋吉兵衛の娘お花だった お花は古着屋で

見つけたこの振袖に心を引かれて両親に買ってもらった しかし翌年お菊と同じ1月16日に16歳で病死

する お花の葬式は本妙寺で執り行われ これまた振袖が寺に納められた 法事が終わり振袖は再び

古着屋の手を経て 今度は中橋の質屋伊勢谷五兵衛の娘にわたるのだが 彼女も2人の娘と同じく

翌年の1月116日に16歳で亡くなってしまう

振袖によってもたらされる不思議な因縁に恐ろしくなった住職は 供養をして振袖を焼き払うことにした

明暦3(1657年)年1月18日 和尚が読経しながら振袖を火に投じると 突如として一陣の強風が

吹き荒れた すると火のついた振袖は火の粉を散らしながら舞い上がり 本堂はあっというまに火柱に

なってしまったという

詳細は本郷丸山の徳栄山惣持院本妙寺(旧在所は文京区本郷5丁目菊坂付近)から午後2時ごろ発生

湯島から神田あたりを経て八丁堀から霊厳島・佃島さらには石川島にも及ぶ

明けて19日に火はいったん衰えたが 北風は相変わらず強く吹き荒れていた

午前10時過ぎに再び小石川伝通院前の新鷹匠町から出火し 前日に焼け残った水戸邸など含む

小石川一帯を焼きつくし さらに濠を越えて飯田橋から江戸城本丸・二之丸・三之丸をも焼く大火となって

しまった 夜がふけてようやく火も鎮まったかとみえたのもつかの間 麹町5丁目から再度火の手が

上がり 桜田門一帯の大名屋敷や西之丸下の武家屋敷を焼き 二手に分かれた火は鉄砲洲や芝の海浜にまで

延び江戸の町をほとんど焦土と化してしまった

斎藤月岑は この大火の被害状況を『武江年表』に「万石以上の御屋敷五百余宇・御旗本七百七十余宇

堂社三百五十余宇・町屋四百町・焼死十万七千四十六人といへり」と記している

 

 

http://www.genesis-ot.jp/


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