育ての親と慕っていた叔母が・・。

神奈川の叔母が8月に大腸がんが見つかり、入院中だった事を10月になって知ったものの、関東に住む義理の息子から「大勢で見舞いに来るのは控えて欲しい」とのことで。
退院するのを待ち構えて、11月16日早朝に、私一人で神奈川に向かったのです。
正直な所、名神・新名神・東名阪・伊勢湾岸・新東名・東名と、自分一人で運転して走ったことがなく、子供たちも心配をしていました。
40分ほど走っては、途中のSAやPAに寄り、トイレ・タバコ・コーヒータイムを兼ねて休み休み、距離を稼ぎました。
自宅を出て、6時間30分ほどで叔母の自宅に到着しました。
関西から、先発隊として従姉妹の二人が叔母の身の回りの世話をしていて、叔母を入れて4人が揃いました。
手術と長期の入院で、多少のやつれはあったものの、話し声も確りとしていて安心したものでした。
夜には、私の車で4人揃って、駅前の食事処へ夕食を摂りにも出かけられたのです。
夕食から帰っても、4人が昔話に花を咲かせ、気が付くと時計の針が、翌日に進もうとしていました。

運転の疲れもあり、ぐっすり眠って翌朝は7時ごろに目が覚めました。
当初から、1泊2日の予定で、大阪を出たので、日が落ちるまでに家に辿り着きたいので、9時ぐらいに一度は腰を上げたのですが、話が尽きず、それから小一時間も話し込んで、ようやく神奈川を後にしました。
帰り道も大した渋滞もなく、6時間と少しで自宅に辿り着きました。

帰宅翌日には、関西に住む、叔父・叔母、そして従妹弟たちに、叔母の様子を電話で伝えると皆、安堵していたものです。

そして、先週の9日(金曜日)に、関東に住む叔母の義理の息子からLINEメッセージが届きました。

LINEメッセージ

『原文のまま。』

「おはよう御座います。

今週11/6(火曜日)午後14:02分に安らかに永遠の眠りにつきました

こちらの事情と火葬場の日程他の都合により昨日11/8(木曜日)旅立ちました。

尚、納骨に関しては寒くなってくるので母親の兄妹の身体を考えて来年暖かくなってからと思っています。

決まり次第連絡を入れます

お世話になりました」


「皆様にお伝えください」

LINEメッセージ

『原文のまま。』

「●●さんの病状が急変して、逝ったのですか?頭が混乱しています。」

その直ぐ後に、義理の息子からLINEトークの呼び出し音が鳴りました。

叔母が亡くなる直前の様子を話していたのですが、気持ちが動転して、半分上の空で聞いていました。

電話を切って、叔母が亡くなった事、葬儀が済んでいる事を、自分に言い聞かせようやく理解したくらいでした。

そして、LINEメッセージの最後にあった、「皆様にお伝えください」の言葉通り電話機を取り上げました。

先ずは、私の子供たちにLINEメッセージを送りました。

存命している叔父・叔母のうち、神奈川の叔母が最年長で、叔母の弟・妹に連絡を入れました。
二人とも、言葉が出てこず、無言の時が流れていました。

その後、私の弟の自宅に電話すると、義理の妹が出てくれ、神奈川の叔母が亡くなったと伝えると「うそぉ~!」。
「私は、嘘をつかない」と、そして「神奈川の叔母さんの弟・妹に、亡くなった事も伝えず、葬儀も済ませて、そんな事許されるの?」と・・。
私に怒っても、もう、どうしようもないと・・。

その後も、順番に従妹弟たちに連絡をしたものです。

幼少の頃から、叔母ではなく、育ての親と慕っていた人が逝ってしまってから、1週間になるのですが、お通夜にも・葬儀にも参列できなかったので、未だに実感が湧きません。
関東地方に、地震などの災害がニュースで流れると、亡き叔母の家に電話を掛けないか心配です。


備忘録として、書き残しますので、コメントご遠慮いただければ幸いです。

合掌


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