己に素直に、思うままに!!

浅学菲才を恥じることなく、思う事を飾らずに綴ります。

土佐 樹誉彦氏のブログ

2013-08-26 11:04:53 | 日記

息子・娘達へ   

以下、抜粋(一部ハイライト表示)です。全文は ⇒ 「義理と人情と心意気と・・・ときどきてきと~に2」

学校は楽しいですか? 友達と沢山遊んでいますか?ご飯は沢山食べていますか?ボールを蹴ったり、壁に上ったり、自転車で冒険したり、秘密基地を作ったり・・・

今あなたが経験していることは、大人になったときにとても役に立つ事です。友達と物の獲りっこをしたり、いたずらやケンカをすることもあるでしょう。新しい遊びを考えたり、木の枝などで武器を作ったり、好きな子にわざとちょっかいを出してみたり、テレビや友達から覚えたばかりの乱暴な言葉をわざと使ってみたり、近所の家のインターホンをいたずらで鳴らして逃げて怒られているかもしれませんね。

それらの経験で学ぶものは学校の勉強からは得られません。テレビゲームからも得られません。でも勉強はしっかりとして下さい。出来ないよりは出来たほうが良い。大人になって必要な基礎、また学ぶという姿勢は必ず役に立ちます。それを今しっかりと築いて下さい。

テレビゲーム、ポータブルゲームは無くても良い。やらなくても、あなたの人生を困らせることはありません。代わりに沢山の本を読んでください。本を読むことで、知識が増え、読み取る力がつき、勉強もできるようになります。何より、あなたが一生かけても出来ない経験を本の世界では得ることができます。それはあなたの人間としての厚み可能性を無限に広げてくれます。

色々な友達や、周囲の人達との関わりを大切にして下さい。誰かに会ったときには必ず笑顔で、自分から挨拶をして下さい。その人がそのときは返してくれなくてもです。いずれその人達があなたの味方になってくれるでしょう。そして、自分が心をひらかなければ、相手もひらいてくれないことを知って下さい。

あなたを叱ることがあります。あなたが嫌いだからではなく、可愛いからこそと理解して下さい。自分があなたと同じ年齢を経験してきたからこそ、叱らなくてはいけないときがあります。

今は家族以外の人から叱られることが少なくなりました。でもお父さん・お母さんだけではなく、他人から叱られることはとても大切なことです。その時は嫌な気分になるかもしれませんが、本当に大切なことを教えてもらっていると思ってください。

そして、家でも、学校でも、習い事でも、辛いことがあったときに逃げないで下さい。善悪の判別がつかない小さいうちは特にです。そのときはお父さん・お母さんの言うことを聞いて下さい。逃げることからは何も生まれません。目を背けず、向き合うこと、それがあなたの心を鍛えてくれます。

ただ、万が一いじめだったり、一人ではどうしようもないときには、逃げていい場合もあります・・そのときにはあなたは絶対に一人ではない ということを忘れないで下さい。

たまに、家庭でも、学校でも、友達同士でも理不尽なことがあります。でも、生きていると常に正しいことは起こりません。むしろ、沢山の正しくないことと、正しいことがあって世の中が出来ています。生きている人間の数だけそれはあります。10人居たら、それぞれが違う考えであることを理解して、むしろそれは自然なことであると処理をして下さい。

しかし、それでも正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると貫き通せる自分の信念を持って下さい。間違っていると分かったときには、素直に謝ってください。意地を張っても何のプラスにもなりません。

なにより、あなたが今生きているのは、お父さんお母さんがいるお陰です今、毎日ご飯が食べられること、着る服があること、幼稚園や学校にいけること、空手やプールやサッカー野球、ダンス、塾、へいけることは当たり前ではありません。いきたくてもいけない子、好きなものを食べたくても食べられない子が世の中にはいます。自分だけがこの世の中で生きているわけではないこと、そしてご両親に生かされていることに感謝の気持ちを持って下さい。

習い事は行かされているのではなく、行かせて頂いているのです。僕は私はそんなこと頼んでないなんて思わないで下さい。それを言っていいのは、一人で生きる力がついたときです。大体、やらされた、やらされてると思いがちですが、それは違います。養われているうちは、自分で生きていけないうちは、それは言ってはいけない。なぜなら、お父さん、お母さんの長い人生の経験で、必要であると思うことだからこそ学ばせています。

それでも、言いたくなるときも、言ってしまうときも、言うことを聞きたくないときもあるでしょう。それは自然なことです。なにより、あなたが親離れをしようとしている証しです。そのときは口げんかをするかもしれませんが、お父さんとお母さんはあなたの成長を強く感じ喜んでくれているはずです。今は分からなくても、いつかあなたに家族ができたときにその意味が分かるでしょう。

人間はそうやって、周りの人たちと自分の違いの中で揉まれて大きくなっていきます。お父さん、お母さんとそうした話しが出来るようになったことに感謝してください。どんなに気に入らなくても、少なくともあなたをそこまで育てたのはお父さん、お母さんです。

一生のうち本当に多くの人たちとめぐり合いますが、友達、仲間を大切にしてください。どれだけあなたが偉くなっても、強くなっても、お金を持っていたとしても、人はただそれだけの人にはついてきてくれません。ついてきているとしたらそれは、あなたにではなく、あなたの持っているお金、名誉、地位、に対してです。

人の心、繋がり、絆は、その人がもっている心に惹かれます。それは未来永劫絶対に変わりません。あなたの親友・心友が、仲間が、一生の財産・宝となります。そんな「心」で付き合える友達を作ってください。

そのために、色んな人に会い、見て、話しをし、色々な考え方、視点、発想力、応用力を学ぶ必要があります。自分の考え方、意見をしっかりとつくる必要があります。だからこそ、テレビゲームなどではなく外に出て、友達と遊び、沢山の経験を積んで下さい。

人はときに失敗をすることがあります。失敗しない人間は居ない。人は失敗することを恐れます。失敗はしないほうが良い。だけど恐れず沢山の失敗をして下さい。失敗・挫折無くして、人間は成長しない。失敗は、あなたを次のステップへ進ませてくれるために起こります。そのときにあなたがこれをどう捉えるかで、人生は変わります。神様はあなたに乗り越えられない試練は与えません。

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1985年8月12日、御巣鷹山

2013-08-12 22:33:26 | 日記

空の安全を祈って28年  

520名の乗客・乗員が亡くなりました。働き盛りで会社の命運を握っていた人や家族連れの乗客など、その一人一人の人生がこの事故で失われました。それと同時に、関係する人たちの人生も大きく狂いました。年老いてから慰霊のために登山することになろうとは誰が思ったことでしょうか。

4名が奇跡的に救助されました。しかし、機体の破損で迷走を続けていた数十分間、どんなに怖かったことかと思います。死を覚悟したとしてもおかしくありません。

「両親をたのむ。しっかり生きろ。立派になれ」「こんなことになるとは残念だ。さよなら。子供達のことをたのむ」というメッセージをメモとして残した乗客もいます。文字の乱れは機体の揺れが如何にすごかったかを物語っていました。

操縦士は、懸命に操縦が不能になった機体の立て直しを図っていました。ボイスレコーダーに残されたその音声を聞くと、乗客の安全を守ろうとする悲痛な叫びが聞こえます。  

あらためて520名の御霊に頭を垂れると同時に、「空の安全」を祈らざるを得ません。  

                                       合 掌

          

御巣鷹の尾根、昇魂之碑

www.­goennet.­ne.­jp/­~hohri/­n-­irei.­htm


ブログに綴る「生きた証」

2013-08-07 10:02:41 | 日記

小野義秀氏は、矯正の世界に身を置いて35年。退職後は伊豆高原に居を構え、ブログ「伊豆高原シニア・ライフ日記」で、自然あふれる環境の下での悠々自適の生活を綴っています。

「少しでも身体能力と知的能力の衰退を防ぎ、他者に依存することなく自立できる後期高齢者の生き方をできるだけ実現するよう日々努力したい」とブログで自己紹介しています。

2005年から書き始め、当初は試行錯誤の連続だったといいます。そして、齢を重ねるに従い、「いつしか気付かぬままに」執筆の量が減ってきているといいます。そしてそれは、「致し方ないことなのであろう」といいます。

歳をとれば誰でも気力が衰え、できることも限られてきます。だからこそ、歳をとってから書くブログはかなりの重みを持ってきます。「ブログ道」の久米信行氏も、人生最後の日までブログを書き続けていくことに意味があると言っています。 

小野氏は、ブログの記事を本にして残しています。いわば「私家版」というものです。毎年2回、半年分の記事をブログの製本サービス「Mybooks」を利用して本にし、それが今年の夏に14冊になったといいます。

「14冊の記録を手元に置いてみると、よくぞここまで書き続けてきたとも思う。これから後何年、つまりあと何冊書き上げることができるだろうか」と、小野氏はその思いを綴っています。パソコンで読むのと違って印刷(製本)されたものを手に取って読む感慨は格別なものだろうと思います。それはまさに、「生きた証」をそこに見ると言っていいのではないでしょうか。

「いずれにせよ、この冊子を広げる人があるとすれば家内しかいないだろうが、一つの形を残すこと自体にも意味あることだとおもっている」と、小野氏はいいます。

しかし、親が健在なときにはそのブログをまともに読まなかった子供も親の死後にはそれをかけがえのない形見として手に取って読むはずです。そういう親子関係もあっていいと思います。

私は子供がいません。しかし私もブログを「生きた証」として活用しています。子供がいないからこそブログに「生きた証」を残す意味もあろうかと思います。

伊豆高原シニア・ライフ日記 ⇒ http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406

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