昨年末に十八代目中村勘三郎、そして今月は十二代目市川團十郎という大名跡を続けて失いました。謹んでご冥福をお祈りするとともに、第五期歌舞伎座の開場を四月にひかえた平成歌舞伎のさらなる発展を願ってやみません。
さて、本稿では歌舞伎学会が二年目を迎えた平成元年(1989年)の活動記録を振り返ります。
前年より闘病中だった昭和天皇は、この年の1月7日に崩御し、元号は平成と改められました。2月には手塚治虫、6月には美空ひばりと昭和を代表する有名人が相次いで亡くなりましたが、歌舞伎界でも前年の十七代目中村勘三郎に続いて二代目尾上松緑が帰らぬ人となりました。
この年の歌舞伎学会は、1月と12月に東武百貨店での連続演劇講演会、5月に歌舞伎フォーラム、11月と12月と場所を変えての秋季大会と盛りだくさんのイベントを開催しました。
5月のフォーラムでは、澤村田之助丈をお招きして、歌舞伎での上演が途絶えている「鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)」を取り上げたシンポジウムを開催しましたが、この時田之助丈にお願いした台詞の朗唱の素晴らしさは学会の語りぐさになっています。
11月には特別秋季大会として、歌舞伎の創始者阿国のふるさと出雲市大社町まで出向いて、講演とシンポジウムを行いました。出雲市は、この年5月に第一回出雲阿国歌舞伎(富十郎、團十郎、澤村藤十郎らによる本興行)を開催しており、出雲阿国座の設立を目指した事業に力を入れ始めた頃でした。
このフォーラムと、特別秋季大会の内容は、翌年6月に刊行された『歌舞伎―研究と批評』第5号に載録されています。
詳細は↓↓
さて、本稿では歌舞伎学会が二年目を迎えた平成元年(1989年)の活動記録を振り返ります。
前年より闘病中だった昭和天皇は、この年の1月7日に崩御し、元号は平成と改められました。2月には手塚治虫、6月には美空ひばりと昭和を代表する有名人が相次いで亡くなりましたが、歌舞伎界でも前年の十七代目中村勘三郎に続いて二代目尾上松緑が帰らぬ人となりました。
この年の歌舞伎学会は、1月と12月に東武百貨店での連続演劇講演会、5月に歌舞伎フォーラム、11月と12月と場所を変えての秋季大会と盛りだくさんのイベントを開催しました。
5月のフォーラムでは、澤村田之助丈をお招きして、歌舞伎での上演が途絶えている「鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)」を取り上げたシンポジウムを開催しましたが、この時田之助丈にお願いした台詞の朗唱の素晴らしさは学会の語りぐさになっています。
11月には特別秋季大会として、歌舞伎の創始者阿国のふるさと出雲市大社町まで出向いて、講演とシンポジウムを行いました。出雲市は、この年5月に第一回出雲阿国歌舞伎(富十郎、團十郎、澤村藤十郎らによる本興行)を開催しており、出雲阿国座の設立を目指した事業に力を入れ始めた頃でした。
このフォーラムと、特別秋季大会の内容は、翌年6月に刊行された『歌舞伎―研究と批評』第5号に載録されています。
詳細は↓↓