始まりは2005年5月。
GWの最終日、デジカメを携えて、市内の寺院の撮影に行った。
残念ながら、撮影のほうはイマイチだった。
そのせいもあり、時間もあったので、近くの河原へ行ってみた。
子供が何か捕まえている様子に家族が興味を示す。
そこで、素手で小さなエビをすくってみせる。
やや興奮ぎみの家族が、ペットボトルに入れろと言い出す。
意外な反応と感じたが、結局エビ数匹を持ち帰ることになる。
帰る途中にスーパー内のペットショップへ寄り、40センチ水槽を購入する。
エビだけでは寂しいので、併せてメダカを購入する。
この頃の僕は、淡水魚をショップで購入する事に疑問を持っていなかった。
それから2週間後の週末、エビと追加の住人を求めて同じ川へ行く。
石をどかした時、下から出てきた妙な魚を捕獲する。
家族にはドンコを捕まえたと報告した。
北九州在住だった子供時代、フナの外道で釣れる底物をドンコと呼んでいた。
このことから、深く考えずドンコと呼んだのである。
意気揚揚と連れ帰るが・・・家族から「可愛くない」と言われがっかりする。
これが、淡水ハゼと関わる事となるきっかけである。
自宅に魚の図鑑など無いので、ネットを検索する。
どこかのサイトに掲載された画像を見た家族から、ドンコと顔が違うと指摘される。
いろいろな画像を見ていくうちに、この魚はヨシノボリだという結論になる。
http://www.agri-kanagawa.jp/naisui/fishfile/yosi_tou.htm
http://www.agri-kanagawa.jp/naisui/fishfile/yosi_tou.html
どうやら細かく種類があるようだが・・・どのヨシノボリかは解らなかった。
そもそも何を食べさせれば良いかが解らない。
周囲にアドバイスをしてくれるような魚好きの知人は居ない。
メダカの餌に興味を示さないのが当面の問題となる。
家族がショップで聞き込んで、冷凍アカムシを購入する。
ヨシノボリは冷凍アカムシをパクッと食べる。
ピョン!というそのしぐさで、この魚への家族の評価が「可愛い」に変わる。
この魚の魅力は、まさに愛嬌がある事である。
ネット検索を続けるうちに、N氏の淡水魚サイトをみつける。
餌・水換え・病気の事など、いろいろな事を参考にさせていただいた。
思いおこせば、最初の頃はひどい事ばかりやっていたものである。
BBS(Web掲示板)もあるのでデビューを考える。
たまたま見かけた、規約違反を指摘する管理人のコメントに、これは規約を読むのが先だと考える。
忙しい日々、結局N氏のBBSデビューは先送りされる。
ある日、ネット検索をしていて、また別のサイトにたどり着く。
なんと・・・ヨシノボリ類がメインではないか。
ここまでヨシノボリに特化したサイトは他には見当たらない・・・と感銘を受ける。
このT氏のBBSにデビューする事を前提にコンテンツをチェックする。
gooのメールアドレスを取得し、ハンドル名を「かっちゃん」と名乗る。
僕は身の周りに淡水魚をやっている人が居なかったが、これをネットに求める事になる。
T氏サイトのBBSにデビューする・・・期待通りであった。
程なく、ヨシノボリの画像をアップする。
神奈川に居ないはずのカワヨシノボリだと指摘される。
この時、BBSにコメントされた方より、標本にするよう薦められる。
そして、もちろん、謝絶する。
この人物が、前述のN氏と同一人物という事にしばらく気がつかなかった。
N氏とはこの機会に交流ができ、N氏サイトのBBSへデビューすると約束する。
ただ、規約をじっくり読む時間が無く、実際のデビューは少し先となる。
この頃の僕は、まだ本格的に採集などやっておらず、浅いところでエビを掬っているレベルであった。
T氏に採集に連れていって頂く機会を得る。
クロヨシノボリ・シマヨシノボリ、他にはボウズハゼとスミウキゴリを見る。
この事がきっかけとなって、単独でも広く探索に赴くようになる。
元田舎の少年にとって、魚捕りはごく普通の遊びであった。
卒業してあまりに久しいが、カンを取り戻すのにさほど時間はかからなかった。
いくつになっても、男とは子供であり楽しい事には熱中するのである。
当初、ヨシノボリ類のうち、もっとも見たかったのがルリヨシノボリである。
http://www.agri-kanagawa.jp/naisui/fishfile/ruriyosi.htm
http://www.agri-kanagawa.jp/naisui/fishfile/yosi_ruri.html
地元神奈川県東部で見つける事は無理と思い、西部の川へ行く。
同じくルリヨシ観察中のT氏と川で遭遇する。
奇妙なご縁と感じたものである。
探索エリアも近県へと拡大する。
行動半径が広がるにつれ、遭遇するヨシノボリの種類も増える。
各種ヨシノボリを連れて帰る。
移入では無いカワヨシノボリを求めて、静岡へも遠征する。
静岡は、比較的近隣ながら、とても良い河川環境であると知る。
経験を積み、機材や採集方法などは少しずつ変化する。
水槽は早くに60センチになっていたが、さすがに手狭になる。
引越しと同時に90センチ水槽にアップする。
N氏の発信により、大阪で淡水魚の学会がある事を知る。
寝台列車で関西へ行く計画をしていた時期でもあったので、行ってみる事にする。
見知らぬ学会という世界、ただ最初の印象はやや窮屈な感じだった。
懇親会のニ次会に出るため宿所に赴いた(自分は別所に宿泊)が、長居しすぎ脱出に苦労する事になる。
この夜、沖縄に生息する小型ボウズハゼ類について、新たな知見を得る。
それまで縁の無い熱帯魚だと思っていたのだが、全く認識が変わる。
その後沖縄への遠征を繰り返すようになる、直接のきっかけは学会の夜の部であった。
この頃、淡水魚系のメーリングリストの存在を知る。
問合せをしてみたが、管理者から現在活動していないという返事を受ける。
その代り、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス )に招待していただける事となる。
SNSはOPENな世界では無いので、詳細は割愛する。
この頃は、もっぱら2つのサイトのBBSを中心にネット活動していた。
かつてはWebサイトの運営を手がけた事があったが、魚サイトを立ち上げる気は無かった。
ブログにも、まださほどの興味は無かった。
SNSは当初何をやったら良いか解らなかった。
が、慣れてくるに従い、いわゆる日記形式の情報発信に対する認識が変わる。
それは、「更新が容易なWebサイト」という捉え方である。
かつてはブログが何だ・・・と思った事もあったのだが、大きく印象が変わる。
N氏のお世話になり、琵琶湖遠征の機会を得る。
この遠征はインパクトが強く、大いに刺激を受ける。
ただ、正直しんどかった。
ビワヨシノボリを採集し、この時期の目標をクリアする。
N氏のサイトの常連さんと交流を深める事もできた。
沖縄の事を考えるようになる。
アドバイスをいただいたT氏が八重山(西表)へ遠征すると聞き、ご一行に合流を申し出る。
後から合流した事もあると思うが、微妙な空気と妙な疎外感があった。
この時の目標はナンヨウボウズハゼ、ヨシノボリと勝手が違い苦戦する。
なんとか目標はクリアしたが、これまでの採集方法を大きく見直す事となる。
SNSの経験から、ブログの開設を思い立つ。
この年の前半、N氏のBBSはウナギ釣りの話題が続き、T氏のBBSは汽水ネタで溢れていた。
このような背景もあり、人のサイトを本拠地化している事に初めて疑問を持つ。
交流はBBSが良いが、情報発信基地は自前で持つべきではないか?と思うようになる。
とはいえ、最初は、なんとなく興味半分であった。
青色系ナンヨウボウズハゼに惹かれ、Y氏のサイトの水中写真から、今も使っているアイコンの画像を手に入れる。(つまり自分で撮影した画像では無い)
2度目の八重山遠征を果たし、青色ナンヨウボウズハゼという目標をクリアする。
その後の目標をアカボウズハゼに定める。
これまでに経験の無いエリアでの活動を始める事となる。
この頃より、アドバイザー的存在だったT氏との距離感に変化が感じられる。
アカボウズハゼに関わる話題からBBSで投稿削除を受ける。
十分なT氏の説明もあって、大事には至らず収束する。
ただ、アカボウズハゼが関わると、態度が豹変するかのような印象を受ける。
そして、情報発信はブログで、交流はBBSでというスタイルは、これを機に鮮明となる。
ある時期以降、T氏はあまりフィールドへ出なくなっていた感がある。
T氏のBBSの常連さんと採集に行く機会もあったが、T氏は参加されなかった。
BBSによりネットで交流してきたのであるから、直接一緒に行動する必要性は低いのかもしれない。
これにより、採集などは個人同士で行動する傾向となる。
自ら先頭に立ち、みんなを引っ張るN氏とは対象的である。
N氏のご案内により、ウシヨシノボリを採集、目標をひとつクリアする。
特徴的な小さなヨシノボリである。
これにより、内地のヨシノボリは、いちおうひととおり見る事ができた。(当時)
ウシヨシの採集は短時間で終わり、時間もあるのでN氏の釣りにお供する。
大きな川の下流域で、無心にルアーを投げる。
目指す魚は釣れなかったが、まったりと楽しいひと時を過す事ができた。
あまり興味が無い事でも、魚の知見を広げるという観点で色々やってみても良いのではないか。
漠然と思い始めたのは、この釣りの時だったように思う。
その後も、N氏とは採集・学会などの交流が続く。
身近に居なかったというのもあるが、趣味友を求めるならネットは有効である。
幸いにも良い魚仲間に恵まれたと思っている。
それまでさほど熱心では無かった汽水域の探索などもやってみる事になる。
ネットでの交流の場も、次第にN氏のBBSへと軸足を移していく事となる。
この年の夏、再び八重山へと遠征する。
最大の目標はアカボウズハゼであったが、体調にやや不安を感じての遠征となる。
無理は禁物、結局無難な川遊びに終始し、アカボウズハゼの探索は見送る。
・・・が、ある確信を得る。
この確信に基づき、短期間のうちに、第二次遠征を強行する。
そして狙い通り、アカボウズハゼという目標をクリアする。
少し前に、写真家・内山りゅう氏の写真展に行く機会があった。
淡水魚を対象としたものでは無かったが、もともと写真は趣味でもあるし、大いに感銘を受ける。
川探索用に防水デジカメは持っていたので、この遠征の時にテスト的に水中撮影にトライする。
といっても、まだ思いつきの域であったと思う。
もうひとつ、この遠征の時に、ギラギラと光るナンヨウボウズハゼ属を見る。
網に入れる寸前にまで追い詰めはしたが、結局逃げられた。
画像も無く、確かなことは言えないが、コンテリボウズハゼだったと思う。
次の目標として、コンテリがクローズアップされる。
T氏のBBSにて、アカボウズハゼの画像など投稿する。
・・・が、再び投稿削除をされる。
正直、なぜ削除対象となるのか理解できなかった。
そして、削除理由の説明文は、事情を知らない第三者に重大な誤解を招きかねない内容で、捨てておけなかった。
結局、この件をきっかけとして、T氏のBBSから実質的に撤退する。
八重山遠征は、3年目に突入となる。
防水デジカメをモデルチェンジ後の最初の水中撮影はピンボケに終わる。
この頃はまだ記録的な目的意識のほうが強かったようだ。
目標のコンテリボウズハゼとは遭遇できなかったが、サプライズでツバサハゼと遭遇する。
画質はあまり良くないが、水中撮影もし、画像として残す事ができた。
別の川で綺麗なキバラヨシノボリを見る機会も得る。
が、やはりコンテリボウズハゼには遭遇できない。
スコールのような雨に見舞われたり、足を負傷したりと印象に残る遠征であった。
そして、晴れ男の神話は、この遠征を持って終了となる。
紀伊半島南部へ遠征し、ナンヨウボウズハゼを採集する。
このことがきっかけとなり、新しい交流も生まれる。
そして、より南方の小型ボウズハゼ類への志向が強くなる。
紀伊半島へは、また遠征する機会を持ちたいものである。
この年の第二次八重山遠征は、諸々の事情により11月となる。
季節は秋であるので、ウエットスーツの導入に踏み切る。
これにより、本格的に水中観察と撮影が可能となる。
「採集」「飼育」に続く新しい方向性として、「撮影」がクローズアップされる。
実際、水中に潜り写真を撮るのは、採集に劣らず楽しいのである。
好きな魚は一度は飼ってみたいものだが、今後は撮影を中心にするのも悪くは無い。
そうなるとやはりカメラも良いものが欲しくなるのであるが・・・
2010年のお魚活動も、N氏主催の忘年会で締めくくる事になる。
雪の舞うなか、採集に行き、川魚料理を食し、夜は酒席を楽しむ。
同じ魚好き、N氏サイトの関係者はウマの合う方が多い。
今後もこんな感じでやっていければ良いと思っている。
この略歴は、2010年末の締めくくりとして書き始めたものである。
諸々の事情から中断し、2011年4月にようやく公開するに至る。
今年も南方系小型ボウズハゼ類が、第一の目標である事は変わらない。
よりいっそう、その方向性が強くなっている。
そして、新境地とでもいう水中撮影である。
機材のグレードアップよりも、まずはウデを上げなければなるまい。
今後、少なくとも南方系では「撮る」事へのシフトが進むと考えている。
年末に、今年1年を締めくくる時、どんな回想をしているだろう。
まだ、今年は始まったばかりなのである。
かっちゃんのお魚ブログ 足跡帳・雑記帳と略歴紹介へ
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GWの最終日、デジカメを携えて、市内の寺院の撮影に行った。
残念ながら、撮影のほうはイマイチだった。
そのせいもあり、時間もあったので、近くの河原へ行ってみた。
子供が何か捕まえている様子に家族が興味を示す。
そこで、素手で小さなエビをすくってみせる。
やや興奮ぎみの家族が、ペットボトルに入れろと言い出す。
意外な反応と感じたが、結局エビ数匹を持ち帰ることになる。
帰る途中にスーパー内のペットショップへ寄り、40センチ水槽を購入する。
エビだけでは寂しいので、併せてメダカを購入する。
この頃の僕は、淡水魚をショップで購入する事に疑問を持っていなかった。
それから2週間後の週末、エビと追加の住人を求めて同じ川へ行く。
石をどかした時、下から出てきた妙な魚を捕獲する。
家族にはドンコを捕まえたと報告した。
北九州在住だった子供時代、フナの外道で釣れる底物をドンコと呼んでいた。
このことから、深く考えずドンコと呼んだのである。
意気揚揚と連れ帰るが・・・家族から「可愛くない」と言われがっかりする。
これが、淡水ハゼと関わる事となるきっかけである。
自宅に魚の図鑑など無いので、ネットを検索する。
どこかのサイトに掲載された画像を見た家族から、ドンコと顔が違うと指摘される。
いろいろな画像を見ていくうちに、この魚はヨシノボリだという結論になる。
http://www.agri-kanagawa.jp/naisui/fishfile/yosi_tou.html
どうやら細かく種類があるようだが・・・どのヨシノボリかは解らなかった。
そもそも何を食べさせれば良いかが解らない。
周囲にアドバイスをしてくれるような魚好きの知人は居ない。
メダカの餌に興味を示さないのが当面の問題となる。
家族がショップで聞き込んで、冷凍アカムシを購入する。
ヨシノボリは冷凍アカムシをパクッと食べる。
ピョン!というそのしぐさで、この魚への家族の評価が「可愛い」に変わる。
この魚の魅力は、まさに愛嬌がある事である。
ネット検索を続けるうちに、N氏の淡水魚サイトをみつける。
餌・水換え・病気の事など、いろいろな事を参考にさせていただいた。
思いおこせば、最初の頃はひどい事ばかりやっていたものである。
BBS(Web掲示板)もあるのでデビューを考える。
たまたま見かけた、規約違反を指摘する管理人のコメントに、これは規約を読むのが先だと考える。
忙しい日々、結局N氏のBBSデビューは先送りされる。
ある日、ネット検索をしていて、また別のサイトにたどり着く。
なんと・・・ヨシノボリ類がメインではないか。
ここまでヨシノボリに特化したサイトは他には見当たらない・・・と感銘を受ける。
このT氏のBBSにデビューする事を前提にコンテンツをチェックする。
gooのメールアドレスを取得し、ハンドル名を「かっちゃん」と名乗る。
僕は身の周りに淡水魚をやっている人が居なかったが、これをネットに求める事になる。
T氏サイトのBBSにデビューする・・・期待通りであった。
程なく、ヨシノボリの画像をアップする。
神奈川に居ないはずのカワヨシノボリだと指摘される。
この時、BBSにコメントされた方より、標本にするよう薦められる。
そして、もちろん、謝絶する。
この人物が、前述のN氏と同一人物という事にしばらく気がつかなかった。
N氏とはこの機会に交流ができ、N氏サイトのBBSへデビューすると約束する。
ただ、規約をじっくり読む時間が無く、実際のデビューは少し先となる。
この頃の僕は、まだ本格的に採集などやっておらず、浅いところでエビを掬っているレベルであった。
T氏に採集に連れていって頂く機会を得る。
クロヨシノボリ・シマヨシノボリ、他にはボウズハゼとスミウキゴリを見る。
この事がきっかけとなって、単独でも広く探索に赴くようになる。
元田舎の少年にとって、魚捕りはごく普通の遊びであった。
卒業してあまりに久しいが、カンを取り戻すのにさほど時間はかからなかった。
いくつになっても、男とは子供であり楽しい事には熱中するのである。
当初、ヨシノボリ類のうち、もっとも見たかったのがルリヨシノボリである。
http://www.agri-kanagawa.jp/naisui/fishfile/yosi_ruri.html
地元神奈川県東部で見つける事は無理と思い、西部の川へ行く。
同じくルリヨシ観察中のT氏と川で遭遇する。
奇妙なご縁と感じたものである。
探索エリアも近県へと拡大する。
行動半径が広がるにつれ、遭遇するヨシノボリの種類も増える。
各種ヨシノボリを連れて帰る。
移入では無いカワヨシノボリを求めて、静岡へも遠征する。
静岡は、比較的近隣ながら、とても良い河川環境であると知る。
経験を積み、機材や採集方法などは少しずつ変化する。
水槽は早くに60センチになっていたが、さすがに手狭になる。
引越しと同時に90センチ水槽にアップする。
N氏の発信により、大阪で淡水魚の学会がある事を知る。
寝台列車で関西へ行く計画をしていた時期でもあったので、行ってみる事にする。
見知らぬ学会という世界、ただ最初の印象はやや窮屈な感じだった。
懇親会のニ次会に出るため宿所に赴いた(自分は別所に宿泊)が、長居しすぎ脱出に苦労する事になる。
この夜、沖縄に生息する小型ボウズハゼ類について、新たな知見を得る。
それまで縁の無い熱帯魚だと思っていたのだが、全く認識が変わる。
その後沖縄への遠征を繰り返すようになる、直接のきっかけは学会の夜の部であった。
この頃、淡水魚系のメーリングリストの存在を知る。
問合せをしてみたが、管理者から現在活動していないという返事を受ける。
その代り、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス )に招待していただける事となる。
SNSはOPENな世界では無いので、詳細は割愛する。
この頃は、もっぱら2つのサイトのBBSを中心にネット活動していた。
かつてはWebサイトの運営を手がけた事があったが、魚サイトを立ち上げる気は無かった。
ブログにも、まださほどの興味は無かった。
SNSは当初何をやったら良いか解らなかった。
が、慣れてくるに従い、いわゆる日記形式の情報発信に対する認識が変わる。
それは、「更新が容易なWebサイト」という捉え方である。
かつてはブログが何だ・・・と思った事もあったのだが、大きく印象が変わる。
N氏のお世話になり、琵琶湖遠征の機会を得る。
この遠征はインパクトが強く、大いに刺激を受ける。
ただ、正直しんどかった。
ビワヨシノボリを採集し、この時期の目標をクリアする。
N氏のサイトの常連さんと交流を深める事もできた。
沖縄の事を考えるようになる。
アドバイスをいただいたT氏が八重山(西表)へ遠征すると聞き、ご一行に合流を申し出る。
後から合流した事もあると思うが、微妙な空気と妙な疎外感があった。
この時の目標はナンヨウボウズハゼ、ヨシノボリと勝手が違い苦戦する。
なんとか目標はクリアしたが、これまでの採集方法を大きく見直す事となる。
SNSの経験から、ブログの開設を思い立つ。
この年の前半、N氏のBBSはウナギ釣りの話題が続き、T氏のBBSは汽水ネタで溢れていた。
このような背景もあり、人のサイトを本拠地化している事に初めて疑問を持つ。
交流はBBSが良いが、情報発信基地は自前で持つべきではないか?と思うようになる。
とはいえ、最初は、なんとなく興味半分であった。
青色系ナンヨウボウズハゼに惹かれ、Y氏のサイトの水中写真から、今も使っているアイコンの画像を手に入れる。(つまり自分で撮影した画像では無い)
2度目の八重山遠征を果たし、青色ナンヨウボウズハゼという目標をクリアする。
その後の目標をアカボウズハゼに定める。
これまでに経験の無いエリアでの活動を始める事となる。
この頃より、アドバイザー的存在だったT氏との距離感に変化が感じられる。
アカボウズハゼに関わる話題からBBSで投稿削除を受ける。
十分なT氏の説明もあって、大事には至らず収束する。
ただ、アカボウズハゼが関わると、態度が豹変するかのような印象を受ける。
そして、情報発信はブログで、交流はBBSでというスタイルは、これを機に鮮明となる。
ある時期以降、T氏はあまりフィールドへ出なくなっていた感がある。
T氏のBBSの常連さんと採集に行く機会もあったが、T氏は参加されなかった。
BBSによりネットで交流してきたのであるから、直接一緒に行動する必要性は低いのかもしれない。
これにより、採集などは個人同士で行動する傾向となる。
自ら先頭に立ち、みんなを引っ張るN氏とは対象的である。
N氏のご案内により、ウシヨシノボリを採集、目標をひとつクリアする。
特徴的な小さなヨシノボリである。
これにより、内地のヨシノボリは、いちおうひととおり見る事ができた。(当時)
ウシヨシの採集は短時間で終わり、時間もあるのでN氏の釣りにお供する。
大きな川の下流域で、無心にルアーを投げる。
目指す魚は釣れなかったが、まったりと楽しいひと時を過す事ができた。
あまり興味が無い事でも、魚の知見を広げるという観点で色々やってみても良いのではないか。
漠然と思い始めたのは、この釣りの時だったように思う。
その後も、N氏とは採集・学会などの交流が続く。
身近に居なかったというのもあるが、趣味友を求めるならネットは有効である。
幸いにも良い魚仲間に恵まれたと思っている。
それまでさほど熱心では無かった汽水域の探索などもやってみる事になる。
ネットでの交流の場も、次第にN氏のBBSへと軸足を移していく事となる。
この年の夏、再び八重山へと遠征する。
最大の目標はアカボウズハゼであったが、体調にやや不安を感じての遠征となる。
無理は禁物、結局無難な川遊びに終始し、アカボウズハゼの探索は見送る。
・・・が、ある確信を得る。
この確信に基づき、短期間のうちに、第二次遠征を強行する。
そして狙い通り、アカボウズハゼという目標をクリアする。
少し前に、写真家・内山りゅう氏の写真展に行く機会があった。
淡水魚を対象としたものでは無かったが、もともと写真は趣味でもあるし、大いに感銘を受ける。
川探索用に防水デジカメは持っていたので、この遠征の時にテスト的に水中撮影にトライする。
といっても、まだ思いつきの域であったと思う。
もうひとつ、この遠征の時に、ギラギラと光るナンヨウボウズハゼ属を見る。
網に入れる寸前にまで追い詰めはしたが、結局逃げられた。
画像も無く、確かなことは言えないが、コンテリボウズハゼだったと思う。
次の目標として、コンテリがクローズアップされる。
T氏のBBSにて、アカボウズハゼの画像など投稿する。
・・・が、再び投稿削除をされる。
正直、なぜ削除対象となるのか理解できなかった。
そして、削除理由の説明文は、事情を知らない第三者に重大な誤解を招きかねない内容で、捨てておけなかった。
結局、この件をきっかけとして、T氏のBBSから実質的に撤退する。
八重山遠征は、3年目に突入となる。
防水デジカメをモデルチェンジ後の最初の水中撮影はピンボケに終わる。
この頃はまだ記録的な目的意識のほうが強かったようだ。
目標のコンテリボウズハゼとは遭遇できなかったが、サプライズでツバサハゼと遭遇する。
画質はあまり良くないが、水中撮影もし、画像として残す事ができた。
別の川で綺麗なキバラヨシノボリを見る機会も得る。
が、やはりコンテリボウズハゼには遭遇できない。
スコールのような雨に見舞われたり、足を負傷したりと印象に残る遠征であった。
そして、晴れ男の神話は、この遠征を持って終了となる。
紀伊半島南部へ遠征し、ナンヨウボウズハゼを採集する。
このことがきっかけとなり、新しい交流も生まれる。
そして、より南方の小型ボウズハゼ類への志向が強くなる。
紀伊半島へは、また遠征する機会を持ちたいものである。
この年の第二次八重山遠征は、諸々の事情により11月となる。
季節は秋であるので、ウエットスーツの導入に踏み切る。
これにより、本格的に水中観察と撮影が可能となる。
「採集」「飼育」に続く新しい方向性として、「撮影」がクローズアップされる。
実際、水中に潜り写真を撮るのは、採集に劣らず楽しいのである。
好きな魚は一度は飼ってみたいものだが、今後は撮影を中心にするのも悪くは無い。
そうなるとやはりカメラも良いものが欲しくなるのであるが・・・
2010年のお魚活動も、N氏主催の忘年会で締めくくる事になる。
雪の舞うなか、採集に行き、川魚料理を食し、夜は酒席を楽しむ。
同じ魚好き、N氏サイトの関係者はウマの合う方が多い。
今後もこんな感じでやっていければ良いと思っている。
この略歴は、2010年末の締めくくりとして書き始めたものである。
諸々の事情から中断し、2011年4月にようやく公開するに至る。
今年も南方系小型ボウズハゼ類が、第一の目標である事は変わらない。
よりいっそう、その方向性が強くなっている。
そして、新境地とでもいう水中撮影である。
機材のグレードアップよりも、まずはウデを上げなければなるまい。
今後、少なくとも南方系では「撮る」事へのシフトが進むと考えている。
年末に、今年1年を締めくくる時、どんな回想をしているだろう。
まだ、今年は始まったばかりなのである。
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自分がヨシノボリに目覚めてしまったのも長年行っていなかった、湿地に子供と遊びに行き、
100円のたもでヨシノボリを掬ったことから始まりました(笑)
子供の頃から遊んでいたにも関わらず湿地でヨシノボリを採ったのは初めてでした。
昔から川では沢山採っていたのですが、こんなところにヨシノボリがいるの?と衝撃を受けました。
後はもうこのヨシノボリはなんだろうと興味が湧き上がり、必死でネットで調べているうちに
今に至るという感じです(笑)
それもしても、目標がどんどんでてきてそれを達成していくのは凄いですね。
次の目標もがんばってください!
なんとなく経緯が似てる気がします。
やはり好きなものには熱中しますよね。
いろいろ興味を持って、調べたり動いていたりするうちに、いつの間にか目標みたいになっているんです。
次の目標ですか・・・そうですね、気がつけば決まっている気がします。
そして、一度目標が決まると、もう止まらない。(笑)
うーん、どうでしょ?
過去数年分を一気ですから、コンパクトにまとまったと自負しております。(笑)
N氏は永遠に不滅ですよ。(笑)
今後は年末に1年分を書き、シリーズ化しようかなぁ・・・なんて事も思っています。