好きな色のベアちゃんと服、リボンを選んで、綿詰めしていきます。
ネコバスの先には巫女装束を来たベアちゃんがお出迎えしてくれました。
千葉県館山市にある安房神社に行ってきました。
お社がたくさんあり、境内に入ると何とも言えない不思議な雰囲気に包まれます。
御祭神
◆上の宮
主祭神:天太玉命 (アメノフトダマノミコト) 日本の全ての産業創始の神。
相殿神:天比理刀咩命 (アメノヒリトメノミコト) 天太玉命の妃神。
忌部五部神
櫛明玉命 (クシアカルタマノミコト) 出雲(島根県)忌部の祖。 装飾・美術の神。
天日鷲命 (アメノヒワシノミコト) 阿波(徳島県)忌部の祖。 紡績業・製紙業の神。
彦狭知命 (ヒコサシリノミコト) 紀伊(和歌山県)忌部の祖。 林業・建築業・武器製造業の神。
手置帆負命 (タオキホオイノミコト) 讃岐(香川県)忌部の祖。 林業・建築業・武器製造業の神。
天目一箇命 (アメノマヒトツノミコト) 筑紫(福岡県)・伊勢(三重県)忌部の祖。 金属鉱業の神。
◆下の宮
祭神:天富命 (アメノトミノミコト) 天太玉命の孫神。
天忍日命 (アメノオシヒノミコト) 天太玉命の兄弟神。
◆厳島社
祭神:市杵島姫命 (イチキシマヒメノミコト) 海上交通を守護される海の神。
◆琴平社
祭神:大物主神 (オオモノヌシノカミ) 海上交通・航海安全の神。
千葉県南房総市にある高家(たかべ)神社に行ってきました。
日本で唯一、料理の神様を祭っている神社です。拝殿からは外房の海が見えてとても綺麗でした。
主祭神
磐鹿六雁命(いわかむつりのみこと)
(尊称・高倍神(たかべのかみ))
天照大神・稲荷大神を併せ祀る
歴史
当社の創建の由緒は不詳であるが、高家神社の由緒書では、磐鹿六雁命の子孫の高橋氏の一部の者が、祖神に縁のある安房国に移り住み氏神として祖神を祀ったのではないかとしている。延喜式神名帳に「安房国朝夷郡 高家神社」と記載されているが、後に衰退・廃絶したものと見られ、長らく所在は不明となっていた。
現在の高家神社の起源は江戸時代の初頭である。元和6年(1620年)、高木吉右衛門が桜の木の下から木像と2面の鏡を発見し、それを神体として「神明社」として神社を創建した。その約200年後、この鏡に「御食津神、磐鹿六雁命」と書かれていることがわかり、これは所在が不明であった高家神社の神体であろうということで、文政2年(1819年)、京都の吉田御所に届け出て証を願い、神明社から高家神社に改称した。
この神社では特殊な神事『庖丁式』というのが執り行われるそうです。毎年、5月17日・10月17日・11月23日に行われています。
調理関係のお仕事に就かれている方はぜひ足を運んでみては?
*参照したもの*
高家神社 ホームページ
Wikipedia
千葉県鴨川市にある清澄寺(せいちょうじ)に行きました。
清澄寺は日蓮宗を作った日蓮聖人と深いかかわりがあるお寺で、幼少期・開宗時にこのお寺にいたとされています。
また境内には国の天然記念物「千年杉」という、とても大きな杉の木があります。
歴史
千光山清澄寺はおよそ1200年の昔、"不思議法師"と名付けられた僧侶が千光を発する柏の木で虚空蔵菩薩の仏像を彫り、その仏像の前で21日間修行をしたことに始まります。
承和3年(836)、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖慈覚大師円仁師がこの地を訪れ、その仏像の前で21日間の修行をしました。それ以来、当山は天台宗のお寺となり次第に栄えていきました。ところが、室町~江戸期には度重なる火災と戦により衰退と復興を繰り返します。
大正期に入り日蓮聖人の銅像が完成したことでお参りの信者さんが増え、真言宗智山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いがもたれました。
そして昭和24年、当山は日蓮宗に改宗し宗門直轄の大本山として現在に至ります。
また、日蓮宗の開祖である日蓮聖人は12歳の時に小湊から当山へ入り、道善法師に師事し出家得度されました。勉学修行に励んだ日蓮聖人はさらに各宗の奥義を学び、建長5年(1253)4月28日32歳の時、旭が森で立教開宗の第一声をあげたといわれています。
境内はとても広く、また山の中ということもあり、とても静かでゆったりとした時間が流れています。
私は小さいころ何度も参拝しに行っていますが、いつも清澄寺のことを「きよすみでら」と呼んでしまうんですよね…。というのも、清澄寺がある地域は清澄(きよすみ)という地名らしく、地元の人でも「きよすみでら」と呼んでしまう人がいるんだとか…。
*参照したもの*
清澄寺 ホームページ
御朱印をいただいた日にちがかなり前のものになってしまっていますが、気にしないでくださいね。
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千葉県鴨川市にある天津神明宮に行ってきました。
伊勢にある伊勢神宮より神をご勧誘されたさいに建てられたといわれる神社です。
千葉県南部は昔、安房の国と呼ばれており「安房の伊勢の宮」とも言われていたんだとか…。地名としては房州・房総半島ともいわれていて「房州伊勢の宮」とも呼ばれている神社です。
御祭神
・天照皇大神
・豊受大神
・八重事代主神(えびす様)
・大山祇大神 ほか七柱の神を合祀
歴史
神代のむかし、大国主命とともに日本を治めておられた事代主神は天孫に国土を献ってのち、海路はるばる当地においでになり、東方鎮護の神として永くこの地にお鎮まりになったため、人々は宮殿を建て、もうけ明神(えびす様)と尊称したと伝えられています。
その後、鎌倉に武家政治の基を開いた源頼朝公が戦に敗れて安房の地に逃れてきたとき、源家の再興を伊勢の大廟に祈願され、みごと成就されたことにより、天下平定ののち、西暦1184年(寿永3年)、当地に伊勢より神霊を勧請し、もうけ明神とともにお祀りされたのが「房州伊勢の宮」と仰がれる当社であります。
小湊に誕生された日蓮聖人も当社をいたく尊崇されていたことはあまりにも有名な話しで、修行地清澄への道程、必ず当社を参拝されたと言われて、また、御遺文中にも当社を「日本第二のみくりやや今は日本第一なり」と記され、天照皇大神が当地に鎮座されていることをもって、当地を「辺国なれども、日本国の中心のごとし」とされています。開宗ののち、妙法弘通を当社に記念され、そのとき奉納されたと伝えられる「川向の御曼陀羅(布本尊)」が神社の宝物として、伝えのこされています。
このように、壮大な由緒をもつ天津神明宮は800年以上の歴史を数え、いまもなお地域のよりどころとして多くの人々に崇敬されています。
また、天津神明宮敷地内には諾冉(なぎなみ)神社という神社もあります。
そちらもご紹介していきます。
御祭神
・伊邪那岐大神(イザナギ)
・伊邪那美大神(イザナミ)
歴史
諾冉神社には、天照皇大神の親神様であらせられ、「くにうみ」神話でよく知られる、伊邪那岐・伊邪那美の両大神がお祀りされています。ゆえに「なぎなみ様」と仰がれております。(原則的に)平素は特別に許しを得ないと登拝できませんが、4月初旬(4月8日前後の土曜日)の諾冉神社例祭では山が開かれ、地域に暮らしている老若男女、学校から帰ってきた子どもたちでにぎわいを見せます。
夫婦神であることから、特に縁結びに霊験があると言われ、また海上安全、産業繁栄の御神徳があります。
諾冉神社からの景観もまたすばらしく、南側は天津小湊の町並と太平洋の大海原を、北側は房総丘陵の山々を遠く望むことができます。
きっと、なぎなみ様は、ふもとに暮らす人々、遠い海原を航行する船舶をお見護りになっておられるのでしょう。
私が参拝したのは1月の後半だったので、諾冉神社には行くことができず……。
諾冉神社へ通じる登山道の入り口に賽銭箱があったので、そこでお参りをしました。
天津神明宮では社務所にて「天津神明宮」「諾冉神社」2社の御朱印がいただけます。
判子タイプの御朱印です。
インクがほかのページに移らないように和紙を挟んでくれていくのですが、その和紙には神主さんの手書きの文字くずしイラストが描かれています。ちなみに私の時は「笑」でした。
*参照したもの*
天津神明宮 ホームページ