影巫女の部屋

御朱印紹介や、趣味の小説を主に投稿していきます。

御朱印 自性院波切寺(波切不動尊)

2022-12-29 12:00:00 | 御朱印

本日は千葉県鴨川市にある自性院波切寺に行ってきました。

以前紹介した清澄寺に向かう道中にあるお不動様です。

歴史

県道81号沿いの崖の上に建つ寺院で音無山自性院浪切寺とも呼ばれます。

昭和八年(1933年)の火災により多くの資料を焼失し詳細は不明。同寺は以前は清澄寺の末寺でしたが、昭和二十四年(1949)年に日蓮宗に改宗したので、京都の真言宗智山派の総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺となりました。

安永六年(1777年)に死去した義堂恵天(ぎどうけいてん)法印の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられています。これは寛政六年(1794年)三月に江戸の菊池検校(けんぎょう)森田屋一朗兵衛ら多数の帰依した弟子によって建てられものであり、自性院は義堂恵天の開基(中興)とする説があります。
※検校とは盲人に与えられた称号

波切不動線には、十二支像という十二支になぞらえた不動様があります。自分の干支の不動様にお賽銭し、祈りを捧げるとご加護を受けられるのだとか…。

もちろん影巫女も自分の干支の不動様にお祈りしましたよ。ご加護授かれた…かな?

*参照したもの*

房総タウン


御朱印 小松寺

2022-12-25 12:00:00 | 御朱印

千葉県南房総市にある小松寺に行ってきました。

小松寺はバイクツーリングの漫画『ばくおん!!』にも描かれたお寺です。

歴史

文武天皇の御代(683~707年)に役小角〔えんのおづぬ=役行者〕によって小さな庵が建てられる。その庵は、養老2年(718年)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を『巨松山檀特寺』とする。
※本格的な寺院として整備される以前から、山岳修行者の信仰を集める霊地であった。

天長8年(831年)慈覚大師により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる。

平安時代前期、火災により寺院が全焼。しばらくは廃墟のままとなる。

延喜20年(920年)国司安房守住吉朝臣小松民部正壽(こくし あわのかみ すみよしのあそん こまつみんぶ まさかず)により再建される。
寺名を『檀特山医王院巨松寺』と改められる。七堂伽藍が整い、薬師如来が祀られる。
※七堂伽藍とは、本堂・塔・講堂・鐘楼堂・経蔵・食堂(または中門)・僧坊のことをさす。

年を経て次第に衰えてしまうが、承安4年(1174年)中興する。開基第一世玄海。
その後、徳川家康より12石7斗、里見義康から53石6斗の寄進をうけ、広い山林と田畑をもつ修行道場ともなり、多くの僧が集う寺院となる。

安政元年(1854年)、またしても火災により全焼。
現在の小松寺がいつ建て直されたのか、古文章等は残っていないが、本堂正面の龍の彫刻には「安政二丙辰十一月吉日、相州三浦郡浦賀 彫工 後藤忠蔵橘重武」と彫られている。この銘から、安政2年(1855年)に再建されたと考えられる。

◆宗派について
当山は、中世のある時期までは天台宗であったと考えられている。二度の大きな火災によ古文章の記録は残されていないが、天台宗として35代、その後、真言宗に改宗されたと伝えられている。現在は真言宗智山派として49代目の住職が継承している。

◇南総里見八犬伝 里見氏の財宝伝


旭さす夕日輝く双樹の下に
漆千盃 朱千盃 銭十億万貫埋めておく
非常の際は この財宝用いるべし

と伝えられています。
この財宝はどこに眠っているのでしょう…

小松寺はいろいろなお寺とのコラボ御朱印を出しています。

また、ご住職の直筆イラストがとてもかわいく素敵な御朱印もあります。このイラスト御朱印は次回紹介していきたいと思います。

*参照したもの*

小松寺 ホームページ


御朱印 鏡忍寺

2022-12-20 15:21:00 | 御朱印

千葉県鴨川市にある鏡忍寺に行ってきました。

住宅街の中にひっそりと建つお寺です。敷地の周りは生け垣や竹やぶに囲まれていてなんだか「竹取物語」や「となりのトトロ」の森のような世界に入り込んだかのようでした。

歴史

日蓮聖人四大法難の一つ、小松原法難の霊場です。

文永元年(1264)11月11日この地で地頭東条景信等に襲撃され弟子の鏡忍坊と信者の工藤吉隆公が殉死、日蓮聖人も腕を折られ頭部に刀傷を負ったのでした。後に日蓮聖人は2人の菩提を弔うため日隆上人(工藤吉隆公の遺子)に命を下し開創されたのが当山の始まりでございます。

当山には日蓮聖人ゆかりのものから、江戸期に活躍した地元鴨川出身の彫り物大工「波の伊八」作の七福神の彫刻や明治の俳人「正岡子規」がこの地を訪れて詠んだ句碑などもございます。また境内には、四季折々の草花やとても大きな木々が生い茂っており、中でも日蓮聖人法難の際、危ういところ救った鬼子母神が降臨されたと伝わる「降神の槙」は樹齢が千数百年といわれております。

御朱印をいただきに行った日、ご住職は留守にしており奥様から書置きの御朱印をいただきました。

*参照したもの*

鏡忍寺 ホームページ