手塚 正彦(一般財団法人 会計教育研修機構 理事長) - 会計士の肖像(無料登録で全文読めます。)
日本公認会計士協会前会長、手塚氏へのインタビュー記事。
前半は、会計士を志望した理由、中央会計事務所に入所した以降のキャリアなどについて語っています。
後半は、カネボウ事件をきっかけとした急展開が焦点でしょう。(金融庁による業務停止処分自体にはふれていませんが)
「よく覚えているのですが、05年10月3日、パートナーが起訴されたその日は、仕事で北海道にいたのです。そこに東京から電話がかかってきて、「すぐに戻ってこい」と。執行部が刷新され、僕は理事に抜擢されます。役回りは“改革担当”です。その年の初めに法人内にできた改革チームに加わって、中央青山の改革プランの作成を任されていたことなどが、僕に白羽の矢が立った理由だろうと思います。」
「06年3月、またも予期せぬことが起こります。裁判の初公判で、パートナーが「粉飾を認識し、意図的に見逃していた」という検察側の起訴事実を全面的に認めてしまったのです。「まさかそこまで」というのが、率直な感想でした。恐らく法人のトップマネジメントもPwCも同じ認識だったはず。
そしてこの時、ビッグ4の“凄さ”を見せつけられることになります。PwCは、万が一に備えたコンティンジェンシープラン(緊急時対応計画)を、水面下で準備していたのですが、それを実行することになる。結果、業務停止に伴うクライアントの受け入れ先として、7月1日にあらた監査法人を設立し、パートナーなどを移籍させ、9月から業務が開始できるように情報システムなどの組織インフラの構築をやり切った。そして、一気に1000人近い人員を動かして新法人を始動させたわけです。
当時は激務だったので、僕は、週に3日は職場近くのホテルに泊まり、朝6時台に出勤していました。6月30日の朝、「明日から別々になるんだ」と思うと、一人のオフィスで体が震えたのを覚えています。「これで、本当によかったのだろうか……」と。」
「ビッグ4の“凄さ”」というのは、結局、いざとなれば、提携先も容赦なく切り捨てるということなのでしょう。
「解散が決まってからは、来る日も来る日も、金融庁と「監査先はどうする」という協議に明け暮れました。一方、投資家に目を向けると、例えばカネボウの株券が紙切れ同然になったことで、大切な財産を失った人がどれだけいたことか。そこにあるのは、「自分たちがしっかりしないと、資本市場が成り立たない」という事実そのもの。それを突き付けられたことで、僕は「監査は社会インフラ」という言葉の、“本当の意味”を知ったのです。」
金融庁は、業務停止処分を出す前に、その結果を予測できなかったのでしょうか。
会計士協会会長を退いたあとも会計教育研修機構の理事長を続投した理由なども述べています。
若手へのアドバイス。
「監査法人に入った若手が5年くらいで辞めてしまう、という現実があります。本音を言えば、7年から10年は続けてもらいたいのです。そうすれば、監査の現場で責任を持って会社を見られるようになるでしょう。その立場で仕事をした経験知は、仮に外に出た場合でも、間違いなく大きな財産になります。
せっかく難関の試験を突破して、この世界に入ったのだから、監査の本当の醍醐味を味わってから、進むべき道を考えるようにしてほしい。」
これ自体は正しいアドバイスだと思いますが、中央青山の消滅(金融庁の政策次第で一瞬のうちにつぶされる)やその後の大手監査法人大リストラの話を伝え聞いていて、監査法人に長く勤めるのもリスクだ、失敗してもリカバリーしやすい若いうちに独立・転職していろいろな経験を積んだ方がおもしろいと考える人が増えているのでしょう。
それに、少子化でどの業界も人手不足であり、転職志向が高まっているようです。監査法人業界だけがその傾向を免れるのも難しそうです。(そもそも、この記事が掲載されているメディア自体が会計・税務分野の転職支援会社のものです。)