例えば名古屋市には5個ぐらいの組合がありそれぞれ名称があり会長が見える。年に一回の各組合の総会があり経営者は祝い金を持って参加することに・・・総会は会長が長年に渡って築き上げた一門で修行した連中であり硬い結束で結ばれている。他都市から流れ者が名古屋市で勤めようとしたら5個ある組合の一つに職を世話してもらはないと働けないのだ。厳しい掟がある。一人前になろうと思ったら飯炊きから最後の刺し身担当へ・・若い衆は料理ノートを作り先輩から技術を盗んでノートに記帳していくのだ・・・己が親方になったときこれがいかに大切なものか知ることになる。刺し身まで板前の仕事を覚えたら親方が会長からこれこれの店を任せることのできる若い衆を出せと言われたときに推薦して自分の息のかかった店・板前集団を作っていくのだ。調理長は品書きが書けないといけない、料理には美的感覚の持ち主でないといけない、数字には強くないと、清潔感がないと・・・習字、美術館、三味線・毎月の在庫計算・粗利算出・・・勉強している。例えば春夏秋冬の料理に使う器の選び、飾り付けセンスが無いと笑われてしまう。また使用する料理の材料の目利きができないと・・どこの産地で取れたもの、どの様に料理いたら最適か・・・どこのものが最も良い品か・・超一流店の親方はそれはそれは素晴らしい人達である。和食の伝統は若い衆に受け継がれ続いてきたのです。
バブルの崩壊は伝統のある和食料亭が次々に採算が合わず消えていったのは関係者にとって本当に辛い試練でした。官公庁の接待に、取引先の接待に・・・最高の材料で、最高の器で、最高の館で、最高の板前集団が、最高の料理技術を・最高の値段で・・・多数の板前を抱えていた名店が消えていった。私はこれから日本の和食はどうなるのだろうと➗➗➗生き残る料亭は親方(調理長)が自身が調理長で経営している店しか生き残らなかった時代であった。
バブルの崩壊は伝統のある和食料亭が次々に採算が合わず消えていったのは関係者にとって本当に辛い試練でした。官公庁の接待に、取引先の接待に・・・最高の材料で、最高の器で、最高の館で、最高の板前集団が、最高の料理技術を・最高の値段で・・・多数の板前を抱えていた名店が消えていった。私はこれから日本の和食はどうなるのだろうと➗➗➗生き残る料亭は親方(調理長)が自身が調理長で経営している店しか生き残らなかった時代であった。