上北沢暗室雑記帳

写真に関するよしなしごとを

信貴山(前編)

2020-02-15 00:17:36 | テツ

 また奈良で用事があって、ついでに信貴山に行ってみた。
 子どものころ信貴山は町内だったので、中学では信貴山までマラソンさせられたり(実態はほとんど走らず歩いてばかり)、奈良側のケーブルカーが廃止されるときには、巻上場見学会とか最終日の葬式テツとかその他で何度も乗りに行ったりしたものだが、最後に行ったのは大学生のころの初詣かと思う。
 戦時中まで山上に鉄道路線があったことや、ケーブルの廃線跡が歩けるように整備されているのを知って、そのうちにと思いながら30年たってしまった。


 信貴山下駅は建て替えられてずいぶん経つ様子。改札と反対側の生駒線ホームは、一時、線路もめくられて使われていなかったはずだが、また複線になっていた。ホーム間の地下道は昔のものを再利用したんだろうか。ケーブルカーの線路の終点は、改札機のあたりか。


1983.8.1

 山の方を見上げると、旧道に沿って広い道路がどーんと彼方まで。見ただけで息が切れるが、軽く意を決して登り始めると、寒さの穏やか日だったこともあって、ほどなく汗だくに。ヤバイ風邪ひくかも。


2020.2.8




1983.8.1


2020.2.8

 舗装道路を登りつめると三叉路で、正面は工事現場。あれれ?。地図を見ると、数十メートルほど右に行って、県立高校の正門前あたりに「ケーブル跡ハイキング道」の案内が。


 ハイキング道の入口は、道路から雑木林へ階段で降りていくようになっていて、束の間ちょっと不安になるが、ほどなくまっすぐ登る山道が現れる。なるほどケーブル跡は途中から高校の敷地に潜り込んでいたのね。




 ところどころブロック舗装で、階段は枕木の再利用か。たしかに道の両側は桜の木のようだが、この季節、花は皆無。今あらためて看板を読んでみて、わずか700メートルだったとは驚き。写真のタイムスタンプを見ると、写真を撮りながらとはいえ通り抜けるのに20分以上かかっていた。




 もと架線柱らしきものが何本も現れる。人の肩の高さにいちいちぶらげてある鉄の棒は、イノシシよけに、叩いて音を出すためのもの?。


 待ってました!。レールが落ちてた。あ、橋も。




 橋のあと、ほどなく千本並木道は終点。旧信貴山駅がぽつんと残っていた。




2020.2.8






1983.8.1


1983.8.31

 この写真は運行最終日の1983.8.31、その3つ上の写真が1983.8.1で、ほぼ同じ辺り。1か月のうちに、ホームの端を壊して、今のバスロータリーの端にあるのと同じものと見られる土留と柵を、ぎりぎりまで作ってあったことに、今気づいた。翌日からのバス運行のための施設を着々と用意して、最後は突貫で仕上げたのかしら。掘ればいろいろと遺構が残ってそう。












 駅舎の正面と内部の、今・昔。中学生の時分はまだ広角レンズを持っていなくて、コンパクトカメラの35mmが最もワイド。駅舎やホームの佇まいにレンズを向けるなんてこともまだなかったようだ。それでも、券売機両脇のカウンターとか改札上の時計と時刻表の枠なんかが当時の形で残っているのがわかる。ベンチも当時のものなんだろうな。
(後編に続く)
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