この大家の名をどう記憶していたか思い出せずに混乱している。武蔵野美大で開催中の生誕100年記念展は、1原点、2シアター、3シークエンス、4他者たちの4つのパートにまとめられていて、「1原点」の「美術家の肖像」などから前衛写真の人だと認識していたのだっけか。「陳列窓」や「航空機」など、わが高校写真部時代に仲間と撮り散らかした写真はこれらの猿真似だったのかもしれない。「2シアター」の舞台演劇周囲の写真にはあまり惹かれなかったが、芦花公園のガスホルダーの足元で撮影された「無言歌」は、ちょうど最近スクラップした5月頃の新聞で目にしていて、それが「どう記憶していたか」を混乱させた原因のような気がする。ご近所のガスタンクだけでなく、以前に仕事でちょっと関わった豊洲の貨物線を舞台とした作品から、急に親しみが湧いたようだ。1973年に作家が自宅のある代々木上原界隈をカラーでとらえた写真や映像には、シンプルに懐かしさを感じた。もっとゆっくり眺めていたかったが、また、別室で開催中の「大浦一志-雲仙普賢岳/記憶の地層」も見たかったのだが、例によって出かけた時刻が遅くて閉館時間になってしまった。
この大家の名をどう記憶していたか思い出せずに混乱している。武蔵野美大で開催中の生誕100年記念展は、1原点、2シアター、3シークエンス、4他者たちの4つのパートにまとめられていて、「1原点」の「美術家の肖像」などから前衛写真の人だと認識していたのだっけか。「陳列窓」や「航空機」など、わが高校写真部時代に仲間と撮り散らかした写真はこれらの猿真似だったのかもしれない。「2シアター」の舞台演劇周囲の写真にはあまり惹かれなかったが、芦花公園のガスホルダーの足元で撮影された「無言歌」は、ちょうど最近スクラップした5月頃の新聞で目にしていて、それが「どう記憶していたか」を混乱させた原因のような気がする。ご近所のガスタンクだけでなく、以前に仕事でちょっと関わった豊洲の貨物線を舞台とした作品から、急に親しみが湧いたようだ。1973年に作家が自宅のある代々木上原界隈をカラーでとらえた写真や映像には、シンプルに懐かしさを感じた。もっとゆっくり眺めていたかったが、また、別室で開催中の「大浦一志-雲仙普賢岳/記憶の地層」も見たかったのだが、例によって出かけた時刻が遅くて閉館時間になってしまった。
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