義理の姉が 今朝 1時になくなったという 知らせ をきいた。94歳なっていた。
だから 家族のなかで 一番の長寿者だ゛。
そうはいっても 大変 寂寞な思いである。
日本銀行の支店長さんで 親鸞の研究をしていらした方が赴任されたとき
お目にかかった。たまたま 「嘆異抄」の事に触れた。いろいろと 教えていただいた。
「嘆異抄」といえば 「善人なおもって 往生を遂ぐ。いわんや、悪人をや」
「これは 逆説でしょうか」と聞いてみたら、「層ではないらしいですよ。」
親鸞はほんまにそう思っておられたという。
このほかにも 私たちの宗教に対してもっていることと異説が述べられている。
ひと時禁書になっていたという説もある。
「親鸞は父母の孝養のためととて 念仏一辺にても申したることいまだ僧らわず。」
亡くなったご両親の孝行のために両親のために 一遍もお経を読んだことはない。
ここで孝養と言われたのは追善供養の事であろうから、両親の追善供養のために
お経を読んだことないといわれているのである。
そうすると もともと仏教には 追善供養とか葬式の儀式までなかったのだ。ということになる。
この聖人の教えを破った わが子存覚を覚如上人は勘当される。覚如上人は親鸞聖人の孫にあたられる。
その話を 妻に話したらなかなか信用されなかった。大体仏教では人の死後の扱いではなく
生きた人間の救済であったということであろう。
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