結婚して 最初に 女房の 実家に挨拶にいったときのことである。
女房の父親は 県内でも有名な有徳の 村長として 信用ある方で会った。
女房の事は 小学校の教師をしていたという ことぐらいしか知らなかった。
あの人の娘さんなら ということで 津艮したのだが 軽率なはなしだ。
ちょうど私とちょっと上の兄貴がいた。
その地区では 財産も億単位の資産餅だということであるが、米作中心で
地道にコメつくりに励んでいた。
「兄さんよ。コメつくりもいいが これからの農業は もう少し畑作にも
力を入れて換金性の高い農業に転換線といかんのじゃなかですか。」
生産性を高めても、収益が伴うものでなければ のうぎょうが成り立っていかない
次第になってくるんじゃないかな。」ということを ぶっつけてみた。
何も農業を知らないくせに というように 受け取られたのだろう。
「考えるほど簡単ではないものなア。」と返事したが
わたしも 前職は 県の農協連職員だった。当時生産連合会と言っていたが
今農協中央会である。
そもそもは 日本農業の政策、指導をする立場にあったが政治的に
自民党の 集票団体として 補助金にありつける安易な農業政策に転落していた。
小泉進治郎代議士が 乗り込んでいって 改革をぶち上げたが
都市議員の手に負えるものではなかった。
その兄貴も 今では94際になる。一人になってさびしく 余生を送っている。
子供たちもいるのだが そんな父親にかかわる暇もないらしい。
政府は「働き方改革と言っているが、とんでもない。その方向ではない。」
日本人は勤勉で よく働く。そうだろうか。GDPで比べてみても
一位アメリカ 二位中國 これは当然だ。世界の大国である。
三位日本と四位ドイツが比較される。両国ともに勤勉な国民性がある。
でも国家の在り方が根本的に異なる。一方はまとまりがた 肩やバラバラ方。
一方は自立型 一方はアメリカ追随型。と違うんだなあ。
ドイツには神話はないに等しい。神話に生きる国民性もない。
日本は神話とともに生きている。国生き方の価値観が西欧と東洋ではまるで違う。
はたらき方一つとっても そうだ。
二宮尊徳が 日光奉行になった 同輩の中に 成り上がりものとして尊徳に
従わない同僚がいた。よく調べてみたら そのお方 無類の酒好き。そこで尊徳は
存分に酒をふるまい なるだけ現場に出てこないような手段をとったという。
あるとき部下の作業ブレを視察したとき 独りの年寄りが 木の株を一生懸命ほり
起こしていた。尊徳は近くまで行ってその労をねぎらった。
ところが 若者たちも 一緒に働いていたが 黙って通り過ぎた。
不思議にもって「なぜ老人にだけ声をかけたのかをたずねた。」
「あの老人は わたしには眼中になかった。私に見られようが見られまいが働き方に違いはない。しかし、若い者の中には わたしが去ると 途端に 腰を据えて休憩
とってるはずだ。嘘と思うならすぐ見聞して報告しなさい」と命じたという。
形式にとらわれて真のあり方に無知である。層さとしたそうだが
それが今の働き方改革のなかにも出ている。「木を見て森をみず。」だ。
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