【小沢一郎氏新年会詳報(1)】「選挙のための野党連携で何が悪い!」 民主、維新からも“小沢シンパ”が出席
どこまで 続くぬかるみぞ。ていう軍歌が昔あった。
「どこまで続く 小沢つぶし。」と重ね合わせる。
小沢事件は 無罪の判決で結審した。このことで小沢という政治家は 政治生命を牛の馬での
たげきわマスコミニよって 作られた。
既得権益に守られて 悠々の保身を図る既得権益者にとっては 小沢一郎という政治家は
不倶戴天 ともにも天をいただかずという関係らしい。
特に在京4大紙やテレビキー局は いまだに小沢憎しのキャンペーンだ。このテーマを見ながら揶揄的な
マイめでぃやの姿勢が受け取られる。
小沢の理論は いかに既得権益者がほじくってみても 壊されない理論で武装されている。
小沢には政策貸せない。というものがマスコミの名にいるが日本改造計画以上の政策を出したものがいるだろうかる
少し能力があるからと言って霞が関に集められた いわゆる官僚は 過去に何をした。
戦争侵略に無参加しているではないか。小澤が嫌味言われながらここまで政治生命を保っているのは
彼独自の彼しか持たない政治臭覚てある。小澤が言っていた。「政権をとれば 財源はいくらでもある。」
一例は六ケ所村の再処理施設だ。創設以来ほとんど死後らしいものはしていない。
毎年5000万以上の税金を捨てている。これやめたらいい。なぜ電気会社に原発の補助金出すのか。
なぜ原発市町村にとくべつ交付金だすのか。特別会計はどうなっているのだ。
なぜ意味不明の官邸費が必要なのか。そういうものを選挙民が知るためには 本来新聞の
仕事だが日本の新聞社は政府の毒饅頭をたらふく食べているから ほんとのことを知っていても
言わない。最近山本太郎議員が 中田町の議員なら全部が知っていること マスコミなら取材したら
事実かわかることで質問しますという触れ込みで 政府に鋭く迫った。
国民は万雷の拍手で彼を迎えた。
マスコミや国家組織は国民和的に回した。辺野古の機動隊がその姿をまざまざと見せつけてくれた。
私自身 小沢と特別視しているわけではない。88年間生きてみて 国家権力の横暴はみにしみて感じてきたから。
それを正そうとした西郷は賊軍の汚名を受けながら自刃した。もちろん母神の功績者ではあるが
靖国とは関係ない。関係ないA級戦犯の東条がなぜ靖国にいるのか。
そして、なぜ総理大自然は東条にも経緯を評しているのか。私も3人の兄を戦争で失った。
しかし、兄たちは両親らよって 帰ってくるところを決められた。私はしがんへいであったが
新で帰るところは兄貴たちのところと両親に告げられていた。靖国にはいっていないはずである。
小澤の言う通り 選挙こそ民主主義である。もう少しまともな国会になるために
もう少し まともな人が 選挙に出るために国民は選挙だけは誰の命令指示に従ってはいけない。
自分の考えが再遊覧である。義理も人情も要らない。
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