なぜ 少子化 と言われる 時代に なってまたのか。
綿となんどは 兄弟姉妹 合わせて12名という 大家族に恵まれた。
なにはなくても まず 家の中に 活気があった。
手一杯 自分に 割り当てられた仕事を持っているから 「自分の事は自分で」ということになっていくのが
大家族の いいところである。
即ち 自立心 旺盛なのだ。「遅いことなら 赤ん坊でもできる。」母の教育は叱咤激励である。
兄弟愛というものを身をもって感ずる。今の子を見ていて 人を愛するということが極めてまれである
大家族の中に育っていると 否応なしに 喧嘩しながらも 心底 人を愛することを知る。
私が教師になったころ 平均すると一世帯7人の家族で会った。就職する生徒に「なんで就職するの」
答えは決まっていた。「早く卒業して 弟妹を学校に通わせるの。」
高度成長期になると 人々の暮らしは驚くほど進歩してきた。洗濯も ゛ごはん焚きも掃除も 機械が手伝って
くれるようになった。海外旅行も簡単になった。これが文化的生活というのだろう。
あまりの ゆとりに 人間本来の子孫を作ることを忘れてしまった。
「どうして就職するの。」金ためて外国に行くためよ。」しかし、それは夢ではなかった。
その時代から一家そろって 夕食をとるという習慣はなくなった。そしてバブルがも去った。
新自由主義者たちは 生産性の向上を高らかに宣言する。日本人の生産性が低いということを最近聞く。
これは 多分に偽りである。日本人くらい 勤勉に働く民族はそういるものではない。こんな時代は
即効的な結果を求めてはいけない。こどもつくりを第一に 思い ゆったりズムの中で人類のためになる
新発見をしなければならない。子供もどんどん作れ、死後は仕事でむゅうになれ
そういう社会を作るのは政治の力である。外国ばかりほっつき歩いて いる用地に指導者では とてもなしえぬ
題目である。
しかし 日本列島を見る限り 人口がそこそこ減少したからと言って嘆く必要はない。6000万人大乗付与る
事情が違うにしろ 2,3の大国を除けばあとは4000万人6000万人の人口で 結構いい国作っているのである。
日本はけいざいたいこくと言われているが国民の暮らしは決して経済大国にふさわしいみのではない。
生活のコストが高い。生活様式も複雑だ。
最近山本太郎君が 陛下に手紙を渡したことが 取りざたされている。あれ 天皇はまだ不敬罪あつかいか。
人間天皇ではなかったのか。習さんが陛下に一度ご挨拶したい。ごうごうたるひなんがおこった。
狭量な島国根性が 北方四島を失い、拉致家族を見殺しにしている。
この国はアメリカ政府抜きには ことが始まらない国らしい。あわれ。沖縄。日本の罪を一心に担いでいる。
翁長知事なんか 青山にかかてはぼろくそだが。てせもえらい 私は応援しているよ。
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