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朝の光(聖書の言葉)

出エジプト記  解説 2018-10-03

出エジプト記  解説

 

 


イスラエルの民は

エジプトに行きますが,

のちにエジプトの奴隷となります。

 

その民が,エジプトから脱出し,

カナンの地を目指すのが

出エジプト記です。

 

 

神の計画

 

(出エジプト1:8)


「さて,ヨセフのことを知らない

新しい王がエジプトに起こった。」

 

イスラエルの危機に際し,

神が働かれます。

 

このイスラエルの民を

カナンの地に導くために,

神はモーセを召し,

指導者としました。

 

 

モーセの誕生

 

(出エジプト2:10)


「その子が大きくなったとき,

女はその子をパロの娘のもとに

連れて行った。

その子は王女の息子になった。

彼女はその子をモーセと名づけた。

彼女は,

『水の中から,

私がこの子を引き出したのです。』

と言ったからである。」

 

モーセは,

「引き出す」のことばから出ています。

 

それは,

パロの娘がナイル川から

モーセを引き出したからです。

 

モーセの誕生は,

暗闇の中の光のように,

イスラエルの民に光がさす,

新しい時代となりました。

 

 

モーセの召し

 

(出エジプト3:4)


「主は彼が横切って見に来るのを

ご覧になった。

神は柴の中から彼を呼び,

『モーセ,モーセ。』

と仰せられた。

彼は『はい。ここにおります。』

と答えた。」

 

ここでモーセは,

神の召命を聞きます。

 

モーセは,

「はい。ここにおります。」

と答えます。

 

 

燃える柴

 

(出エジプト3:2)


「すると主の使いが彼に,

現われた。

柴の中の火の炎の中であった。

よく見ると,

火で燃えていたのに

柴は焼け尽きなかった。」

 

 

モーセの召命 

 

(出エジプト3:9,10)


「見よ。

今こそ,

イスラエル人の叫びは

わたしに届いた。

わたしはまた,

エジプトが彼らをしいたげている

そのしいたげを見た。

今,行け。

わたしはあなたを

パロのもとに遣わそう。

わたしの民イスラエル人を

エジプトから連れ出せ。」

 

出エジプト記は,

「奴隷からの解放物語」と共に

「約束の地への召命物語」

でもあります。

 

 

「わたしはある。」

 

(出エジプト3:14)


「わたしは,

『わたしはある。』

という者である。」

 

神はモーセに,

ご自身の名前を

明らかにされました。

 

名前は,

その人の人格をあらわすものです。

 

聖書の神は存在される方であり,

わたしたちにともに存在し,

わたしたちと共にある方です。

 

 

イスラエルの民が,

エジプトから脱出できたのは,

「過ぎ越し」の

神の業がありました。

 

「過ぎ越し」とは,

エジプト人の初子は死に,

イスラエルの初子は

救われるというものです。

 

過越し

 

(出エジプト12:5-7)


「あなたがたの羊は傷のない

一歳の雄でなければならない。

それを子羊かやぎのうちから

取らなければならない。

あなたがたはこの月の十四日まで

それをよく見守る。

そしてイスラエルの民の全集会は

集まって,

夕暮れにそれをほふり,

その血を取り,

羊を食べる家々の二本の門柱と,

かもいに,

それをつける。」

 

過越しは,

わたしたちの贖いを

象徴しています。

 

過ぎ越しの小羊は,

キリストを指しています。

 

(ガラテヤ1:4)


「キリストは,

今の悪の世界から

私たちを救い出そうとして,

私たちの罪のために

ご自身をお捨てになりました。

私たちの神であり父である方の

みこころによったのです。」

 

(ローマ6:18)

「罪から解放されて,

義の奴隷となったのです。」

 

 

雲の柱,火の柱

 

(出エジプト13:21,22)


「主は,昼は,

途上の彼らを導くため,

雲の柱の中に,

夜は,彼らを照らすため,

火の柱の中にいて,

彼らの前を進まれた。

彼らが昼も夜も

進んで行くためであった。

昼はこの雲の柱,

夜はこの火の柱が

民の前から離れなかった。」

 

「雲の柱」,「火の柱」は,

主の臨在を示しています。

 

「雲の柱」「火の柱」は,

超自然的であり,

人格的な神の導きを示しています。

 

イスラエルは

この神の導きによって,

危険な荒野の旅に

踏み出すことが出来ました。

 

 

紅海を渡る

 

(出エジプト14:15)


「主はモーセに言われた。

『なぜ,

わたしに向かって叫ぶのか。

イスラエルの人々に命じて

出発させなさい。

杖を高く上げ,

手を海に向かって差し伸べて,

海を二つに分けなさい。

そうすれば,

イスラエルの民は

海の中の乾いた所を

通ることができる。』」

 

 

(出エジプト14:21-25)


「そのとき,

モーセが

手を海の上に差し伸ばすと,

主は一晩中強い東風で海を退かせ,

海を陸地とされた。

それで水は分かれた。

そこで,

イスラエル人は

海の真中のかわいた地を,

進んで行った。

水は彼らのために

右と左で壁となった。

エジプト人は追いかけて来て,

パロの馬も戦車も騎兵も,

みな彼らのあとから

海の中にはいって行った。

朝の見張りのころ,

主は火と雲の柱のうちから

エジプトの陣営を見おろし,

エジプトの陣営をかき乱された。

その戦車の車輪をはずして,

進むのを困難にされた。

それでエジプト人は言った。

『イスラエル人の前から逃げよう。

主が彼らのために,

エジプトと

戦っておられるのだから。』」

 

イスラエルの歴史の中で,

最も大きな奇跡が起きました。

 

神は「強い東風」を用いて,

海を干上がらせます。

(出エジプト14:21)

 

水が

「せきのように,まっすぐに立ち」

垂直に「右と左で壁となった」

のです。

(出エジプト14:21,

15:8)

 

このあと,海水は戻ります。

 

イスラエルの民を救い,

エジプト軍を滅ぼしました。

 

神の直接的な奇跡の業でした。

 

 

イスラエルの民は

カナンの地に着くまで,

食べ物と水に苦しみます。

 

それを助けたのは,神でした。

 

マラの水

 

(出エジプト15:25)


「モーセは主に叫んだ。

すると,

主は彼に一本の木を示されたので,

モーセはそれを水に投げ入れた。

すると,水は甘くなった。

その所で主は彼に,

おきてと定めを授け,

その所で彼を試みられた。」

 

 

マナ

 

(出エジプト16:4)


「主はモーセに仰せられた。

『見よ。

わたしはあなたがたのために,

パンが天から降るようにする。

民は外に出て,毎日,

一日分を集めなければならない。

これは,

彼らがわたしのおしえに

従って歩むかどうかを,

試みるためである。』」



このとき時人々は

このパンを「これは何だろう」

と言います。


このことから

「これは何だろう」を意味する

ヘブライ語のマナと

呼ばれるようになりました。


(出エジプト16:15新改訳)

「イスラエル人はこれを見て,
『これは何だろう』
と互いに言った。
彼らはそれが
何か知らなかったからである。
モーセは彼らに言った。
『これは主が
あなたがたに食物として
与えてくださったパンです。』」

 

マナは,いのちのパンでした。


マナ(パン)は,

イエス自身でした。


 イエスは,

この荒野における

マナの経験にふれながら,

イエスは言われます。




(ヨハネ6:35)口語訳

「わたしがいのちのパンです。

わたしに来る者は

決して飢えることがなく,

わたしを信じる者は

どんなときにも,

決して渇くことがありません』

と語っておられます。」


マナはイスラエルの民には

神から与えられたパンでした。


いのちのパンである

イエス・キリストの型となります。

  

 ○

  

岩からほとばしる水

 

 (出エジプト17:6,7)


「『さあ,

わたしは

あそこのホレブの岩の上で,

あなたの前に立とう。

あなたがその岩を打つと,

岩から水が出る。

民はそれを飲もう。』

そこでモーセは

イスラエルの長老たちの目の前で,

そのとおりにした。

それで,彼はその所をマサ,

またはメリバと名づけた。

それは,

イスラエル人が争ったからであり,

また彼らが,

『主は私たちの中におられるのか,

おられないのか』

と言って,

主を試みたからである。」

 

新約聖書から見ると,

岩から湧き出た水は聖霊で,

打たれた岩は

イエス・キリストの型です。

 

(1コリント10:4)


「みな同じ御霊の飲み物を

飲みました。

というのは,

彼らについて来た御霊の岩から

飲んだからです。

その岩とはキリストです。」

 

 

モーセ,シナイ山を登る

 

(出エジプト19:23,24)


「モーセは主に申し上げた。

「民はシナイ山に登ることは

できません。

あなたが私たちを戒められて,

『山の回りに境を設け,

それを聖なる地とせよ』

と仰せられたからです。」

主は彼に仰せられた。

『降りて行け。

そしてあなたは

アロンといっしょに登れ。

祭司たちと民とは,

主のところに登ろうとして

押し破ってはならない。

主が彼らに怒りを

発せられないために。』」

 

 ○

 

 シナイ山でモーセを通して,

イスラエルの民に十の戒めが

与えられます。

 


十戒の前文

 

(出エジプト19:5)


「今,もしあなたがたが,

まことにわたしの声に聞き従い,

わたしの契約を守るなら,

あなたがたは

すべての国々の民の中にあって,

わたしの宝となる。

全世界は

わたしのものであるから。」


 十戒を与えてくださったのは,

イスラエルの民を

救い出してくださる

神であるといいます。

 

神はイスラエルの民のために,

十戒とそのほかの律法を与えます。

 

神とイスラエルの民との間の,

愛の関係による契約です。

 

契約が主で,律法が従です。

 

律法が主になると,

律法主義になります。

 

☆彡


イスラエルの契約

 

(出エジプト19:1-5)


「エジプトの地を

出たイスラエル人は,

第三の月の新月のその日に,

シナイの荒野に入った。

彼らはレフィディムを旅立って,

シナイの荒野に入り,

その荒野で宿営した。

イスラエルはそこで,

山のすぐ前に宿営した。

モーセは

神のみもとに上って行った。

主は山から彼を呼んで仰せられた。

『あなたは,このように,

ヤコブの家に言い,

イスラエルの人々に告げよ。

あなたがたは,

わたしがエジプトにしたこと,

また,

あなたがたを鷲の翼に載せ,

わたしのもとに

連れて来たことを見た。

今,もしあなたがたが,

まことにわたしの声に聞き従い,

わたしの契約を守るなら,

あなたがたは

すべての国々の民の中にあって,

わたしの宝となる。

全世界は

わたしのものであるから。』」

 

 

十戒の序文

 

(出エジプト20:1-3)


「それから神はこれらのことばを,

ことごとく告げて仰せられた。

『わたしは,

あなたをエジプトの国,

奴隷の家から連れ出した,

あなたの神,

主である。

あなたには,

わたしのほかに,

ほかの神々が

あってはならない。』」

 

 十戒の中心は

唯一の神に対する信仰です。

 

神は「わたしは」と言い,

「あなたに」と語りかける

唯一の神です。

 

出エジプト記の

中心をなす言葉です。

 

 

十戒を受ける

 

(出エジプト20:18,19)


「民はみな,雷と,

いなずま,角笛の音と,

煙る山を目撃した。

民は見て,たじろぎ,

遠く離れて立った。

彼らはモーセに言った。

『どうか,

私たちに話してください。

私たちは聞き従います。

しかし,

神が私たちに

お話しにならないように。

私たちが

死ぬといけませんから。』」

 

神はモーセを用いて,

イスラエルの民をエジプトから

解放されます。

 

イスラエルの民は,

葦の海をわたり,

その後シナイ山で十戒を受けます。

 

この十戒によって,

イスラエル民族は

新しい民族とされます。

 

十戒の中心は,

唯一の神への信仰です。

 

 

モーセを通して,

イスラエルに与えられた十戒は

次の通りです。

 

1.主が唯一の神であること

2.偶像を作ってはならないこと

(偶像崇拝の禁止)

3.神の名をみだりに

 唱えてはならないこと

4.安息日を守ること

5.父母を敬うこと

6.殺人をしてはいけないこと

7.姦淫をしてはいけないこと

8.盗んではいけないこと

9.隣人について偽証してはいけないこと

10.隣人の財産をむさぼっては

 いけないこと

 

 

1から4までは

神と人との関係であり,

5から10までは人と人に関する項目

(同時に刑法の根幹)であります。

 

 

ユダヤ教の安息日は土曜日です。


キリスト教では

イエス・キリストの復活の日である

日曜日を「主日(主の日)」

と呼び,

日曜日を主日として

礼拝しています。 

 

 

 

 

十戒の批准


(出エジプト23:22)


「もし御声に確かに聞き従い,

わたしが告げることを

ことごとく行なうなら,

わたしはあなたの敵には敵となり,

あなたの仇には仇となろう。」


シナイにおいて,

モーセは神と契約を締結します。

 

十戒を中心とした契約です。

 

この契約の後に

この言葉が記されています。

 

律法を守るものへの神の祝福です。

 

(出エジプト24:4)


「それで,

モーセは主のことばを,

ことごとく書きしるした。

そうしてモーセは,

翌朝早く,

山のふもとに祭壇を築き,

またイスラエルの

十二部族にしたがって

十二の石の柱を立てた。」


民は全焼のいけにえ,

和解のいけにえをささげ,

神との契約の批准をします。

 

 ☆

 

契約の血

 

(出エジプト24:8)


「そこで,

モーセはその血を取って,

民に注ぎかけ,

そして言った。

『見よ。

これは,

これらすべてのことばに関して,

主があなたがたと

結ばれる契約の血である。』」

 

 

イスラエルの民は,

十戒を授けられたのち,

礼拝する場所として,

神は幕屋を造るように

指示を授けます。


 

幕屋


(出エジプト25:8,9)


「彼らがわたしのために

聖所を造るなら,

わたしは彼らの中に住む。

幕屋の型と

幕屋のすべての用具の型とを,

わたしが

あなたに示すのと全く同じように

作らなければならない。」


 

神がモーセに

幕屋を造るように命じます。

 

幕屋とは,

神が人と出会う会見の天幕です。

 

幕屋は神が住む場所でした。

 

幕屋で礼拝し,

犠牲をささげ,

罪の処理をする場所です。

 

幕屋には,

神との契約である十戒が

治めてありました。

 

幕屋の器は,

天にあるものに

かたどったものでした。

 

 

 

祭司の聖別

 

(出エジプト29:1)


「あなたは,

彼らを祭司として

わたしに仕えるように

聖別するため,

次のことを

彼らにしなければならない。

すなわち,

若い雄牛一頭,

傷のない雄羊二頭を取れ。」

 

祭司は聖別されたものです。

 

油をそそがれます。

 

祭司は,

イエス・キリストの型です。

 

 

 

 

贖いの蓋

 

(出エジプト25:21,22)


「その『贖いのふた』を

箱の上に載せる。

箱の中には,

わたしが与えるさとしを

納めなければならない。

わたしはそこであなたと会見し,

その『贖いのふた』の上から,

すなわちあかしの箱の上の

二つのケルビムの間から,

イスラエル人について,

あなたに命じることを

ことごとくあなたに語ろう。」


 

「箱」(あかしの箱)は

幕屋の一番奥の

至聖所に置かれていて。


この「あがないの蓋」と共に

神の臨在を現していました。

 


 

(ローマ3:25)


「神は,キリスト・イエスを,

その血による,また信仰による,

なだめの供え物として,

公にお示しになりました。

それは,

ご自身の義を現わすためです。

というのは,

今までに犯されて来た罪を

神の忍耐をもって

見のがして来られたからです。」


「なだめの供え物」は,

「贖いの蓋」とも訳せます。

 

(ヘブル9:5)


「また,箱の上には,

贖罪蓋を翼でおおっている

栄光のケルビムがありました。

しかしこれらについては,

今いちいち

述べることができません。」


 

祭壇

 

(出エジプト27:1-8)


「祭壇をアカシヤ材で作る。

その祭壇は長さ五キュビト,

幅五キュビトの

四角形でなければならない。

高さは三キュビトとする。

その四隅の上に角を作る。

その角は

祭壇の一部でなければならない。

青銅をその祭壇にかぶせる。

 灰を取るつぼ,十能,鉢,

肉刺し,火皿を作る。

祭壇の用具はみな,

青銅で作らなければならない。

 祭壇のために,

青銅の網細工の格子を作り,

その網の上の四隅に,

青銅の環を四個作る。

その網を下方,

祭壇の出張りの下に取りつけ,

これを祭壇の高さの半ばに

達するようにする。

祭壇のために,

棒を,アカシヤ材の棒を作り,

それらに青銅をかぶせる。

それらの棒は

環に通されなければならない。

祭壇がかつがれるとき,

棒は祭壇の両側にある。

祭壇は中をからにして

板で作らなければならない。

山であなたに

示されたところにしたがって,

彼らはこれを

作らなければならない。」

 

祭壇はいけにえを

ささげるものであり,

十字架のひな型と言えます。


 

(ローマ3:25)


「神は,キリスト・イエスを,

その血による,また信仰による,

なだめの供え物として,

公にお示しになりました。

それは,

ご自身の義を現すためです。

というのは,

今までに犯されて来た

罪を神の忍耐をもって

見のがして来られたからです。」

 

 

 

 

全焼のいけにえ

 

(出エジプト29:18)


「その雄羊を全部祭壇の上で

焼いて煙にする。

これは,

主への全焼のいけにえで,

なだめのかおりであり,

主への火によるささげ物である。」

 

 

(出エジプト30:10)


「アロンは年に一度,

贖罪のための,

罪のためのいけにえの血によって,

その角の上で贖いをする。

すなわち,あなたがたは代々,

年に一度このために,

贖いをしなければならない。

これは,

主に対して

最も聖なるものである。」

 

 

 

幕屋 (出エジプト)

 

 幕屋に満ちた主の栄光


(出エジプト40:34-38)


「そのとき,

雲は会見の天幕をおおい,

主の栄光が幕屋に満ちた。

モーセは会見の天幕に

はいることができなかった。

雲がその上にとどまり,

主の栄光が

幕屋に満ちていたからである。

イスラエル人は,

旅路にある間,

いつも雲が幕屋から

上ったときに旅立った。

雲が上らないと,

上る日まで,旅立たなかった。

イスラエル全家の者は

旅路にある間,

昼は主の雲が幕屋の上に,

夜は雲の中に火があるのを,

いつも見ていたからである。」

 

「わたしは

イスラエル人の間に住み,

彼らの神となろう。」

(出29:45)の約束は,

このとき成就しました。

 

神は,幕屋の内に住み,

民と共に進まれます。

 

新約聖書の時代では,

幕屋と祭司制度は

来るべき影にすぎません。

 

 

(ヘブル9:23,24)


「天にあるものに

かたどったものは,

これらのものによって

きよめられる必要がありました。

しかし天にあるもの自体は,

これよりも

さらにすぐれたいけにえで,

きよめられなければなりません。

キリストは,

本物の模型にすぎない,

手で造った聖所に

はいられたのではなく,

天そのものにはいられたのです。

そして,今,

私たちのために神の御前に

現われてくださるのです。」


 

 

(ヘブル9:24-26)


「キリストは,

本物の模型にすぎない,

手で造った聖所に

はいられたのではなく,

天そのものにはいられたのです。

そして,今,

私たちのために

神の御前に

現われてくださるのです。

それも,

年ごとに自分の血でない血を

携えて聖所にはいる

大祭司とは違って,

キリストは,

ご自分を幾度もささげることは

なさいません。

もしそうでなかったら,

世の初めから幾度も苦難を

受けなければ

ならなかったでしょう。

しかしキリストは,

ただ一度,今の世の終わりに,

ご自身をいけにえとして

罪を取り除くために,

来られたのです。」


この幕屋は,

ヨハネの黙示録に出てきます。

 

(黙示21:1-4口語訳)


「わたしはまた,

新しい天と新しい地とを見た。

先の天と地とは消え去り,

海もなくなってしまった。

また,聖なる都,

新しいエルサレムが,

夫のために着飾った花嫁のように

用意をととのえて,

神のもとを出て,

天から下って来るのを見た。

また,御座から大きな声が

叫ぶのを聞いた,

『見よ,神の幕屋が人と共にあり,

神が人と共に住み,

人は神の民となり,

神自ら人と共にいまして,

人の目から

涙を全くぬぐいとって下さる。

もはや,死もなく,悲しみも,

叫びも,痛みもない。

先のものが,

すでに過ぎ去ったからである』」。

  

 ○

 

主の栄光

 

(出エジプト40:34)


「そのとき,

雲は会見の天幕をおおい,

主の栄光が幕屋に満ちた。」

 

 

 

 2018-10-03

 

 

 

 

 

 

 

 

  



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