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朝の光(聖書の言葉)

出エジプト記 2 (12-18章) 2021.1.11



過越し,紅海渡航からマナまで





過越し


(出エジプト12:5-7)


「あなたがたの羊は傷のない

一歳の雄でなければならない。

それを子羊かやぎのうちから

取らなければならない。

あなたがたはこの月の十四日まで

それをよく見守る。

そしてイスラエルの民の全集会は

集まって,

夕暮れにそれをほふり,

その血を取り,

羊を食べる家々の二本の門柱と,

かもいに,それをつける。」


過越しは,

わたしたちの贖いを象徴しています。

過ぎ越しの小羊は,

キリストを指しています。


(ガラテヤ1:4)

「キリストは,
今の悪の世界から
私たちを救い出そうとして,
私たちの罪のために
ご自身をお捨てになりました。
私たちの神であり父である方の
みこころによったのです。」


(ローマ6:18)

「罪から解放されて,
義の奴隷となったのです。」





雲の柱,火の柱


(出エジプト13:21,22)


「主は,昼は,

途上の彼らを導くため,

雲の柱の中に,

夜は,彼らを照らすため,

火の柱の中にいて,

彼らの前を進まれた。

彼らが昼も夜も

進んで行くためであった。

昼はこの雲の柱,

夜はこの火の柱が

民の前から離れなかった。」


「雲の柱」,「火の柱」は,

主の臨在を示しています。


「雲の柱」「火の柱」は,

超自然的であり,

人格的な神の導きを示しています。


イスラエルはこの神の導きによって,

危険な荒野の旅に

踏み出すことが出来ました。






紅海を渡る


(出エジプト14:15)


「主はモーセに言われた。

『なぜ,わたしに向かって叫ぶのか。

イスラエルの人々に命じて

出発させなさい。

杖を高く上げ,

手を海に向かって差し伸べて,

海を二つに分けなさい。

そうすれば,

イスラエルの民は

海の中の乾いた所を

通ることができる。』」


☆彡


(出エジプト14:21-25)

「そのとき,
モーセが手を海の上に差し伸ばすと,
主は一晩中強い東風で海を退かせ,
海を陸地とされた。
それで水は分かれた。
そこで,
イスラエル人は
海の真中のかわいた地を,
進んで行った。
水は彼らのために右と左で壁となった。
エジプト人は追いかけて来て,
パロの馬も戦車も騎兵も,
みな彼らのあとから
海の中にはいって行った。
朝の見張りのころ,
主は火と雲の柱のうちから
エジプトの陣営を見おろし,
エジプトの陣営をかき乱された。
その戦車の車輪をはずして,
進むのを困難にされた。
それでエジプト人は言った。
『イスラエル人の前から逃げよう。
主が彼らのために,
エジプトと
戦っておられるのだから。』」



イスラエルの歴史の中で,

最も大きな奇跡が起きました。


神は「強い東風」を用いて,

海を干上がらせます。

(出エジプト14:21)


水が「せきのように,まっすぐに立ち」

垂直に「右と左で壁となった」のです。

(出エジプト14:21,15:8)


このあと,海水は戻ります。


イスラエルの民を救い,

エジプト軍を滅ぼしました。


神の直接的な奇跡の業でした。





マラの水



(出エジプト15:25)


「モーセは主に叫んだ。

すると,

主は彼に一本の木を示されたので,

モーセはそれを水に投げ入れた。

すると,水は甘くなった。

その所で主は彼に,

おきてと定めを授け,

その所で彼を試みられた。」


イスラエルの民は

カナンの地に着くまで,

食べ物と水に苦しみます。

それを助けたのは,神でした。





マナ


(出エジプト16:4)


「主はモーセに仰せられた。

『見よ。

わたしはあなたがたのために,

パンが天から降るようにする。

民は外に出て,毎日,

一日分を集めなければならない。

これは,彼らがわたしのおしえに

従って歩むかどうかを,

試みるためである。』」


このとき時人々は

このパンを「これは何だろう」

と言います。


このことから

「これは何だろう」を意味する

ヘブライ語のマナと

呼ばれるようになりました。



(出エジプト16:15新改訳)


「イスラエル人はこれを見て,

『これは何だろう』と互いに言った。

彼らはそれが

何か知らなかったからである。

モーセは彼らに言った。

『これは主があなたがたに食物として

与えてくださったパンです。』」


マナは,いのちのパンでした。

マナ(パン)は,イエス自身でした。

イエスは,

この荒野における

マナの経験にふれながら,

つぎのように言われます。





(ヨハネ6:35 口語訳)

「わたしがいのちのパンです。
わたしに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者はどんなときにも,
決して渇くことがありません』
と語っておられます。」


マナはイスラエルの民には

神から与えられたパンでした。


いのちのパンであるイエス・キリストの

型となります。


 ○


岩からほとばしる水


(出エジプト17:6,7)


「『さあ,

わたしはあそこのホレブの岩の上で,

あなたの前に立とう。

あなたがその岩を打つと,

岩から水が出る。

民はそれを飲もう。』

そこでモーセは

イスラエルの長老たちの目の前で,

そのとおりにした。

それで,彼はその所をマサ,

またはメリバと名づけた。

それは,

イスラエル人が争ったからであり,

また彼らが,

『主は私たちの中におられるのか,

おられないのか』

と言って,主を試みたからである。」


新約聖書から見ると,

岩から湧き出た水は聖霊で,

打たれた岩は

イエス・キリストの型です。



(1コリント10:4)

「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。
というのは,
彼らについて来た御霊の岩から
飲んだからです。
その岩とはキリストです。」




2022-12-29

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