伝道者の書
「伝道者の書」は,旧約聖書の1巻です。
本書の著者は
「エルサレムでの王,ダビデの子」
(伝道1:1)
とありますので,
イスラエルの王ソロモンです。
ソロモンはイスラエルの王です。
ダビデの子であり,
イスラエルが
もっとも繁栄した時代の王です。
○
空の空
(伝道1:2)
「空の空。
伝道者は言う。
空の空。
すべては空。」
「すべては空」といいます。
仏教では,「五蘊皆空」です。
(伝道1:1-3)
「エルサレムでの王,
ダビデの子,
伝道者のことば。
空の空。
伝道者は言う。
空の空。
すべては空。
日の下で,どんなに労苦しても,
それが人に何の益になろう。」
新約聖書では,
パウロが次のように言います。
(ローマ8:20,21)
「被造物が虚無に服したのは,
自分の意志によるのではなく,
服従させたかたによるのであり,
かつ,被造物自身にも,
滅びのなわめから解放されて,
神の子たちの栄光の自由に入る望みが
残されているからである。」
○
知者が愚者と同じように死ぬ
(伝道2:6 口語訳)
「知者も愚者も同様に
長く覚えられるものではない。
きたるべき日には
皆忘れられてしまうのである。
知者が愚者と同じように死ぬのは,
どうしたことであろう。」
知恵を得ることはよいことであるが,
死によって忘れられるという。
○
「知恵と知識と喜びを与える神」
(伝道2:24-26)
「人には,
食べたり飲んだりし,
自分の労苦に
満足を見いだすよりほかに,
何も良いことがない。
これもまた,
神の御手によることがわかった。
実に,神から離れて,だれが食べ,
だれが楽しむことができようか。
なぜなら,
神は,みこころにかなう人には,
知恵と知識と喜びを与え,
罪人には,
神のみこころにかなう者に渡すために,
集め,たくわえる仕事を与えられる。
これもまた,
むなしく,風を追うようなものだ。」
伝道者の悟りです。
人は神から人生を与えられています。
人生は楽しみながら過ごすべきです。
人生を神から離れて楽しむことは,
空(むな)しいものです。
(1テモテ6:17)
「この世で富んでいる人たちに
命じなさい。
高ぶらないように。
また,たよりにならない富に
望みを置かないように。
むしろ,
私たちにすべての物を豊かに与えて
楽しませてくださる神に
望みを置くように。」
○
神の時は美しい
(伝道3:1)
「 天が下のすべての事には季節があり,
すべてのわざには時がある。」
「時」は,謎です。
(伝道3:11)
「神のなされることは
皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に
永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお,
人は神のなされるわざを
初めから終りまで
見きわめることはできない。」
わたしたちには「永遠」の思いが,
与えられています。
神を恐(畏)れないといけません。
「永遠」は,
わたしたちに救いを指し示します。
(ローマ8:28)
「神を愛する人々,
すなわち,
神のご計画に従って召された
人々のためには,
神がすべてのことを
働かせて益としてくださることを,
私たちは知っています。」
(ヨハネ3:16)
「神はそのひとり子を賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
○
慰めるものがいない
(伝道4:1-3)
「わたしはまた,
日の下に行われる
すべてのしえたげを見た。
見よ,
しえたげられる者の涙を。
彼らを慰める者はない。
しえたげる者の手には権力がある。
しかし彼らを慰める者はいない。
それで,
わたしはなお生きている生存者よりも,
すでに死んだ死者を,
さいわいな者と思った。
しかし,
この両者よりもさいわいなのは,
まだ生れない者で,
日の下に行われる悪しきわざを
見ない者である。」
わたしたちを慰める者は神のみです。
イエスは次のように言っています。
(マルコ6:34)
「イエスは舟から上がって
大ぜいの群衆をごらんになり,
飼う者のない羊のような
その有様を深くあわれんで,
いろいろと教えはじめられた。」
○
三つ撚りの糸は簡単には切れない
(伝道4:9-12)
「ふたりはひとりよりもまさっている。
ふたりが労苦すれば,
良い報いがあるからだ。
どちらかが倒れるとき,
ひとりがその仲間を起こす。
倒れても起こす者のいない
ひとりぼっちの人はかわいそうだ。
また,ふたりがいっしょに
寝ると暖かいが,
ひとりでは,
どうして暖かくなろう。
もしひとりなら,
打ち負かされても,
ふたりなら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない。」
孤独でいるよりは,
仲間や友達といるほうが良い。
互いが助け合うことが
出来るからである。
三つ撚りの糸は仲間と
神です。
イエス・キリストは,
次のように言いました。
(ヨハネ13:34)
「あなたがたに
新しい戒めを与えましょう。
あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように,
そのように,
あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
☆彡
「三つ撚りの糸」は,
三位一体の神とも考えられます。
○
「金銭を愛する者」
(伝道5:10)
「金銭を愛する者は
金銭に満足しない。
富を愛する者は収益に満足しない。
これもまた,むなしい。」
(1テモテ6:17)
パウロは次のように言いました。
「この世で富んでいる人たちに
命じなさい。
高ぶらないように。
また,たよりにならない富に
望みを置かないように。
むしろ,私たちにすべての物を豊かに
与えて楽しませてくださる神に
望みを置くように。」
○
食い,飲み,楽しむ
(伝道5:18-20)
「見よ,わたしが見たところの
善かつ美なる事は,
神から賜わった短い一生の間,
食い,飲み,
かつ日の下で労する
すべての労苦によって,
楽しみを得る事である。
これがその分だからである。
また神はすべての人に富と宝と,
それを楽しむ力を与え,
またその分を取らせ,
その労苦によって
楽しみを得させられる。
これが神の賜物である。
このような人は
自分の生きる日のことを多く思わない。
神は喜びをもって彼の心を
満たされるからである。」
神はわたしたちに,
いのちをあたえ ,
富と喜びを与えて下さっています。
(マタイ6:34)
「だから,
あすのことを思いわずらうな。
あすのことは,
あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は,
その日一日だけで十分である。」
(ピリピ4:12)
「わたしは貧に処する道を知っており,
富におる道も知っている。
わたしは,
飽くことにも飢えることにも,
富むことにも乏しいことにも,
ありとあらゆる境遇に処する
秘けつを心得ている。」
○
人生の空しさ
(伝道6:10-12)
「今あるものは,何であるか,
すでにその名がつけられ,
また彼がどんな人であるかも
知られている。
彼は彼よりも力のある者と
争うことはできない。
多く語れば,
それだけむなしさを増す。
それは,
人にとって何の益になるだろう。
だれが知ろうか。
影のように過ごす
むなしいつかのまの人生で,
何が人のために善であるかを。
だれが人に告げることができようか。
彼の後に,
日の下で何が起こるかを。」
わたしたちは,神を離れては,
むなしい人生であります。
(ローマ7:24)
「私は,
ほんとうにみじめな人間です。
だれがこの死の,
からだから,
私を救い出してくれるのでしょうか。」
○
世の悲しみ
(伝道7:1-6)
「良い名声は良い香油にまさり,
死の日は生まれる日にまさる。
祝宴の家に行くよりは,
喪中の家に行くほうがよい。
そこには,すべての人の終わりがあり,
生きている者がそれを心に
留めるようになるからだ。
悲しみは笑いにまさる。
顔の曇りによって心は良くなる。
知恵ある者の心は喪中の家に向き,
愚かな者の心は楽しみの家に向く。
知恵ある者の叱責を聞くのは,
愚かな者の歌を聞くのにまさる。
愚かな者の笑いは,
なべの下のいばらが
はじける音に似ている。
これもまた,むなしい。」
世の笑いはむなしいものです。
世の悲しみのほうが
まさっているといいます。
(2コリント7:10)
「神のみこころに添った悲しみは,
悔いのない,
救いに至る悔い改めを生じさせますが,
世の悲しみは死をもたらします。」
○
神のみわざは見極められない
(伝道8:16,17)
「私は一心に知恵を知り,
昼も夜も眠らずに,
地上で行なわれる人の仕事を
見ようとしたとき,
すべては
神のみわざであることがわかった。
人は日の下で行なわれる
みわざを見きわめることはできない。
人は労苦して捜し求めても,
見いだすことはない。
知恵ある者が知っていると思っても,
見きわめることはできない。」
著者すなわち伝道者,
ダビデの子のソロモンは
「昼も夜も眠らず」
一心に人の仕事を
「知恵」をもって探究しました。
(参照 伝道1:13)
その結果著者が発見したことは
「すべては神のみわざ」でした。
人間は
「(神の)みわざを
見きわめることはできない」
ということでありました。
神は無限であり,
計画は偉大です。
そして,人間の知識は有限です。
パウロは,次のように言います。
(ローマ11:33)
「ああ,
神の知恵と知識との富は,
何と底知れず深いことでしょう。
そのさばきは,
何と知り尽くしがたく,
その道は,
何と測り知りがたいことでしょう。」
○
知恵について
(伝道9:17,18)
「知恵ある者の静かなことばは,
愚かな者の間の支配者の叫びよりは,
よく聞かれる。
知恵は武器にまさり,
ひとりの罪人は
多くの良いことを打ちこわす。」
ここで2つの箴言を用いて
知恵について語っています。
「知恵」は,
たとい「静かなことば」
をもって語られても,
愚かな支配者の大きな叫びよりも
価値があるといいます。
「知恵は武器にまさり」
と知恵の効用をたたえています。
「ひとりの」愚かな
「罪人」の存在によって,
「良いこと」がむなしくなる場合も
あるといいます。
○
「王をのろおう」
(伝道10:20)
「王をのろおうと,
ひそかに思ってはならない。
寝室でも富む者をのろってはならない。
なぜなら,
空の鳥がその声を持ち運び,
翼のあるものが
そのことを告げるからだ。」
(ルカ12:3)
「あなたがたが暗やみで言ったことが,
明るみで聞かれ,
家の中でささやいたことが,
屋上で言い広められます。」
○
胎にいるとき
(伝道11:5)
「あなたは,
身ごもった女の胎の中で,
どうして霊が骨にはいるかを知らない。
そのようにあなたは,
すべての事をなされる
神のわざを知らない。」
(伝道11:15,16)
「わたしが隠れた所で造られ,
地の深い所でつづり合わされたとき,
わたしの骨は
あなたに隠れることがなかった。
あなたの目は,
まだできあがらない
わたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわが
よわいの日のまだ一日もなかったとき,
その日は
ことごとくあなたの書にしるされた。」
神はわたしいたちを
胎内にいるときから
守ってくださいます。
(詩篇127:3)
「見よ,
子供たちは神から賜わった嗣業であり,
胎の実は報いの賜物である。」
(詩篇139:13-16)
「あなたはわが内臓をつくり,
わが母の胎内でわたしを
組み立てられました。
わたしはあなたをほめたたえます。
あなたは恐るべく,
くすしき方だからです。
あなたのみわざはくすしく,
あなたは最もよくわたしを
知っておられます。」
○
青春の光りと影
(伝道11:7-10)
「光は快い。
太陽を見ることは目のために良い。
人は長年生きて,
ずっと楽しむがよい。
だが,やみの日も数多くあることを
忘れてはならない。
すべて起こることはみな,むなしい。
若い男よ。若いうちに楽しめ。
若い日にあなたの心を喜ばせよ。
あなたの心のおもむくまま,
あなたの目の望むままに歩め。
しかし,これらすべての事において,
あなたは神のさばきを
受けることを知っておけ。
だから,あなたの心から悲しみを除き,
あなたの肉体から痛みを取り去れ。
若さも,青春も,むなしいからだ。」
心に喜びを見出して,
青春を生きるべきであるといいます。
(ピリピ4:8)
「最後に,兄弟たち。
すべての真実なこと,
すべての誉れあること,
すべての正しいこと,
すべての清いこと,
すべての愛すべきこと,
すべての評判の良いこと,
そのほか徳と言われること,
称賛に値することがあるならば,
そのようなことに心を留めなさい。」
○
パンを水の上に投げよ
(伝道11:1)
「あなたのパンを水の上に投げよ。
ずっと後の日になって,
あなたはそれを見いだそう。」
主への働きは,
無駄になると思える者もあるが,
労苦を惜しんではいけない。
神は,
必ず報いてくださるというものです。
パウロは次のように言います。
(ガラテヤ6:7-9)
「思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば,
その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は,
肉から滅びを刈り取り,
御霊のために蒔く者は,
御霊から永遠のいのちを
刈り取るのです。
善を行うのに飽いてはいけません。
失望せずにいれば,時期が来て,
刈り取ることになります。」
(伝道11:1-4)
「あなたのパンを水の上に投げよ。
ずっと後の日になって,
あなたはそれを見いだそう。
あなたの受ける分を
七人か八人に分けておけ。
地上でどんなわざわいが起こるか
あなたは知らないのだから。
雲が雨で満ちると,
それは地上に降り注ぐ。
木が南風や北風で倒されると,
その木は倒れた場所にそのままにある。
風を警戒している人は種を蒔かない。
雲を見ている者は刈り入れをしない。」
○
あなたの若い日に
(伝道12:1)
「あなたの若い日に,
あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに,
また『何の喜びもない。』と
言う年月が近づく前に。」
「覚えよ」とは,思い浮かべよ,
心に留めよ,顧みよと言う意味です。
人格的な交わりを持つことです。
「あなたの創造者を覚えよ」とは,
創造者を心に留め,たえず思い,
神との交わりの内に
生きよとの勧めです。
このことが,
「空の空」を解決する唯一の方法です。
それは,天地を造られた神を信じ,
神とともに歩み,
神のために生きる道です。
創造者を信じることに,
遅すぎることはありません。
今,信じていることが大切です。
○
神を恐れよ。神の命令を守れ。
(伝道12:13,14)
「結局のところ,
もうすべてが聞かされていることだ。
神を恐れよ。
神の命令を守れ。
これが人間にとってすべてである。
神は,善であれ悪であれ,
すべての隠れたことについて,
すべてのわざをさばかれるからだ。」
「神を恐れる」とは,神を神として,
恐れかしこむことです。
「伝道の書」の結論です。
さばきとは,この世の終わりにおいて,
神がキリストを信じる者と
信じない者とを区別し,
信じる者には永遠の祝福を,
信じない者には永遠の滅びを与えます。
○
新約聖書では,
イエス・キリストが
次のように言っています。
(マタイ25:31-34)
「人の子が,
その栄光を帯びて,
すべての御使いたちを伴って来るとき,
人の子はその栄光の位に着きます。
そして,すべての国々の民が,
その御前に集められます。
彼は,
羊飼いが羊と山羊とを分けるように,
彼らをより分け,
羊を自分の右に,
山羊を左に置きます。
そうして,
王は,その右にいる者たちに言います。
『さあ,
わたしの父に祝福された人たち。
世の初めから,
あなたがたのために備えられた
御国を継ぎなさい。』」
☆
ヨハネは,イエスが来たのは,
世を救うためだと言います。
(ヨハネ3:17,18)
「神が御子を世に遣わされたのは,
世をさばくためではなく,
御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。
信じない者は神のひとり子の御名を
信じなかったので,
すでにさばかれている。」
2018.4.20